第44話:互いの心情をぶつけ
ドンドンドンドンッ。
――んん。何だろう、まだ眠いのになあ。
ドンドンドンドンッ。
強く板を殴りつける音が、遠くで響く。目を覚ましたのは、まずそのせいだ。しかし寝ぼけた頭に、連続する律動が心地よくもあった。
――違う。誰かが助けを求めてるんだ!
ここは修道院。ここは獣化の病に脅かされる街、ホワゾ。
冷水を浴びたみたいに、覚醒の代償にはちょっとした頭痛があった。これくらいならすぐ治ると思うけど、作っておいた常備薬から鎮痛剤を飲む。喉も乾いているから、ちょうどいい。
「すまねえっ!」
階下にはホリィとレティさんが居た。既に扉は開けられ、どうやら訪問者は師匠のようだ。椅子を与えられて、カップの水をぐびぐびと飲む。
「すまねえ、こんなことになるとは思ってなかった」
「何かご自身を責められているのは分かります。ですが何があったのか、話していただけませんか? 私たちで解決できることかもしれませんよ」
顔じゅうにシワを寄せて、泣き出しそうにすら見える。口から出るのは反省ばかりで、聞くレティさんもどう慰めて良いか分からない風だ。ホリィと二人、手の届く位置に立って。肩でもさすろうと、腕を伸ばしかけては躊躇っていた。
「水路が――壊されちまった」
「水路が!?」
告白に叫んだのは、ホリィ。僕ももちろん驚いたけど、先を越されて声が出なかった。
「爺ちゃん、どうしてさ。あんなの壊したって、誰も喜ばないよ!」
「ああ、そうだ。どうして壊せるんだか、俺にだって分かるもんか!」
あの水路が獣化を治す為に必要なのは、町じゅうで知らない人など居ないはずだ。
単にそうするのが面白い、愉快犯という可能性はある。でもそれは、こんなときにも現れるものなんだろうか。
「うぅん。大型の獣が、通り抜けようとして壊れたというのは」
「ないとは言わねえが、そういう壊れかたじゃねえ。細かく砕いてあるんだ」
野生の獣への対策に、支柱を守る柵が設置された。それでいて、通路も十二分にとってある。
これを壊すとなると暴れ狂った熊とか、象みたいな想定以上に大きな獣か。だがそれなら真っ二つに折れるとか、そうでなくとも大きな破片ばかりになる。
砕いたところで、治す手間に大差はないのにと師匠は言った。
「深い恨みでもあるということ? 関わる人間に執着があって、その腹いせに?」
僕が来たのを気付いていたらしい。振り返ったレティさんは、僕のせいだとばかり睨みつけた。
「やめなよ、シンはそんなことしない。レティさんだって、もう分かってるでしょ?」
知らないうちに恨みを買っている。自分に限ってそれはない、と言いきれる人が居るのか。
僕に代わって、ホリィがかばってくれた。
「分かるもんですか。治癒術師なんて、無法者しか居ないのよ」
視線が逸れた。ホリィが言うように、レティさんも僕の評価を改めかけているのかもしれない。
だとしたら嬉しい。急ぐことはない、人の価値観なんて無理にどうこうできないのだから。
「そんなことを言うなら、やったのはレティさんじゃないかって話になるよ」
「どうして私がそんなことを!」
指摘されて息巻いたレティさん。でもすぐに「ああそうね」と、開き直ったため息を吐く。
「治癒術師に恨みを持つ。見る限り、私以外に思い付かないわね」
「おい俺は、お前たちに争ってほしいわけじゃあ……」
落ち込んでいる師匠は、いつもの豪快な声が出ない。それでは売り言葉に買い言葉の女性たちに、迫力負けしてしまう。
「いい加減にさ、治癒術師ってだけでそんなこと言うのやめなよ。憎いのは、酷いことをした奴らだけでしょ?」
「ええそうよ。とても人当たりが良くてね、『いい人だ』って周りは言うのよ。違うって分かったときには遅いの」
師匠や水路を置いて、二人は口論を始めてしまった。
唾をかけあうくらい顔を近付けて、次は胸ぐらでもつかみそうだ。「やめてください」と僕が言っても、耳に届いていない。
「じゃあどうして、あたしは信じてくれるのさ。メナさんは? ダレンさんも、昨日までは信じてたでしょ!」
「信じるわ。疑う理由がないもの」
「シンとどこが違うんだよ! 院長だって、何もかも嘘だったらどうするのさ!」
パァン。
乾いた音が、ひとつ弾ける。振りぬいた平手を、その持ち主が驚いたように引っ込めた。
思わずやってしまったという風なレティさんの口から、「ホリィ」と謝罪の言葉が転がりかけて止まる。
「治癒術師なんかと、院長さまを一緒にしないで」
言い捨てて、目が伏せられた。
ホリィの頬が、じわり紅く染まっていく。横を向かされたまま、さすったりもしない。呆けているようでもあった顔に、怒りが満ちていく。
「このっ!」
「やめてください!」
反撃に出ようとする腕。静止を叫ぶと同時、僕はつかんだ。怒気をはらんだホリィの目が、僕を射殺そうとする。
けれど逸らさない。
「お互いが相手を決めつけて、罵り合う。そんなこと、やめてください」
どうして止めたかったのか。そうと考えていたわけでないのに、自然と滑り落ちてきた。
もう一度、僕は繰り返す。
「お願いだから、やめてください」
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