ムット
夕刻。日中は青かった空は現在暗雲が立ち込めており、今にも雨が降ろうとしていた。
アメリとルイ。紆余曲折を経て絆をより強固にした二人はあれから街を出ると、休憩を挟みながらずっとシェイマー街道を走っていたのだ。相変わらず殺風景な草原地帯が広がっている。ここは未だヴァネッサの支配領域だったようで、葬民は一人もいない。
アメリは並走するルイの横顔を心配そうに見つめた
(殿下、かなり疲れてるわ。本格的に暗くなる前に村まで着けばいいけど)
顔色も悪く息も荒い。ルイはヴァネッサとの戦いの影響で全身が痛んでいた他、体力も限界を超えていた。アメリはともかく大部分の戦闘をこなしていたのはルイであり、朝から激戦の連続で休まる時がなかったのだ。
いち早く王都へ向かわなければならないのは確かだが、いくら急いだって今日中には着かない。アメリはルイの体力を心配して声を掛けるが――
「ルイ様っ、もう少しで地図通り村だった場所に着きます。日も暮れてきましたし、今日はそこで休みませんかっ?」
刹那、ルイが立ち止まった。
「キャッ!?」
いきなりの出来事。アメリは仰天して転びそうになったが、なんとか持ち直した。
「どうしたんです?」
怪訝に思いルイの顔を覗き込むと、眉根を寄せた厳しい表情をしていた。ただならぬ佇まいである。
「俺もそう思っていたが、どうやら休めそうにないぞ。次の相手が来たらしい」
ルイは霊剣を鞘から静かに引き抜いた。
(なんですって!? 間の悪い時に……今度は何者なの」
早すぎる来襲。しかしあれこれ思考を巡らす暇はないと、アメリはすぐさま意識を現実の危機への対処へ切り替えた。
霊護符を手にしていざ前方へ。そこには――
「って何なのよアイツは!?」
前方からやってきたのは、ルイの倍の体躯はあるだろう巨大な男だった。
編み込まれた赤髪。そして彫の深い顔は横に切られた傷跡が目立つ。堂々とさらけ出された上半身にも縦一閃に裂かれた傷跡があり、腰から下は派手な色使いの武具を取り付けている。肩に抱えた漆黒のメイスは槌頭から石突に至るまで邪神の呪印を模した白色の文様が施されており、従来のものと比べてひと回りも大きい。
そして男の肌色は総じて病的に白く、瞳は赤かった。
「どう見ても普通の葬民とは違いますね。もしかして……」
「あぁ。ヴァネッサ同様葬民の上位種、ジーナが放った刺客だろう。上位種はヴァネッサ以外にも複数人いる可能性は考慮していたが、こうも早い段階でよこしてくるとは」
アメリとルイの予測通りである。男は葬民としては類まれなる資質の持ち主だった。
「お――ッ!」
あちらも気がついたようで視線を人間達へと定めた。
瞬間。大きな赤い瞳をせわしなくギョロギョロとさせた。
「おいおい、嘘だろ? 銀色の髪に霊剣って、まさかマジに話通りだってぇのか?」
放たれた野太い声は驚愕に満ちていた。信じられないといった様子である。
「本物だ。くたばったハズのルイ王子様が生きてやがる。さっきから葬民もいねぇし、ヴァネッサをヤッちまったって事か。おいおいこりャ――」
男は口角を裂けるまで上げ、メイスを持った巨人の右手をわなわなと震わせた。
「つまり直接勇者と手合せできる! シュマ様が俺に下さった奇跡って事だなァ!」
大気を揺るがす咆哮。その凄まじさにアメリとルイはたまらず耳を塞いだ。
動揺ではない。歓喜もしくは興奮しているのだ。
勇者と聖霊術士はやっと体勢を整え、よりいっそう警戒の念を強めて男と対峙する。
風がざわついて庭園の草木を揺るがし、霧雨が大地へぱらつき始めた。
「ジーナの手の者だな」
「いかにも。オレァムット。ジーナからシュマ様の加護を分け与えられ甦った、不屈の戦士よ」
