第54話:傷を癒す者≠ヒーラー
マルムさんは聖職者だ。神さまに仕える立場で、天使に逆らうなんてできないはず。
なにしろ今まで、「修道院の院長として正しい」のを旗印にやってきたのだ。ここで信仰に楯突いては、それが全て嘘だったことになる。
「無為に黙すことなく、真実のみを述べよ。と?」
「そう言いました。経験に劣る者へ、恥ずべき圧迫もせぬが良いでしょう」
俯いていたマルムさんの顔が上がった。その問いに答えたきり、天使さまも何かしようとはしない。
最初に言った通り、争いに加担する意思はないようだ。町の人たちを眠らせたのは、あくまで公平に話させるためだと。
「――私は商人の子に生まれましたが、家を継げる者は一人です。無用の争いを避けるため、幼いころから教会へ預けられました。そこで知ったのは、老いも若きも、富めるも貧しきも。皆一様に、病や死の前では無力ということです」
偽りはないらしい。ホリィが頷いている。あの天使さまなら、人間の心を読めるはずだ。
でも何だか遠慮がちな口調ながら、いつもの演説に近しく聞こえる。
「その人たちを救おうと、お考えになったんですね!」
「その通りだよ」
片膝を突いたまま、マルムさんの横顔をレティさんは見つめる。きらきらと星が散りそうなほど、目を潤ませて。
きっと彼女には神さまへの信仰とか、目の前に居るのが天使さまとかは、二の次なのだろう。
レティさんの過去を考えれば、それは仕方がないとも思うけれど。
「ここは良い町だ。領主さまは特に目をかけているし、目立った災害や戦に巻き込まれたこともない。だから君と会ったときに、滞在を勧めたんだ。一人でも住民の多いほうが、こちらとしても助かるからね」
そうだ。マルムさんを手伝って、この町に尽くせと脅されているところだった。
僕など天使さまに驚いて、その前から気持ちの整理もついていなくて。頭から吹き飛びかけていたのだけど。よくもしっかり覚えているものだ。
「その僕がたまたま治癒術師だったから、手伝えと言うんですか。おかしくないですか?」
「何がだい?」
「目立った災害がないって。現に今、獣化の病に苦しんでいるじゃないですか。それはあなたが元凶だから、考えなくていいってことでしょう」
おかしいと思える。それをしっかりと、口に出せる。ついさっきまで、気持ちが縮こまっていたのに。
マルムさんも察したらしく、気に入らない風で目が細められた。
「そうではない。思い返してみたまえ、君が来てから何人が死んだ? たった三人だ。回数で言えば、一度でしかない。その三人にはかわいそうなことだが、他にこれほど死者の少ない町などありはしないよ」
三人。
覚えている。平和な朝と思ったら、お葬式の準備がされていた。
とどめを刺したというダレンさんは項垂れて。哀しみを堪えながら、手伝っていた。
遺体を拭くと、血と泥だらけ。無残に手足の折れ曲がった遺体もあった。
――あれを、たった三人と言うのか。
「よそはそれほど危険なんですか」
「そうだよ。流行り病、水害、火事。野盗や魔物に襲われるのも珍しくない。誰も死なない日はないと言っても良いくらいだ」
「そんなにたくさん……」
日本でも災害はあった。ニュースで全てが伝えられているわけでもない。
でも少なくとも、毎日なにごともありませんようにと祈る必要はなかった。それこそ巻き込まれた人は「運が悪かったね」と言われるほど、頻度が少ない。
その差を思えば、この町はおかしい。異常なほどに安全だ。これが本当に、住民のために作られた仕組みなら良かったのに。
「だからいい町、なんですね」
「分かってくれたかい?」
僕の同意に、ほっとした笑みが返る。それをホリィは、蔑むように睨みつけた。
しかし口は出さない。つまりマルムさんは、嘘を吐いていない。
――ああ、そうか。この人は悪事を企ててなんかいないんだ。それがこの人の当たり前なんだ。
「ふっ、ふだ、ふざけないでください!」
お腹の底から、気持ちの悪い熱さが滲みでる。吐き気に汚染された息が喉を衝いて、うまく言葉を発せない。
悲しいわけではないのに、泣きたくなった。頭に血が上って、湯気が出そうなほど熱い。
僕は生まれて初めて、誰かに怒っている。
「マルムさん。あなたもヒーラーになりたいと言いましたね。でも絶対に、あなたにはなれない。
僕も勘違いしていました。病気や怪我を、あっという間に治せるのがヒーラーだとね。でも違った。
法術だから。薬草を使うから。
自然の病だから。ケンカの傷だから。裏切られたから。恨んでしまったから。寂しいから。
僕が何者でも。どうして病んだのでも。そんなことは関係ない。
傷や病気は、もちろん癒やしてあげたい。けど、それだけじゃダメなんだ。
家族や愛する人、愛してくれる人。大切にしている物。
何よりその人自身を。
大切な何もかもを傷付かないように、傷付けないように――なんてことを考えさせない。
身体も心も元気なのが当たり前。そう勘違いさせるのがヒーラーなんです!」
僕がやりたかったのは、人を癒やして終わりでない。
心配ごとなんか僕に預けて、やりたいことをやってください。そう言えるようになりたかったんだ。
「あなたの法術はたしかに凄いけど、それだけでヒーラーなんて呼べません。この町に居たとしたら、ダレンさんだ」
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