深淵に咲いた花

 アメリが気がつくと、そこは真っ暗な世界だった。

 自分の身体さえも見えないが、宙に浮いている不思議な感じがある。

 そこで――

(グフ、そこに散らばってるものをよーく焼き付けておきなよ、ルイ王子。あんたが殺したも同然な人間の肉片をね) 

(黙れ、黙るんだ)

 ふいに誰かと誰かが言い争っている声が響いた。

 アメリは声がした方向に首を少しだけ曲げる。そこには深淵の中から切り取られて輝く空間が出現していたのだ。

 水面に映る景色のように何かが映っている。それは仰向けになったヴァネッサと、霊剣を振り下ろそうとするものの、何に怯えているのか手を震わせた「あの人」だった。

 まるで、どこかで起きた一場面を神様になり覗き込んでるような感覚。

 不思議と驚かなかった。それよりも物事を深く考える感覚がなかったのだ。

 二人の緊迫したやりとりは続いている。

(そいつらだけじゃない。この街、いやこの国全部は王子殿が壊したようなもんさ……フフ、なんだいなんだい、あんたはあたしと同類だ。互いに立派な大罪人じゃないか!)

(黙れ、黙るんだ)

 語調は双方とも爆発寸前と思えるまでに荒くなっている。

(大方仮面は生き残った国民に正体がバレるのが怖いからお顔を隠してたんだろ! んな事したって意味ないのにさ――)

(黙れぇぇぇッ!)

 ミックはヴァネッサが言い切る前に、喉も張り裂けんばかりの叫びと同時に霊剣を振り下ろした。

 しかし結末は見届けれない。何故なら、世界そのものが突如にして白く染まったから。

 それと同時に、アメリの中で意識が回復していく感覚も生まれた。

 全てが晴れていく。意識は完全に覚醒した。

「う、あぁ」

 アメリは唸るような声をあげながら、静かに瞼を開いた。

 銀色の月が描かれた壮麗な天井が見える。辺りは音が消えたみたいにとても静かだ。

 ぼぅっとしたまま十を数える時間が経つ。そこでアメリはハッと現実に返った。

(って、私また気絶してたっ!?)

 こうしてはいられない、戦いの行方を確認しなければと、痛む頭を抑えながら上体を起こし、周囲へ目を配らせる。

 ホール中央。シャンデリアに照らされた赤絨毯の上に、茫然と立ち尽くす銀髪のルイ王子がいた。そして、ヴァネッサの姿はそこにはなかった。

(私が見てたのは夢じゃない。紛れもなく現実に起こった事だわ)

 アメリは身体に異常ないか確かめた後、ゆっくりと起き上がった。

 波打ち出した胸を手で押さえ、感情が整理できないまま本物の勇者の元へと歩を進める。

「あなたはミック……ではなく本物のルイ王太子殿下、なんですか?」

 アメリが訊くとルイは力なく頷いた。

「あぁ。俺が第十代メネス王ヴィスターの息子であり、此度の邪神討伐の命を授けられた勇者ルイだ」

 弱弱しい声色と焦点を失った空虚な眼差し、そして漂う悲壮感――アメリへ見せた凛々しい顔つきに頼もしかった後姿は、もはや見る影もなかった。

「生きておられたんですか……!? 何がどうなってるんです。どうか一から説明をお願いします!」

 もはや身分など関係ないアメリの激しい剣幕にルイは視線をそらした。冷たい沈黙が両者の間に流れるも――

「戦いで神獣様は討たれ、俺もフランクの身体を乗っ取ったジーナにやられて窓から落された。けど塔には突き出たバルコニーがあって運よく助かったんだ」

 とうとう勇者が重い口を開き、真相を明かし始めた。九死を得たルイが起きた時には塔はもぬけの殻、ジーナが葬民を引きつれて王都へ南下した後だった。そして北部の塔から国境沿いの盆地を無我夢中で東南に沿って走っていた。途中に、絶命する寸前の民から王都が陥落、国は壊滅状態だと聞いて絶望したのだとも。

「フランクを奪われた挙句に父上へ母上、多くの民を失った現状を認識した瞬間、気が狂いそうになって全て投げ出したくもなったけど、踏みとどまった。必ず国だけは取り戻さないといけない。それからジーナへ再戦を挑もうと王都までの最短かつ安全なルートを通るために、ここまで歩いてきたのさ」

 そこまで言うと、勇者ルイはアメリへ向き直った。次に何を明かすのかを表情をなくしたままじっと話を聞いていた聖霊術士の少女は知っていた。

「そして素性を欺いてしまった。勇者出立の儀で見たフランクの妹であるとは、最初から気づいていたんだ。君も……ここに来るまでで薄々感づいたかもしれないが」

「あっ」

 確かに不審な点は多かった。勇者という大役を死の間際だったとてどこぞの者にぽんと任せるとは、やはり出来過ぎた話であったのだ。それにフェンブルの血が流れているならば、あの超人的な強さにも納得できた。剣士隊所属精鋭の者だったとて人間離れした剣技を持ったものはいないだろう。