ルイの問いかけに大男は嬉しそうに名を名乗った。続いてメイスを頭上で豪快に回すと先端を挑発するようにルイへと向けた。
「こっちだって訊くぜ。どうやって生き延びたかは知らねぇがよ、テメェは亡霊じゃねぇマジモンの勇者ルイだろ」
「さっきから貴様が喚いていた通りさ。俺はメネス王国から邪神を討伐するため勇者に選ばれた、ルイ・ヴィスターだ」
五本の指を数える位の間を置き、ルイは威風堂々と名乗り返した。
迷いを捨てた勇者の気迫と風格に感じるものがあったかムットは一瞬たじろいだが、結局はそれすらも彼を狂熱させる一要素に過ぎなかったようだ。
「クヘヘ。テメェは知らねぇだろうがな王子殿下殿、オレァ死ぬ前から、英雄フェンブルの血を引くヴィスター家の奴と死合いたくてたまらなかったんだよッ!」
ムットは我慢できないと言わんばかりにメイスを振りかざすと、大地を蹴りあげてルイ達へと突撃してきたのである。
足は遅いものの、その巨躯もあいまって相手を威圧する迫力があり、元のサイズの倍以上に錯覚して見えた。
「殿下、アイツもヴァネッサのような犯罪者なのですか?」
「知らん。王家を滅ぼさんと反逆して処刑されてきた輩は腐る程いたが、大方奴もその内の一人だろう」
アメリもルイもムットには全く見覚えがない。ルイは迎え撃つために霊剣を構える。
だが――
(さて、今の状態でどこまで動けるだろうか。いや、やらねばならないんだ)
勇者の体力はアメリの予感通り限界を超えていた。普段の半分の力すら出せない。霊剣を持つ手も足も重く、少し動いただけで体中が軋むのだ。
一刻も早くメネスを平和にしたいという想いの昂ぶりが、身体を突き動かしていた。
「アメリ、霊護符は準備できているか?」
ルイが呼びかける。相棒はどうしたのか、無言のまま数歩前へと出た。
「私がムットを倒します。陛下は少しの間でも体を休ませて下さい」
アメリが振り返らないまま言った。ルイは予想外の返答に面食らったものの、反論する。
「は? 何を言ってる。ヴァネッサと同じ戦い方でいくぞ、ただの葬民ならともかく君がメインでぶつかれる相手じゃない」
「お言葉ですが、殿下はヴァネッサとの戦いで体力を空にしている状態。相手がただの葬民数体だったとしても手間取るかと」
「成程、君には見抜かれていたか」
やはりこの娘の前では嘘はつけないなとルイは苦笑した。
「今まではルイ殿下に守られてきましたが、今度は私の番です。どうか見せ場を下さい」
真剣な声色での懇願にルイは柔軟に考えを変えた。共に戦うとはいえできればアメリを危険に晒したくはなかったが彼女の言う通り、今の状態では相手にすらならない。
「済まない。では頼めるか」
「勿論ですよ。では――」
そしてアメリは霊護符を手に持つと、ムット目掛けて駆けだしていった。
葬民の大男はすぐそこに迫りつつあった。
「よそ見してんじゃね――って女ァ? 雑魚は御呼びじゃねぇぞおい!」
ムットの表情が喜びから憤怒に変わる。彼もまた、聖霊術士の女等眼中にない。
「うっさいわね! あなたなんか私で十分よ」
戦闘開始。先手とったのはアメリだ。黄土色の霊護符を数歩先の地面に打ちつけた。
「んだこりゃッ!?」
するとその部分が大きく隆起し、地面がはじけ飛んだのだ。空中に舞った土は明確な意思を持って、ムットの視界を奪うように降り注ぐ。
「クソが! 前が見えねぇ」
土が嵐のようにムットを襲い、たまらず目を覆ったまま動けない。
「これが大地の神イナミの力よ!」
あくまでも足止めである。その間にアメリは隙を見逃さず、追撃の霊護符を投じようとしていたのだ。
「からの炎将ヴァルの霊魂ッ。消し炭になりなさい!」
一瞬で戦いを終わらす気でいた。投げた霊護符の中心に大きな業火の輪が発生する。
