第43話:あたしは裏切らない
今日のことは一旦忘れよう。そうすればダレンに何があったのだとしても、また仲間として受け入れられる。
そうマルムさんが言って、それぞれの部屋に篭った。食事をバラバラにとったのも、ここへ来て初めてのことだ。
「ないとは思うんだけどさ」
もちろん僕とホリィも自室に戻っている。それぞれのベッドに座り、向き合ってはいても視線が別々を向く。
ただ。対象が何かを言われずとも、問いの意味を勘違いすることはない。僕が言葉少なく考え続けているように、きっと彼女もダレンさんのことしか頭にない。
「院長とメナさんが――なのかな?」
「二人が?」
いくら夫でも、あれだけの怒気を撒き散らせばメナさんも怯えるだろう。それを気遣っていたマルムさんに、僕は不審を感じなかった。
その二人がおかしいと言うなら、聞いてみたかった。けれどホリィは首を横に振る。
「何でもないよ。やっぱりそれはない」
「だから何が?」
「他に気付いたこととかある?」
僕の問いは綺麗に無視された。思い付いたが口に出すのもバカバカしい、という類なのだろう。まあまあ、そんなこともあるさと気にしない。
ともあれ、他にと言われても。探偵でもあるまいに、現場観察などしなかった。
――どうでもいいけど、この世界に探偵って居るのかな?
「僕はないけど、ホリィは何か?」
「一つね。ちょっとだけ、雨上がりみたいな臭いがした」
「雨上がりの臭い?」
「分からない? 雨が上がって、乾いていく地面とかの臭い」
「ああ、それなら」
雨の止んだあと、アスファルトに上がる水蒸気を踏み分けると鼻についた。生臭いとでもいうのか、独特のあれだ。
いい匂いではなかったけど、嫌いでもない。病院の駐車場は広くて、掃除が綺麗にされていて、よく感じた。
「でも院長室で?」
「そう思うよ。ダレンさんを縛るときに感じたから」
「ダレンさんの匂いじゃなく?」
「人と物の違いくらい分かるよ」
たしかに服を着た人が濡れているのと、服だけが濡れているのは違う。だとすると、あの部屋に濡れた物があったことになる。
院長室には、多少の本があったように思う。だからとそれで、水気厳禁とまではしないはずだ。
しかし飲み物を持ち込んだくらいでは、そうならない。では何がと考えて、ふと思った。
「それは濡れた何かがあったんだろうけど、それがどうかするの?」
「どうもしないよ。普段はないから、気になっただけ」
普段はない臭い。普段とは違うこと。マルムさんの普段の行動を、かなり見てきたとは思う。その中に、水気に関わることがあっただろうか。
――作物を洗うときくらいかな。
そうやって日常の景色を思い浮かべるうち、ひとつ引っかかる記憶があるのに気が付いた。
「ねえホリィ。ダレンさんてさ、町の人の頼みを引き受けるのが仕事だよね」
「そうだよ?」
「それって、町の外ばかりなのかな。たとえば力仕事なんかを、町の中で手伝ったりとかしないのかな」
急に何を言い出すのか、彼女は訝しむように首を傾げる。けどすぐに「うぅん」と記憶を辿って、答えてくれる。
「手伝いはしてるよ。でもお金を貰う仕事としては受けないんじゃないかな。あくまで、お手伝い」
「そっか。親切だもんね」
町を出て遠出するのは、報酬を貰っての仕事。街中でたまたま頼まれるのは、親切からの人助け。
――だとすると、あれは何だったんだ?
助けを頼んだ相手を置いて、依頼者がどこかへ行くものだろうか。その人に何も告げず、あのダレンさんが依頼を放ったらかすだろうか。
絶対にないとは言えない。けれどもおかしいと、僕の勘が告げる。治癒術とは関係のない、ただのシンとしての気付き。
「頼みがあるんだけど」
ホリィの目の前まで数歩を歩き、彼女の手を取った。なぜそうしたのかと聞かれても、はっきりは答えられない。
たぶん僕の考えていることが、この町では非常識だから。それが事実であったとき、何人かの人が絶望を感じるから。
だから大きな声では言えず、ホリィくらいは信じてくれるように願掛けのようなものだったに違いない。
「え、あ、あらたまって。何さ?」
「探し物があるんだ。明日、付き合ってほしい」
「探し物? そんなの、いくらでも付き合うよ。どうしたっていうんだか」
きっと治癒術に必要な物と勘違いをしている。僕は正すべきなのか、迷った。
日はすっかり落ちて、真っ暗のはずだ。窓を塞ぐ布越しに、外の景色を思う。
「どうしたかは、探し物が見つかったら言うよ」
「うん、それはいいよ――」
僕の葛藤を、ホリィも察したようだ。じっと目を見張って、結局なにも言わない。
いや。明かりを消したあとに、言ってくれたのだった。
「誰だって、言いたくないことはあるもんだよ。あたしにもね。でもその理由が、あたしを信用出来ないっていうんだったら。大丈夫だよ。あたしは、あんたを裏切らない」
目の慣れていない闇の中、ホリィがどんな顔で言ったのか。何と答えたものか迷っているうちに、彼女の寝息が聞こえ始めた。
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