第55話:鉄面皮の崩れるとき
「君と私は分かり合える。まあ、落ち着きたまえ」
言いたいことを言って、僕の息は荒い。抑えようとしても勝手に漏れて、すぐさま返事ができなかった。
それをマルムさんは、いかにも「気持ちは分かるよ」と頷く。あまつさえ、手を差し伸べてくる。
――そのしたり顔をやめてくれ。
昂ぶった感情に震える手で、僕は払い除けた。
「何を言わんとしているのか、いま一つだが――つまり君は病を癒やすだけでなく、労れと言っているのだろう? 亡くなった者の家族を慰めたりね」
わざとらしく、僕の弾いた手をさする。当然のように、レティさんの睨みがこちらを向いた。
「違う。そうだけど、違う!」
「何が違う? 傷付いた心に労りの言葉をかけ、必要があれば物品や労苦も都合する。何もかも行き届くかと言われれば、たしかに完璧とは程遠い。そこのところかな?」
薬の実験をするのに、実はコーンズさんだったキツネを選んだ。長く修道院に居ても、縁者が名乗り出なかったから。
万一があっても、悲しむ人を出さずに済む。と、マルムさんは言いきった。
理由を聞いても、町のため住民のための判断に間違いなんてない。異を唱えた僕に、何が問題なのかを問いもした。
でもそんなもの、答えられない。対案を出せと言われたけど、あるものか。よくよく考えても、結果は同じだったかもしれないけれど。
――だけど、そういうのじゃないんだ。
「違う。違うんですよ」
「うん、どう違うのか聞きたいんだ。教えてくれるかな」
聞き分けのいい理解者然とした表情。繰り返す頷き。いやらしく同意を求める目は僕と、ホリィに向けられた。
マルムさんが一人で決めてしまわず、僕や他の誰かと一緒に悩んでくれれば良かったのか。
そうかもしれない。でもきっと違う。
この人は絶対に、一緒に悩んでなんかくれない。
「だって町のみんなを獣化させるのは、あなたの功績作りのためでしょう?」
マルムさんが大きな商人の子なのは、よく知られた話らしい。普通、子どもが教会に預けられるのは食い扶持に困ってとか、親も聖職者とかだ。
前者は躾を全くされていないから、規律の厳しい教会の暮らしに馴染むだけで苦労する。
後者は粛々と経験を積み、知識を重ねて出世していく。親が高位であれば、その速度はさらに早まる。
裕福な商人の子は、多額の寄付金によってそういう立場を得られるのだそうだ。生活に困った経験はなく、自分の資質と関係のないところで配慮がされていく。
教会に救いを求める人の気持ちが、分かるはずもない。
「――また唐突だね。いかに私が愚かでも、それが非道というくらいは知っているよ」
すぐには返事がなく、鼻から大きく息が吸って吐かれた。声に詰まったのか、呆れたのか。どちらとも取れる様子だ。
しかし一つ確実なのは。天使さまを前に、嘘を禁じられた彼は「違う」と言わなかった。
「聞きましたよ。司教の居る町があれば、国の中でも領主の権力が増すって。指折りで数えるほどしか居ない司教だから、当然ですよね」
「それは、まあ。そういう事実も一方である」
「だから教会に功績を示さないといけないんでしょう? 他の町では起こっている災害を、これだけ防いでますよって。その上に特別な事態も起きているけど、必死に対応してますよって」
そのためにマルムさんは、獣化の病を起こす。最上流にある修道院から、下流に毒の成分を流して。
無差別に罹った患者は、何も知らず修道院へやってくる。治癒すれば感謝され、できなければ新たな力を得る方便に。
治療行為そのものが功績として報告できるし、住民は感謝してあれこれと協力を申し出る。
一挙両得どころか、何得なのか。
「それはもちろん。もちろん、そうだ。起こったことは、報告するのが私の役目だからね」
やはり核心は認めないけど、あからさまな言い逃れめいてきた。それでも微笑が崩れることなく、汗が一すじ垂れるだけなのが怖ろしい。
天使さまは加担しないと言ったけど、マルムさんの最大の武器を封じてくれた。
「マルムさま。もう観念しましょうや――」
じっと見守ってくれていた師匠が、ぼそっとひと言。ため息と混ざって、とても悲しそうだ。
「この小僧、シンから聞きましてね。石を扱う連中に一人残らず訪ねたんでさ。するとどうだ、月閃鉱を仕入れてる奴は一人も居なかった。いいですか、一人もです」
ほとんど抑揚なく、師匠は話す。仕事の説明をするときと同じに、漏れのないよう。でも寂しそうに。
「聞きたいんですがね。どうしてあなた、月閃鉱をダレンとメナに運ばせたんです?」
「――それはご老体の言った通り、扱っている者が居なかったからだよ」
代表というくらいだから、町を出入りする物の流れも見ているらしい。自信が危ういのか、マルムさんの声は少し細まった。
「違うでしょうや。それが理由なら、あなたはそれこそ町の誰かに頼んだはずでさ。俺の知ってるあなたなら、そんな商売の機会を町の奴から奪ったりしねえ」
この町に生まれ、来る日も来る日も仕事に明け暮れた師匠。その人脈は派手でなくとも、マルムさんより深い。
その人が、嘘の証拠を突きつけた。
「俺は信じてたんだがなあ。どれだけ金や権力がちらついても、そりゃああなたの周りが勝手にやってることだって」
震える拳が、振り上げられることはなかった。愛息子を叱るように、師匠は感情を殺して言葉を紡ぐ。
「残念だよ。俺にはもう、あんたの言葉が聞こえねえ」
そう言われたから、ではないはずだ。マルムさんは奥歯を噛んで、沈黙した。
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