第49話:告発と告白と茶番劇

「メンダーナ!」


 答えを求める叫びに、メナさんも声を張り上げる。


「あたいもだよダレン!」


 言って、両手で顔を覆う。その仕草は悪行の片棒を担いだり、浮気をしたりという女性に思えない。

 純粋に照れているだけと見えた。


「それなら。ならばどうして、院長に協力する! 町の人たちを獣に変え、多くを命の危険に晒す企てに、なぜ加担する!」


 弾劾。町の誰もが心を寄せ、崇める代表者への。さっきまでの賑やかさが嘘のように、ぴたと声がやむ。

 すうっ、と。静寂の中、メナさんの血の気が引く音。聞こえるはずはないけれど、そう感じた。指の間から覗く目は細まり、ゆっくりと腕が下ろされる。

 ぐっと力をこめる風に、彼女のまぶたは閉ざされる。引き結んだ口許が示すのは、どんな感情なのだろう。


「院長の企て?」

「マルムさまの?」


 少しずつ。先にざわめき始めたのは、町の人たち。驚きと疑いと、訝しむ表情ばかり。知っていたと同調するような人は、少なくとも僕の目に映らない。


「院長さま――」


 両手を握りしめ、怒ったような迷うような顔がマルムさんに向けられる。返されたのは、場違いな微笑みと小さな首肯。

 意外な反応だったとみえて、メナさんの目が見開く。

 愛する夫に、真実を告白しても良い。察するにはそう受け取って、ぎこちなく何度か頷いた。


「ダレン! 月閃鉱がどう使われるか、あたいは知ってたよ! だけど仕方がないんだよ、あたいは院長さまに背けない!」

「なぜだ!」

「あたいは盗賊だったからさ。下手を打ってギルドに追われて、助けてくれたのが院長さまだ。そうでなけりゃ、あたいはとっくのとうに死んじまってる!」


 人々のざわめきが増す。

 メナは盗賊だったのか。しかし改心させるとは素晴らしい。そんなことより、月閃鉱がどうしたというんだ。

 祝いごとかと思えば余興が始まって、さらにそれが突然の告発。真剣な二人に固唾を呑んで見守る、とはさすがにいかない。


「それをどうして、俺に言ってくれなかった。メンダーナが望むのなら。二人で話せたなら、俺はどんな道だろうと、君と歩む覚悟があるのに!」


 その絶叫が、ダレンさんの本当に言いたかったことらしい。

 闇に墜ちるのだって、メナさんと一緒なら構わない。ここまでの想いとは、聞いていなかった。

 オンラインで出会った、あの戦士とは違う。この人は突き抜けた愛情を、優しさで覆い隠していただけだ。

 他人が聞けば。もしかすると当の相手さえも危ういと感じる、狂気にも似た愛情。

 そう思うのは、僕がものを知らないだけなのか。さてはこれが普通の感覚なのか。そう思いかけたけど、やはり違うようだ。


「愛は盲目なんだねえ」

「へっ。尻の青い小僧どもが、バカ野郎め」


 ホリィと師匠の落とした、独り言が教えてくれる。


「でもさ、ダレン。あたいがやってるのは、それだけだよ。月閃鉱を院長さまに渡すだけさ。言いわけにしかならないけどさ、その先は関わってないんだ!」

「それだけなのか? 君と院長とは、それだけなんだな?」

「それだけさ。他に何があるって言うんだい? あたいがあんたを愛してるのだけは、これっぽっちも嘘じゃないよ!」


 またはっきりと宣言がされた。けれどもみんな、それどころでない。


「修道院で悪事が?」

「そんなことがあるのか?」

「聞かれても知るもんか」


 そんなざわめきが大きくなって、収集がつかなくなっていく。


「シン、院長が!」


 ホリィの尖った声。促されて見ると、マルムさんの指がメナさんに向いている。

 女性と見紛うしなやかな指には、くすんだ銀色の指輪がある。それが鈍く光るのと、彼がひと言を呟くのは同時だった。


失神スタンを」


 僕にも声は、ほとんど届かなかった。唇の動きと、僅かな響きでそう理解できた。

 それに何より言葉の意味するまま、メナさんが膝を折って崩れ落ちる。


「メナさん!」


 そうなると予測した僕が、最も早く彼女の傍へ駆け寄った。これ以上の危害を加えられては堪らないと思ったから。

 メナさんの目は瞳孔が開いて、瞬きをしない。半開きの口からも、涎が垂れ落ちてくる。

 動かして良いのか。躊躇ったけど、肩を抱き起こした。


【メンダーナ。魔術式、失神の影響下。影響度は大。時間の経過により自然治癒する】


 ――魔術式? 魔術って、聖職者のマルムさんが?

 顔を上げると、マルムさんが目の前に居た。恐るべき指は、今度は僕に向けられている。


「偉大なる治癒術士、シン。メナの具合いはどうかな?」

「具合いはって――」


 顔の造作は、たしかに笑っている。だのにどうしてだ。僕の心は、それを笑顔と感じられない。

 垂れた目尻。上がった頬と口角。柔らかなセリフも含め、どう見たって優しい修道院の院長さまだ。

 形の上はそうなのに、怖い。僕の手はぶるぶると、恐怖に震え始めた。


「だ、だだ大丈夫です。しばっ、しばらく休めば」

「それは良かった。気分が高揚しすぎたのだろうかね」


 そういうシナリオらしい。僕の答えを待たず、マルムさんは事を進める。

 近くに居た町の女性たちに声をかけ、メナさんをベンチまで運ぶように頼む。そうしていれば治ると、僕の責任で。

 離れていたダレンさんは、何が起きたのか分からなかったらしい。ここでようやく「メンダーナ!」と、叫んで窓から顔を引っ込めた。


「ホワゾの町の人たちよ。私と君たちの友人、ダレンが何を指して言ったのか分からない。だが知ってほしい。人は常に、心を迷わせるものだ。事実を身誤ることなど、過ちとさえ数えられはしない!」


 ダレンさんの叫びは、単なる妄言だ。マルムさんは人々に、そう断定した。

 今やこちらに走っているだろう彼には、否定することができない。状況を作るのが狡く上手いと感心してしまう。

 でも事実を全て突き付ければ、これもその場しのぎにしかならないのでは。そう思うのが普通のはずなのに、僕の心は逆らおうとする。

 マルムさんに逆らえば、どうなるか分からない。言うことを聞いておけば、死なずにすむ。

 植え付けられた恐怖が、少しずつ体積を増しつつあった。

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