奇跡享受

 早朝。簡素な食事を済ませた一人と一匹は村を出てマイムの森を目指そうと、泥道と化したフェイマ―街道を駆けていた。

 その途中、葬民の群れと遭遇する。

「早速朝の運動とでもいくか。いくぞ、葬民共よ」

 眠たげなビノは鋭い八重歯を親指で簡単にへし折ると、それを右手に持ったのである。

「どれ。昨日よりは使えるようになってるかな」

 するとどうだろう。牙はみるみるうちにビノの身長以上へと成長していったのだ。

 細長い槍のような得物に変化した牙を軽々と持つ神獣の細腕は、重量など微塵にも感じていない。ひらひらと動かして葬民を挑発する余裕すらあった。

「オデらは、逝く。安らかなる次元、清浄土に逝く」

 人間である事を忘れた異形らは爪を振り乱し、一斉にビノへとかかった。

 ビノは振りかぶると長剣と化した牙を投擲する。常人には視認できない速度。勇者のみが眼の端で振りぬく瞬間を微かに捉えていた。

「哀れなり。輪廻の輪に還れよ、葬民共」

 次の刹那――向かってきた五体は串刺しとなり、天へ昇華していった。

「勇者」

「はい!」

 ビノが呼びかける。勇者は驚異的身体能力をもって跳躍した。ムット戦で壊された鎧の類を全て外しているため身軽になっていたのだ。

 葬民が真上を向く。太陽を背にした勇者が回転しながら霊剣を振り抜く。まず、二体を始末――着地後に後方からの突きを紙一重で避け、もう一体の首から上を一閃。

「ご苦労ッ」

 ビノが矢継ぎ早に残りの五体を牙の槍で撃破する。

 勇者と神獣は葬民の群れを圧倒的実力をもってして一掃したのだった。

「お見事です。ビノ様」

 と、鞘に霊剣をおさめながらルイが称賛した。

「いんや、相変わらず本調子には遠い。神獣形態へ変化するには時間がかかるぞぇ」

 驚異的な速度で生えた八重歯を見せて微笑むビノは、身体各部の調子を確かめながら言った。

「葬民相手には通用するだろうがな。ジーナと戦うまでには感覚を取り戻さなければ」

 生死の狭間から奇跡的に脱し肉体を生成したビノ。彼女の本当の姿である白蛇――神獣形態へ自由自在に変化するのは簡単にいかないようだ。

 そして神獣は、廻の輪に組み込まれずに消えていく魂の残り香に真剣な視線を寄せた。

「して勇者よ。葬民共がほざいておる清浄土という言葉についてだが」

「えぇ。俺もその件についてご意見を窺いたいと思っておりました」

 清浄土へ思う点があったルイも腕を組み、眉をひそめた。

「安らかな次元、清浄土。おそらく邪神が自身への忠誠心を確固たるものにするべく、煉獄を恐れる葬民への報酬として与えようとしている何かと考えています」

「鋭いな。しかしそれは偽りの世界であろうが。邪神の考えそうな事だな」

 同調するようにルイが頷いた。

 ビノは不機嫌そうにふんと鼻を鳴らすと、自身の見解を続けて述べる。

「煉獄を無視して安寧の世界に逝く、か。そんな都合のいい楽園なぞ、あいにくアルター様は用意しておらん。悪に染まりきった魂は煉獄に逝き、全うに生命を終えた魂は輪廻転生を繰り返す。無理に外れるとすれば、そこは永遠の虚無だ。煉獄より酷い世界ぞぇ」