 アメリは自身の心の中へ黒い感情が生まれていくのを止められなかった。

「何故、そんな嘘をつく必要があるんですか。私が、フランクの妹だから? だから顔を隠して経緯を偽ったんですか?」

 アメリが詰め寄る勢いで問いただすと、ルイは暗く沈んだ声で答える。

「君が生き残っていたのは奇跡だと思った。それどころかフランクの身体が奪われている事実を知ったうえで挑みに向かおうとしているとは。驚いたけど心底安堵したさ。けど同時に恐くもなった。だから、真実を明かせなかった」

「それはどうして?」

 アメリが困惑気味に眉をひそめると、ルイは掠れた声で本心を明かした。

「君に恨まれてるんじゃないかと思った。自分の兄が死よりも酷い目に合っているのに何故お前だけが無事なんだって、せめてフランクを救う事は出来なかったのかってさ」

「殿下……」

 アメリは胸に当てた手でローブを強く握ったまま俯いた。心の中に複雑な感情が溢れ、すぐに返答はできない。ルイは周辺に散らばった肉片へ慙愧の視線を移すと、ため込んだ想いを語りだした。

「君だけじゃない。国中の人間が似たような憎しみを俺に抱いてるかもしれないと思うと恐くて堪らない。ヴァネッサに言われたのが図星だ、俺は責任に向き合うのが恐くて顔を隠し素性を偽ったのさ。遅かれ早かれ君は気づくだろうにな、とんだ臆病者だ」

 真情を全てさらけ出した勇者は深く項垂れる。互いに無言のまま、短いようで永遠にも思える時間が流れた。

(私は――)

 アメリの心に渦巻いていた濁流のような激しい感情の流れが徐々に収まっていく。

 聖霊術士の少女は深呼吸を数回繰り返すと、悲壮感溢れる勇者を強い意志を宿した碧眼で見つめながら静かに口を開いた。

「陛下は、臆病者なんかじゃありません」

 予想外の返答へ勇者の瞳は驚きの色を帯びる。

「確かにこの悪夢みたいな現状に耐え切れなくて、何もかも投げ出したくもなりました。でも、国を守るため勇者になり命懸けで戦ってくれた殿下を恨んだ事なんてないです」

 嘘偽りのない心からの想い――アメリは小さな肩を小刻みに揺らしながら、想いを吐露し続けた。

「陛下は窮地から私を救ってくれた! ジーナを必ず倒しお兄ちゃんを助けると勇気付けて下さった! ヴァネッサに殺された民を想い本気で怒り戦った! だから、そんな勇敢な陛下が臆病者だなんて思えません!」

「アメリ……」

 ルイはアメリからの言葉を受けて改めて気づかされた。どんな状況になろうとも民を守りきる。王子として、勇者として刻み続けてきた確固たる決意。どれだけショックに心を切り裂かれようともそれだけは消せなかった。

「怯える必要はないんです。アルター神のご加護の元にある殿下が生きている限り、私達は希望を持ち続ける事ができるんです! どうか、ご自分を責めないで下さい」

 アメリは考える。もしルイの立場になったなら、自分はここまで歩いてこれただろうか。勇者に任命されて国全ての人間の命を背負う重圧、決死の戦いの末に敗北してしまった結果、仲間は捕らわれ親族どころか民も失った。現実を受け止めれるだろうか――アメリはどう考えても出来ないと思った。兄が奪われ

た今ですら耐えがたいのに、そうなれば責任から逃げ自害するかもしれない。

 それ程までの事態へおかれたルイ本人は精神崩壊寸前だ。しかし、それでも使命を懸命に全うしようとする心は完全に死んでいない。微かな希望を頼りに前へ進もうともがいて

いる最中なのだ。

 勇者は確かに生きていた。

(本当の意味で全てを支えるの。それができるのは今、私しかいないんだから!)

 人々の命運を背負うという重い責務を分かち合える存在――真の相棒になるのだと、アメリは改めて決意した。瞳に光を戻しつつあるルイへ片膝をつき、彼の右手を両の手のひらで包み込む。

「だから、今度は私から誓わせて下さい。陛下の悲しみも苦しみも、私が一緒になって受け止めます。あなたは一人ではない!」

 想いを伝えきった聖霊術士の少女は恐る恐る顔を上げて、勇者の黒い瞳を見据えた。

 その両眼は力強く輝いており、もはや迷いは欠片も見当たらなかった。

「ありがとうアメリ。君の気持ち、受け取ったよ」

 ルイは逆に自身の両手でアメリの両手を包むと、しゃがんだ彼女をそのまま起こした。

「殿下……」

「おかげで全ての責任を背負う覚悟が出来た。俺だって君へ誓ったんだ。フランクを救い邪神の復活を阻止し、平和なメネスを絶対に取り戻してみせる。これからも着いてきてくれるか、アメリ」

「勿論です!」 

 アメリは勇者の決意表明へ晴れた笑みを返した。碧い瞳からは澄んだ涙が流れる。

 憂い事は消えて強固な絆が生まれた。二人は残虐な殺され方をした民へ祈りの印を結ぶと、王都へ向かうため館を後にした。庭園を埋め尽くしていた膨大な数の葬民は跡形もなく消えている。

 再始動した勇者と聖霊術士の後姿は燃え上がる希望に満ちていた。

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