動き出す刺客
邪神の繭へ捕らわれたナダン大聖堂内。若き聖霊術士の肉体を奪った悪意の手先、ジーナは二度目の失敗に酷く狼狽えていた。
「ヴァネッサが、死んだだと。勇者め、ヴァネッサを倒したというのか!?」
大きな力のうねりが肉体から抜け落ちていく感覚があった。つまりはシュマから貰い受けた力の多くを注いだ、その対象が消えたという事だ。
直接勇者と戦ったジーナはかの女は自身へ及ばないが、勇者を打ち取れる実力はある確信していた。それが一体何が起きたのか――またも想定外の事態になってしまったのだ。
「ググッ、もし奴がこのまま王都まで到着したら、我は」
勇者の進撃が続くようでは熱望する清浄土へは逝けず煉獄行きとなってしまう。もはや気が気でない。顔面蒼白のジーナは血管のような器官に繋がった繭へ包まれて眠るシュマを茫然と眺めた。
そこへ――
「随分と荒れてるねぇ。これから清浄土に逝くってめでたい時に」
突然だった。後方から揺らぎのある声へ囁かれジーナは驚きおののく。
そこにはいつのまにか、子供くらいの人間の形を模った靄のような何かがゆらゆらと漂っていた。紫色に怪しく発光しているそれは、普通の人間が見たら亡霊の類いとしか見えないだろう。
それの正体をジーナは知っていた。
「ディムか。貴様なぜここにいる!?」
「審判の日の到来にいてもたってもいられなくて、ね」
ジーナが初めて甦らせた手下の一人――ディムの幽体であった。
「そいでどうしたの? シュマ様が最後の眠りにつかれて、いよいよかって緊張するのはわかるけどさぁ」
死霊術士は咳払いをしてから、眠るシュマの様子を眺めているディムの幽体へ、血色の悪い顔を向けた。
「ヴァネッサが、勇者にやられた」
「へ、ヴァネッサが? どゆ事なの、てか勇者って……ジーナさんが殺したんでしょ?」
「わからぬ。確かに奴をこの手で砦の最上階から外に落としたハズ。だが勇者は生きておるようなのだ。そしてたった今、ヴァネッサを倒したのだ!」
完全にパニックとなり慌てるジーナ。数秒後、顔のないディムは幽体は口にあたる部分を嘲笑するように、三日月の形へ歪めるた。
「成程ね、僕が甦る前の話か。まっ、ようは勇者討伐にしくじったって話でしょ?」
「ぐ……」
胸に刺さる話だった。ジーナは言い返せず、ディムが続ける。
「ジーナさんの失敗は目を伏せるよ。ヴァネッサみたいな馬鹿がどうなろうが知ったこっちゃないし。でもさ、今回の件でシュマ様のご怒りが僕にまで向かうのはよしてほしいなぁ。最悪、清浄土に行けなくなっちゃうじゃないか」
立場を弁えないディムの発言にジーナはとうとう我慢ならず激昂する。
「口の聞き方を気をつけろ。我がシュマ様の力を分け与えてなければ、お前は清浄土以前に怨霊として苦しみもがいた末、煉獄へ逝っていたのだぞ」
「わかってるって。シュマ様の息吹を僕の身体に吹き込んでくれたのは感謝してる」
ディムがわざとらしく畏まる。ジーナは少しだけ機嫌を直した。
「では事にかかるぞ。まずムットを勇者の元へ向かわせろ。奴ならば問題ないだろう」
「ムットねぇ。アイツも馬鹿だけどヴァネッサよりは使えるだろうし暴れ足りないって暇したからな。いい働きをしてくれると思うよ」
ムットとはジーナが怨魂から甦らせた手先の一人である。生前はヴァネッサに負けず劣らずの罪を重ねてきた罪人だ。ジーナはムットとディムに「ある土地一帯」の支配をさせていた。
現状は二人に頼る他ない。ジーナはディムへ向き直ると、指刺して言い放った。
「ディムよ、必ずや勇者の死体を献上しろ! これはシュマ様直々の命令だ!」
対してディムは、口の部分へ出来た穴を不機嫌そうに歪ませる。
「ジーナさんに言われるまでもない。最初から油断や漫心を消していれば、今更勇者の脅威に怯えずとも済んだのにさ」
ジーナは青筋を立てた。自身の立場を弁えないディムの態度に苛立ちは募るばかりだ。
「黙れ! 二度も言わせるな、つべこべ言わずに我の言う事だけ聞いていればいいんだ」
気が狂いつつある主人に対してディムは、はいはいと慣れた様子で受け流した。
「はいはい。ジーナさんと違って、必ずシュマ様の元へ勇者の首を献上してみせるから」
自信満々に言った幽体は時間の限界を迎えたのか徐々に薄くなり、やがて消えた。
次なる脅威が勇者の元へ襲いかかろうとしている。
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