第47話:嫉妬に狂う男の覚悟
「いつからか、はっきりしない。しかしきっと、最初からだ」
ダレンさんの苛ついた脚が、細かく揺れる。組んだ両手が、ふた言ほども発する度に組み直される。ときに目を瞑って、息を大きく吸って吐く。
喚き散らしたい気持ちを、そうして押さえているのだと思う。
「気付いているかい? 院長さまは一人だけ、愛称で呼ぶんだ」
愛称と言われて、すぐにはピンと来なかった。
しかし、レティさんはレティシアと呼ばれていたし。と思い返せば、分かる。
「メナさんだけですね――」
「そうだ。いや分かってる。そんなもの、大したことじゃない。ただの呼び名だ。メンダーナは過ごした時間も長いし、そんなこともある」
それはたしかに嫉妬なのだろう。分かるかと言われると、実は分からない。
僕にはそれほどの感情を向ける誰かが居なかった。奥さんはもちろん、恋人も親友も。
ただまあ。誰のことも田中さんとか苗字で呼ぶ人が、一人だけ下の名前で呼んでいたら。
嫉妬はともかく、何か特別な人かなと考えるに違いない。
「だけど、院長さまの言いつけだけはどうしても守ろうとする。俺の知らないうちに、よく院長室に行っている。そんなのを見ていると、疑いたくもなるさ」
要するにメナさんが、マルムさんと浮気をしていると考えたのだ。
だとすればメナさんを抱き寄せる姿は、我慢ならないのかもしれない。そうさせた理由が、ダレンさんの凶行だとしても。
「違ったんだ」
「え?」
「浮気でなくて良かったのか。そのほうがましだったのか。俺にはもう、何が何だか」
「獣化の件に、メナさんも?」
そういえば僕は、メナさんと呼んでいいのか。気付いたけれど、今さらだった。
ダレンさんはそこに気を留めた風もなく、苦みばしった顔で頷く。
「毎回、彼女の背負い袋は月閃鉱で満たされた。重いから俺が持つと言っても、自分の役割だからいいと」
性格も格好も、男勝りな雰囲気のメナさん。けれどもレティさんと比べても、それほど屈強そうには見えない。
欠片しか僕は持ったことがないけど、他の石と同じような重さだった。あのリュックサックみたいな袋では、かなりの重量になる。
「ええと、でも疑うわけじゃないですが。実際にお二人は夫婦じゃないですか」
「シン、君はいい奴だね。それに、いい親の下へ生まれたんだろう」
「そう、ですね。すみません、そうだと思います」
なぜ僕の話に。僕の親の話になるのか。しかし、いい親なのは間違いない。最後に不満はあったけど、それ以外は感謝だけだ。
いやそれは嘘か。日々、叶えられない希望はあった。
でも満足に外へも出られなかったのは、僕の病気のせいだ。それを両親は手間とお金をかけて、どうにかしようとしてくれていた。
「シンが謝ることなんてない。でも世の中には、表と裏で正反対をできる奴も居るって知っておくといい」
知っている。
僕には「必ず治る」と言いながら、いつまで生きるものかと考えていた両親。それが親心なのかもしれないけど、僕には悲しい事実だ。
「そんな人は居ます。でもメナさんもそうと決まってるんですか?」
「それは……」
審哉だったときの僕に戻るのは不可能だ。余命を知らせなかった理由を聞くことはできない。
だけどまだ、ダレンさんは聞ける。半端に知って苦しむよりも、真実を知ったほうが絶対にいい。
「今の話じゃ、僕には分かりません。どうしてメナさんが協力するのか。マルムさんは、なぜこんな非道をするのか」
聞くべきだと言ってから、いま僕がしているのも決め付けと気付いた。僕がそう思うだけで、ダレンさんは違うかもしれない。
「院長さまの理由は」
やはり推測だけれどと、マルムさんの持つ背景が語られた。事情に疎い僕でも、それならと理屈が分かる。共感は出来なかったが。
ただしそこに、メナさんの居なければならない理由が見当たらない。ダレンさんの知らない何かが、まだ残っている。
「聞いてもみたさ。回収しそこねた月閃鉱を川底から拾って、それを証拠にね」
姿を見せなかった期間、ほとんど川に潜っていたらしい。いつも誰かの頼みごとを聞いていた彼だから、町の人も不審に思わなかった。
「院長さまは、メンダーナに口づけをした。新婚の夫婦がやるようにね。それに気を取られた俺は、まんまと部屋の外へ押し出された」
それが先日の真相なら、やはりあの部屋に月閃鉱はあった。今はもう、別の場所へ隠されたろうけど。
「法術で守られた扉が、君たちが来た途端に砕けた。してやられたよ。それで俺は、正気を疑われるしかない」
「つまり、メナさんのことは聞けてないんですよね」
「そうだ。でももう無理だ。目覚めてすぐに口止めされたんだ。メンダーナがどうなるか分からないってね」
それも一時の話で、頃合いを見て殺されるだろう。マルムさん自身にも、狂信的に慕う人たちにもそれは可能だとダレンさん。
「じゃあどうするつもりなんです?」
「コーンズを頼ろうと思うんだ。傭兵を雇うほどのお金はないけど、荒くれの知り合いも多く居るはずだから」
「そんなことしたら、ダレンさんがお尋ね者になるじゃないですか」
「黙って殺されるよりはいいさ」
その前に、シンもどこかへ去っていてくれ。話したかったのは、これで全部のようだ。ダレンさんは食いしばるようにして口を噤んだ。
「ダレンという戦士と、実は直接会ったことがないんです」
「俺と似てるっていう? どういうことだい」
唐突に言い出したのに、何の話だと止められることはなかった。
「僕の居たところでは、離れた人とも話したりできたんです。実際の姿形は分からないけど、言葉は交わせました」
すごい魔法だねと、彼はすぐに受け入れる。この世界からすれば現代日本とは、本当に魔法の国だ。
だけどそんな世界でも、限界はあった。
「その戦士が心配しないように、僕は身体が弱いとだけ伝えてました。実はいつ死んでもおかしくない病気だったんですけど」
「ええっ。それはもう平気なのかい?」
嫉妬深い最低の男。自分をそう評した人は、厳しい表情を一瞬で消した。「いまは平気です」と言うと、いかにも驚いたという顔で安堵の息を吐いてくれる。
「だからその人の心配は、僕にとって実は見当違いだったりして。でも本当のこともなかなか言えなくて」
「それきりかい?」
伝えるなら、両親の話が説得力はあったろう。僕も何となくなのだけど、それでもこちらの話をしようと思った。
そしてそれは、どうやら功を奏したらしい。
「メンダーナと話す機会を作ってくれる、のかな?」
「必ず」
他の何も聞こえない静かな部屋で、僕はダレンさんと握手をかわした。
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