第52話:目的は形のない報酬
「ここへ来たばかりの僕には分からない。たしかに、たくさんありますよ。たとえばその、私利私欲がないとか。どうしてそんなことが分かるんですか?」
「見れば分かるでしょう!」
知らないふりをして、多くの言葉を引き出す。一つや二つは必ずある矛盾を追求すれば、相手は自分の言葉を否定することになってしまう。よほどの恥知らずでなければ、何も言えなくなる。
たぶん動画で得た、相手をやり込める話し方だ。言ってしまえば口げんかの方法で、その人とは険悪になってしまうだろう。
けれども今、ここを退いたら。この町はきっと、二度と正常に戻れなくなる。
そこに現れたのが僕とは、配役ミスも甚だしい。だけど僕の現実はこの世界だ。やり直しを要求しても叶わない。
ささやかながら、それが僕の覚悟だった。
「この服。この建物。毎日の食事は、豆か野菜のスープと、塩漬け肉が一枚あるだけよ。作ってる作物だって、求める人に渡しているのを知ってるでしょう!」
継ぎ接ぎの多い、色褪せた修道服。掃除は行き届いているけど、ヒビと補修跡だらけの修道院。
レティさんはいちいち指さして、清貧を訴えた。
「そうですね。大切に使われていると思います」
「この川を整備したり、排水路を造ったり。今回の水路だってそう。住民に協力を求めて、院長さまには見返りなんてないのよ」
「ええ。でもそれは町の人も無償なんだから、そちらも大変ですよね」
修道院の補修も師匠を始めとした職人さんたちが、タダでやっている。イトイアの株を分けてもらったのも同じだ。
「無償と言ったって、みんなには保障があるわ」
「保障? 誰がしてくれるんですか」
「決まっているじゃない。領主さまよ」
この仕組みも、ダレンさんから既に聞いている。住民の協力してくれた内容をマルムさんが報告すると、適正な市場価格で領主が買い取った形にするそうだ。
町の人たちは希望がそのまま叶うし、領主は自分がやるべき公共事業を肩代わりしてもらっている。
誰も損をしないやり方だと思う。
「そうなんですね。でもその収支をマルムさんがやっているなら、いくらでもごまかせます」
「計算は私に任せてもらっているわ!」
数字を任されているのは私だと。不正がないのを誰より知っているのは自分なのだと。声の大きさが自信を物語る。
だがあいにくと、僕にその辺りの知識はない。考えているのは、もっと単純な話だ。
「だから、飛び抜けて得をしている人なんて居ない。それが証明できるってことですね」
「そうよ。私みたいなどうしようもない女を、院長さまは信用してくれた。計算も字の書き方も教わった」
日本で義務教育を受けた僕には、一たす一も知らずに大人になる現実の想像がつかない。そういえばこの世界の言葉も、難なく使いこなしている。
不調を訴える人に治癒術師の知識を使うまでもなく、手を洗ったり歯を磨くのが大切だと言えた。
それはこの世界の人たちが、劣っているわけじゃない。この先現れるはずの誰かの成果を、たまたま僕が知っているだけのことだ。
だから僕にとっては当たり前のことに気付くことができる。ありがたいなんて先入観もないから、フラットに判断できる。
「すると町の人は、随分と得をしていますね」
「みんなが得を? そんなことはないわ。相場通りだもの」
「そうですか? 物を作ったり売ったりする手間が、なくなるんですよね?」
急に話を変えられたと思ったらしい。レティさんは「何を言い出したの」と、眉を寄せる。
「本来かけるはずだった時間がその一度で済んで、値切られたりすることなく満額が手に入る。みんなはその時間を、何に使ってるんでしょうね?」
イトイアの農家がいい例だ。株ごと全て売れれば、そこからの育成の手間が全てなくなる。その間に別の作物を育てれば二重に儲かる。
「そ、そうね。でもきちんと働いているのだから、いいことだわ」
「僕もそう思いますよ。領主さまも喜ぶでしょうね。税収が上がるんでしょうから」
「そうよ、いいことばかりじゃない」
盲点を突きにきたと警戒していたのか、レティさんは一瞬、表情を緩ませた。しかしすぐに引き締めて、釘を刺す。
「でもそれで院長さまが得をしたりしないわ。謝礼金などあっても、全て断っているもの」
「なるほど。褒められるくらいはするんでしょう?」
「当然よ」
褒められる。
僕の言いたかった、マルムさんの利益はそれだ。レティさんは、まだ気付かない。
良いことをすれば、褒められるのは当然。決して間違っていない思い込みに囚われているのだ。
「ところでマルムさんは、司祭でしたか。それだけの功績があれば、教会で昇進みたいなものはないんですか?」
「もちろんあるわ。ここ数年は毎年、司教の候補に挙げられているもの。まだお若いのに優秀だから、延ばされているのよ」
推薦権を持つのは老人が多く、妬まれている。そうでなければ、とっくに司教の位を得ているだろう。
憎き僕にマルムさんの自慢ができて、レティさんは誇らしげだった。鼻息も荒く、僕に反論の間を与えない勢いだ。
「寄付金も受け取らずに、獣化なんて病を癒やしたりして。きっと次は間違い、ない――わ?」
「へえ、それはおめでたいことです」
言いながら、やっと気付いたようだ。疑問の形に声を換え、レティさんはマルムさんに目を向ける。
僕は努めて平坦に、いわゆる棒読みで祝福を手向けた。
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