燃え盛る神の炎は雨をものともせず勢いを増し続けたまま、狼狽えるムットへ直撃した。
「グギャァァァァ!?」
爆炎が巨体を包む。速攻だった。余りにもあっけない幕引き――
(まだよ。あのメイスに何か隠しているハズ。簡単に倒れる奴とは思えないもの)
しかしアメリはこれで終局とは微塵に思っていない。敵は図体が大きくヴァネッサのように瞬発力を強みに戦闘を進めるタイプではない。そういった意味では確かに聖霊術士には相性が良い相手。ただそれだけだ。特殊な力を宿しているだろう黒い得物――その力を使わないまま終わるとは考えられない。
アメリは霊護符を持つ手を降ろさずにムットから発生する煙が晴れる瞬間を待っていた。
「油断するなアメリッ!」
血相を変えた勇者の雷のような叫びがアメリの鼓膜へ轟き、それと同時に激しい悪寒と射るような殺意を感じた。
(う! やっぱ終わっちゃくれないッ)
一筋の汗が頬を伝う。露になる攻撃結果――ムットへ聖なる炎は一切届いていない。漆黒のメイスを横に翳すのみで炎の嵐を全てを防ぎきっていたのだ。
(案の定黒いメイスが厄介みたいね)
アメリは次の行動に移るべく革鞄からアルターの霊護符を数枚手に取った。
「残念だったなァ女。聖霊術士の炎なんぞシュマ様の奇跡、オレァの相棒黒天には通用しない。全部これで防いでやるまでよ」
ムットはカラカラと笑い、漆黒のメイス黒天を豪快に回し肩へ担ぐ。アメリは呼吸を乱しながらも霊護符を構えた。
「ふん。それならねぇ、当てるまで投げて投げて投げまくってやるまでよッ!」
アメリは複数の霊護符を間断なく投擲。ムットは余裕げに口角を上げた。
「しゃらくせぇッ」
自身を中心にメイスを激しく振り回し続けた。迫る霊護符を次々と打ち落としていく。
(霊護符がまるで通じない! あのメイスの硬さは私の霊位じゃ――くッ、まずい!)
アメリの聖なる攻撃が全く通じない。霊護符はムットへ届く前にはじき散らされる。
「ゲハハハ、その程度じゃ痺れさえねぇな。遊びはもういいだろ、女。そろそろ逝くかァ?」
ムットは霊護符が止んだタイミングを見計らい、メイスを振り上げ、雄叫びをあげて突進し始めた。
焦りが滲む聖霊術士の少女は爆発しそうな緊張感に苛まされ、いよいよ膝が震えだす。
「もういいッ! 早く逃げろ!」
ルイの悲痛な叫びが響いた。霊護符を封じられた時点で勝負はあった。もはや見ていられず、傷ついた身体に鞭を打ってアメリへの元へ向かう。
「あ、あれ? 何で。体が動かない!?」
一方、聖霊術士の少女は目前に迫る悪漢の禍々しい殺気へ完全に威圧され、縮みあがってしまい、ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなってしまう。
「うぁあ、ああ。殿下……」
身体を震わせたままルイの方へ振り返り、助けを求める眼差しを送る事しかできない。
「そんじゃあばよッ」
極大の円柱状柄頭から放射状に伸びた無数の棘が、アメリを横薙ぎに払おうとしたその瞬間だった――
「ん? おっほぅ。やっとこさ大本命と死合えるってわけだ」
邪悪な鉱物と聖なる鉱物同士がぶつかり合う澄んだ音が、草原に鳴り響いた。
「交代だ。お望み通り俺が相手をしてやる」
危機一髪、アメリの眼前に迫るムットのメイスをルイの霊剣が弾いたのだ。
「はひ、ひひひ」
自分は寸前で助けられたと認識したアメリは、安堵のあまり腰を抜かしてしまった。
「いくぞムット!」
「こいやァ勇者!」
ついにルイとムットの戦闘が始まる。
ルイは岩のように重い疲労を引きずりながらも、気力を奮い立たせて全力で戦った。
不利な対場にあるとは重々承知。五体が壊れようが血反吐を吐こうが構わない。全てはアメリを守るため――
(ハァハァ。クソッ!)