 創造神アルターが人間と神のしもべに教えた理には清浄土など存在しない。

 虚偽と悪意の邪神思想を求めるしかない魂は、哀れを通り越して救いようがなかった。

 決して届かない幻影を追うために世界が犠牲になってはならないと、ビノとルイの意識は強く固まっている。

 敵の目的の考察を終えた二人は真の平和を取り戻そうと、どちらともなく動き出した。

 マイムの森まであと僅かの距離。襲撃してくる葬民らと幾度も戦闘を繰り返し、荒れた道を進んでいく。

 そして、ついに全体が紫がかったマイムの森の輪郭が見えてきた時だった。

「これ勇者。もしや、お前が不覚をとったというのは――」

 先行するビノは速度を落とし勇者へ尋ねた。ルイは首肯し霊剣を握る手に力を込める。

「はい、奴が例の強化体葬民です。何故ここまで出てきたのかは不明ですが」

 漆黒のメイスを肩に担いだ巨人葬民、ムットがいた。驚愕のあまりあんぐりと口を開けたまま立ち尽くしている。それもそのはずだ。殺したはずの勇者が生きているのだから。

 ルイ達は立ち止まり、ムットと向かい合った。互いに激しい火花を散らす。

「おいおいどうなってんだ。なんで生きてやがる、フェンブルの末裔!」

「仲間を救い平和なメネスを取り戻すまでは死ねんらしくてな。以前は万全な状態で臨めず済まなかった。今の俺が正真正銘、貴様が戦いたかったフェンブルの末裔だ」

「答えになってねェんだよ。ふざけやがって」

 威風堂々。以前よりも厚みを増した勇者の威圧感へムットの余裕は完全に消える。この想定外の異変を探るべく必死に思考を巡らしていると、勇者の隣でニヤニヤと笑んでいる白と青が入り混じった髪色の少女と目が合った。

「んだその変わったガキは。あん時はいなかったよな……」

「お初目にかかるぞぇ、神獣ビノと申す。よろしゅうの、葬民の親玉よ」

 ムットは少女の言葉に目を見開いた。

「神獣だと。嘘をつくなクソガキ、神獣はジーナが殺したはずだ」

「その殺したはずの神獣が実は生きており、勇者を回復させたのだよ」

「――ッ!?」

「邪神に伝えるんだな。勇者の他に殺し損ねたビノさえも健在だと」

 半狂乱になり冷静さを欠いたムットは、目に起きた現実を信じれない。

「ふざけやがってッ。もういい、やってやる。仕留めそこなったのなら、今度こそ壊してやるまでだ」

 怒りを帯びた赤い瞳は勇者に向けられた。

 ビノはやれやれと肩をすくめると、すでに闘志を漲らせている勇者へ視線をよせる。

「ご指名だぞぇ」

「えぇ。二度も負けません」

「よーし、行って来い勇者。そして借りを返せ」

 勇者はビノに笑みを返し前へ出る。そして、鞘から霊剣を抜こうとした瞬間だった。

(う……何だ!?)

 全身が総毛立つような何とも言い難い感覚に見舞われたのである。

 顔をしかめて思考する。傷は治してもらったのだ。だとしたら全身を通り過ぎた違和感は一体どうした事か。また、不可思議な出来事はこれに留まらなかったのである。

『彷徨いし……よ。勇気と……満ちた汝に……を』

 続けて、何者かの声が頭の中に響いたのだ。

(え……!?)

 性別は不明。聞き取りにくい囁き声だった。周りにはビノとムットしかいない。ルイは一瞬の間に起きた二つの怪奇へどうしたものかと頭を悩ませた。

「オラどうした、怖気づきやがったのかよッ。早くきやがれ!」

 敵の野次が飛ぶ。別に身体の自由が効かなくなったでもなく現状、気にしている時間もない。ルイは深呼吸を繰り返して思考を戦闘に切り替えた後にムットと対峙した。

 霊剣を握る手に力が込もる。両者の間に一陣の風が流れた、数秒後――

「覚悟しろ、ムット!」

 先に動いたのは勇者だった。悪意を殲滅するべく走り出す。ムットは迎え討つべく黒天を振り上げるが、

「何が覚悟しろだ。潰されんのはおまッ……んだありゃ!?」

 あうやく得物を落としそうになった。得体のしれない力を感知して恐怖を覚えたのだ。

 力の源は勇者の持つ青白く輝く透けた霊剣だ。それが激しく点滅を繰り返している。

(どうしたんだ。霊剣が暖かい、今までにない輝きだぞ。けどもこれは――)

