第53話:約束を果たすために

 同じ事実を話すのにも、僕が「こうだろう」と突き付けたわけでない。レティさんが自分の知っていることを、あらためて口に出した。

 それが一つの真実を示し、初めてその目に疑念が浮かぶ。


「院長さまは、司教の位をお望みですか……?」


 司祭から一つ上がるとどうなるのか。聖職者でないダレンさんは、詳しく知らなかった。ただ少なくとも、教会内での権限は格段に上がるらしい。なにせこの国で司教位にあるのは、ほんの数人だそうだから。


「もちろんだとも。それがおかしいかな? 位階を上げるのは、至高神オムニアに近付くことだ。延いてはそれが、慕ってくれる信者たちの救いにも繋がるだろう」

「そ、そうですね。つまり司教となられても、この修道院に残っていただけるということですね?」

「そのつもりだよ」


 また。あれこれ話して積み重ねたものが、消えてなくなった。

 マルムさんは弁解をしない。僕が躍起になって、悪人と露呈させ糾弾しようとしているのに。

 事実と認めた上で、問題はないと証明してしまう。開き直りや、無理筋の正当化でさえない。


「シン。君が素材を探し回ったのと同じだよ」

「僕と同じ?」

「そうだ。司教になれば、これまで許されなかった書物の閲覧も可能となる。新たな法術が使えるようになるのだよ」


 修道院を頼ってくる人の問題は、怪我や病であることが多い。いままでは頑張れとしか言えなかった相手に、具体的な解決を与えられる。

 獣化を治すため。僕がある日居なくなっても、その薬を作れるようにするため。必要な素材を探し求めたのと同じ。

 そうかもしれない。それが目的と言うのなら、結果は同じだ。

 ――でもやり方が問題なんだよ。

 納得はできない。でも実験台にコーンズさんが選ばれたときと、やはり同じ。なぜいけないのか、誰もを頷かせる理由を見失った。


「シン。苦しむ人を癒やす者のことを、君はヒーラーと呼ぶそうだね。私も同じだ、そのヒーラーになりたいと強く思う。君は、私がそうなるのを望まないのか? 自分だけにその資格がある、と?」


 生きている間ずっと、病は人を縛る。思いのまま走ることも、見たい景色を見ることも、食べたいものを食べるのだって叶わない。

 そうでなければまだ何十年も生きられた審哉は、十代を半分終えたところで死んだ。

 寂しくて、つらくて、切なくて、申しわけなくて、腹立たしくて、苦しくて、哀しくて、悲しい。

 こんな想いから、一人でも救ってあげたい。僕がなりたいヒーラーとは、そういう存在だ。

 治癒の魔法。法術を使える聖職者を選びそこねた。後悔したけれど、それはもういい。治癒術師には治癒術師の、いいところがあると思うから。


「望まないなんて、そんな――」

「それなら目的は一致している。そうだね?」


 一歩。マルムさんの足が踏み出される。拳を振り上げたでない。むしろ僕を迎え入れるように、両腕が広げられる。

 ――怖い。

 手前にはレティさん。僕が何かしようものなら、即座に止めようと身構える。

 奥にはこの町の住民たち。表面上は僕を受け入れながら、マルムさんの反応次第で暴徒と化すだろう。

 ダレンさんの姿は、もうどこだか分からない。


「さあ。君は私を手伝って、この町のために尽くしてくれる。そうだね?」


 そういう彫刻のお面みたいに、見慣れてしまったマルムさんの微笑み。

 彼の感情は顔を見ても分からない。言葉の端々に、勝ち誇った威圧を感じる。


「まさかマルムさまを裏切るのか?」

「そんなことあり得ないわね?」


 聞き覚えのある、町の誰かの声。取り囲んだどこかから、早く答えろと次々に。

 こうなってしまっては、呑まれるしかない。でもそれは嫌だ。


「僕は――」


 マルムさんを認めない。答えはそうと決まっていた。けれど最後まで言うことはできなかった。

 思いもよらないひと声が、割って入ったのだ。


「人間たちよ、お待ちなさい」


 どこかで聞いた声。それは天上から重々しく響き、一陣の風を起こす。僕はそれで、目を瞑ってしまった。

 まぶたの向こうに、柔らかな光。それがふわっと広がったと思うと、何か積み重なるような音がどさどさっと連続して鳴る。

 恐る恐る、目を開く。


「あ……」


 見えたのは、町の人たちが残らず倒れた光景。とっさに駆け出そうとしたけれど、止められた。


「大丈夫。眠っているだけ」


 腕を突き出したのはホリィ。

 他に立っているのは、マルムさんとレティさん。それから師匠だけだ。


「人間同士の争いに加担するつもりはありません。しかし神の名を、偽りを広めるのに利用すること罷りなりません」

「ホリィ?」


 口調の違うホリィを、離れたまま覗きこむのはレティさん。


「私は天上に在り、神に仕える者。この娘の身体を借りて、今は話しています。この場には、約束を果たすため訪れました」

「天からの、御使い――」


 喘ぐように呟いて、マルムさんは片膝を突いた。目を丸くしていたレティさんも、慌てて続く。


「神を尊ぶ心はあるようですね。なればこそ、私に礼など不要です。示すのは真実のみを」

「お言葉ではございますが、私は偽りなど」

「謀る弁だけではありません。真実を述べないこと。それもまた偽りです」


 微笑みの面が硬直する。まばたきが増え、上目遣いの確認が何度もされた。

 大勢の住民たちを一瞬で眠らせたのは事実だけれど、天からの使いとは本物か。それを疑っているに違いない。


「疑うなら証明しましょうか? あなたが産まれてからこちら、どんな些細なことも私は思い出させてあげられますよ」


 ぐうっ。と呻きが漏れる。疑っていることくらい、誰にでも分かると思うけど。


「さて、今はシンというのだったかしら?」

「は、はい! えぇと、もしかしてあの時の……?」

「ええそうよ。約束したでしょう? 後悔はさせないって」


 やはり。審哉からシンに転生をしてくれた、あの天使だ。別れ間際の言葉を守るために、わざわざやってきたと彼女は笑う。

 もちろんその顔は、ホリィのものだけれど。

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