しかし勇者の決死の想いは叶わない。現実は無常、戦いの結末は早々に訪れた。
「うぉぉぉぉッ」
「ほらどうした! 嘘だろ、これが偉大な英雄の血を引く勇者の実力なのか?」
ルイが完全に劣勢を強いられた。身体中へはしる痛みと疲労感は肉体を時間が経つ事に容赦なく身体を蝕んでいく。簡単に読まれる汰血筋に力ない一閃。結果、攻撃は全て防がれる。
(俺は負けるワケにはいかないんだッ)
ルイの柄を握る手が焦りに震え出す。
一方興冷めした顔のムットは、苛立ちをぶつけるかの如くメイスを振り回し、容赦なく勇者を攻め上げる。大人が子供相手に遊んでいるようである。
勝敗は見えきっていた。
(単調な軌道だ。ヴァネッサはこんな奴に負けたのか? 最初の気迫もハッタリかよ)
勇者から急激に興味が失せた。生前から抱いていた無念があっけなく消えようとしている。目の前の男は判断力も遅く妙に動きも鈍く並の剣士にも劣るとしか感じられなかった。常人離れした戦闘センスを持って生まれてくるヴェスター王家の人間なのかさえ疑ってさえいたが、本物には違いないのだ。
しかしこれでは失望は禁じえない。
(もういい、やっぱオレが一番だ。あとはディムの奴に手土産でも持ってってやるか)
ムットは勇者の突きを軽々と受け流しながら、勇者の名を泣き叫んでいるアメリを流し見た。次いで、戦いを終わらせにかかった。
「おら仕舞だァッ」
「ぐはッ!?」
霊剣を大きく払われ、決定的な隙が出来てしまう。ムットは当然逃さない。渾身の打撃はルイの脇腹部分へ直撃。王家特注の頑強な鎧は重い一撃に耐えきれず砕け散り、ルイは放られた軽石のように遥か後方へ吹き飛び、雨に濡れた極彩色の花壇へ背中から落ちる。
絶痛のあまり声も出せない。それでも起きて、絶対に敵を倒さなければいけなかった。
あの少女と誓ったのだから。
「アメ、リ」
執念で頭を上げたが、愕然とした。アメリは敗北のショックで気絶しており、ムットへ抱えられていた。
「く、貴様。離せ、その娘を今すぐ離すんだ」
なけなしの気力で声を振り絞り出すルイをムットは冷酷に眺めた。
「無様だなァ、勇者。お前が弱いからこの女はヒデェ死に様を晒す事となる」
告げられた瞬間。ルイは痛みを忘そうになる程の激しい怒りを覚えた。殺意の念を宿した鋭い視線でムットを睨みつけ叫ぶ。
「外道! アメリを傷つけてみろ、その瞬間貴様を両断してやる!」
「ゲハハ、おいおい自分の立場弁えて言ってるのかい。その様で誰が誰を殺すって?」
抵抗等できそうもない。肉も骨も砕け出血多量。もはや命にかかわる傷、ここまで狂いそうになる痛みなんて人生の中で覚えた経験などない。ルイは今度こそ死を覚悟する。
ムットはそんなルイを尚も嘲笑するとアメリを右肩に担いだ。
「俺には女をいたぶる趣味はないけどよ。仲間に一人変態がいてな、そいつが道中若い女がいたら連れて来いと頼まれてたのを思い出したんだ。可哀想に、運が悪いなァ」
「やめ、ろ。放、せ」
「恨むなら自分の無力さを恨めよ勇者。女を返して欲しかったら俺らの砦があるマイムの森まで来てみろ……けど、その傷じゃ無理か」
それだけを告げるとムットは踵を返した。ルイは必死に手を伸ばすが、その手はアメリに届く事はない。
「神聖メネス王国も終りか。英雄一族の代表がこんな雑魚だったとはがっかりだ。オレァせっかく生き返った意味わかんねぇな」
心底残念そうに呟いた巨人は徐々に遠くなっていった。希望が断絶される。
そこから幾ばくかの時間が経った。流れる血の量が多くなるにつれ寒気に苛まされ、意識も薄れていく。やがて、激しさを増してきた雨の交響楽さえもが聴こえなくなり、アメリの事も自身の使命も何もかも考えられなくなった。
(死ぬわけにはいかんのだッ)
瞼を閉じる直前。最後に映ったのは、自分を見下ろす誰かの影だった。
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