 勇者本人も突然の変化に驚いたが、すぐに受け入れる事ができた。それが自身を守護するものだとの情報が、不思議にも先の声のように頭の中へ流れ込んできたからだ。

 戦闘開始。聖なる加護と悪意を纏った得物同士が衝突する。

(何なんだよッ!? どこにこんな力を隠してやがった。全力の俺を押してやがる)

 歯ぎしりをしてメイスを押す力を強くするムット。だが勇者はびくともしない。それどころか逆にムットが後退をよぎなくされている。

 込められた力も昨日対峙した際と別物だ。

「前に戦った時の威勢はどうした」

「うるせぇ! オレに勝てる人間なんぞ一人もいねェ、テメェもその一人に過ぎねェ」

「葬民とはいえ王家の鎧を壊したお前の怪力は大したものだよ。霊剣の剣圧に耐えるその得物もな。だが、俺はもう二度と負けるワケにはいかないんだ!」

 奇跡。勇者の咆哮と同時に霊剣から溢れんばかりの閃光が生まれたのだ。尚も勢いを増して両者を包む。

 神獣ビノでさえも衝撃の光景をぽかんと口を開いて眺めていた。だが目を擦った後、大いに感服したような声を出した。

「よもやアルター様の霊魂が霊剣に吸い寄せられておるだと。まさか、このような力が霊剣に隠されていようとは……」

 誰もが予想だにしない展開。そして霊剣に潜在する真の力が解放される。

 次の瞬間、二人の位置を中心に地面から眩い閃光が円を形作るように湧き出たのだ。

「うぉぉぉぉぉ」

「ガァァァ!?」

 そして、一瞬にして発生した光の奔流が見る見る間に二人を飲み込んだ。

 閃光は嵐の如く激しく躍動し、そのまま天へ吸い込まれるかの如く舞い上がっていく。

「ぐぁぁぁッ。 俺の、俺の黒天がぁぁ!?」

 光の中でムットは目を見開いた。霊剣と激しくぶつかり合っている己の漆黒の相棒が、突然発生した閃光の如く、白色へと変色していく。

「クソがッ。シュマ様が下さった黒天がアルターなんぞの加護に負けるハズねェ」

 それだけでは終わらない。次には黒点へ亀裂がはしり始めたのだ。パキパキと音を立てて割れ剥がれていき、雪のような結晶になり天へと昇っていく。

「はが、がががァ」

「俺の勝ちだ」

 勝利の宣告と同時に黒天が粉々に砕ける。ムットはその瞬間、ある事に気がついた。結晶になったのは黒天だけではないのだと。自身の肉体も足の方から白く染まり、剥がれていく。せめて動かそうとしても身体が制御できない。膝が砕け仰向けに倒れ込んだ。

「痛ぇなァクソ。俺と黒点が力でも加護の強さでも負けたとは」

 ムットが上を見ると、そこには無表情に霊剣を振り上げた勇者がいた。

 とうとう身体の半分が消失。葬民の親玉はお手上げとに首を振り、降参の意を見せる。

「聞いてねェよクソが。んな力持ってるならさっさと使えや」

「俺も驚いたさ。ただ今は、アルター様の加護が俺に更なる力を下さったと信じたい」

「クソったれがよぉ。急にんな事されちゃ敵わねぇや。これが英雄フェンブルの末裔の力かい」

 首から上だけとなったムットが、舞い上がる結晶を見ながら楽しそうに言った。これから消えゆくというのに、その表情は澄みきっている。

「言い残す言葉はあるか」

 勇者が問うと、

「ひと思いにさっさとやれ。お前のコレよォ、じわじわくるからクソ痛ェんだボケ」

 ムットが笑顔でそう返した。数秒後、激しく点滅する霊剣が振り下ろされる。

 最強を追い求めた男は勇者の手によって完全に消失したのだった。

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