第42話:凶行を働いたは誰か
調理場の真上は、ホリィと僕の部屋だ。その近くは、子どもたちの部屋。ざっと見回したけれど、破壊の跡がなければ音もしていない。
「院長室のほうだよ!」
「院長さま!」
音がしたのはまだ上か、それとも同じ階か。方向に迷ったレティさんを、ホリィが先導する。
ちょうど行き違えるほどの通路も、走れば狭く感じた。だのに距離は、いつもより遠く思う。二度、角を折れた先でホリィが叫ぶ。
「ダレンさん、何やってんのさ!」
「うおおっ!」
雄々しい声。どちらか分からないが、「ひっ」と短い女性の悲鳴。数歩遅れて曲がり角へ立つと、ホリィとレティさんがまとめて圧し掛かってきた。
不意だったので、身構えるのも間に合わない。三人折り重なって、僕は下敷きだ。
と言っても二人とも軽くて、ほとんど痛いとも感じなかった。それより彼女らを弾き飛ばした何者かが、さらに危害を加えるほうを心配せねば。
「ダレンさん!」
「ダメよ、ホリィ! 危険だわ!」
危険な何者か。部外者の凶行と思いたいのに、二度も名が呼ばれた。
二人が立ち上がって、ようやく僕にもその姿が目に入る。それは紛れもなく、優しい戦士のダレンさんだ。
いまはそんな風にとても見えない。愛用の斧を振りかざし、院長室の扉に叩きつける。一撃ごと確実に刃が食い込むが、亀裂はそれほど広がらない。しかし破壊は時間の問題と思われた。
――どうしたっていうんだ。あんなに怒り狂って、僕たちには目もくれずに。
たぶんホリィは、見つけてすぐ飛びかかったのだ。それを彼が振り払い、後続のレティさんもろとも僕に衝突した。
つまり、こちらのことが分からないわけじゃない。憤怒の化身とも思えるあの形相は、この部屋の住人。おそらくマルムさんだけに向けられている。
「レティシア、そこに居るのか!」
「はい院長さま、これはいったい!」
「私にも分からない。話していたら、急に暴れ始めたんだ!」
壁越しに話しても、やはりレティさんには刃が向けられない。「白々しい嘘を吐くんじゃない!」と、怒りの咆哮はマルムさんへ。
と、そのとき。ひと際大きな音がした。鋼の斧頭が無垢の板を裂く、メキメキッという破壊音。刃を跳ね返す勢いの頑丈さを見せていた扉が、急に寿命を尽かせたように。
崩れ落ち、弾け飛ぶ木片。その向こうに見えたのは、メナさんを抱き寄せたマルムさんの姿。
「彼の者の心より、秩序を奪い給え!」
彼の腕は、襲いかからんとするダレンさんに向く。その先から、力強い声が光となって迸ったように見えた。
いや、事実そうだったのかもしれない。きっと神さまに捧げる祈りの言葉が、法術として効果を表したのだ。
「ぐうっ……」
まだ何か言おうと、呻きが漏れる。その場に斧が落ちて、空いた手は宙をつかむ。
だが、糸の切れたように。ダレンさんは顔から倒れ込み、動かなくなった。
「だ……」
「院長さま、まさか!」
まさか殺したのか。マルムさん以外のみんなが、そう考えたようだ。メナさんは言葉を失い、レティさんは心服する師に驚愕を向けた。
「いや、強制的に眠ってもらった。気力を奪っただけだから、数日で元に戻る」
「ダレン!」
心配はないと聞いて、ごちゃごちゃになった感情が溢れたのかもしれない。メナさんは泣き喚きながら、夫の身体へ縋りつく。
ダレン。ダレン。と何度も名を呼んで、揺すり続けた。
「院長さま、これは」
「分からないんだ――しかし、すまないがホリィ。ロープを持ってきてくれないか」
レティさんは先の質問を繰り返した。マルムさんも同じ答えをする。ただし、もしもすぐに目覚めては危険だと、拘束用のロープを頼んだ。
「彼はどうしたと言うのでしょうか」
「私はメナと話していた。シンが月閃鉱を探しているようだから、まだ残っていれば分けてやれないかとね」
疑ったのではないと思う。自然な流れとして、レティさんはメナさんに視線を向けた。けれど気付かない。
「残念ながら、もう削りかす程度しか残っていない。そんなことを言ったときだったと思う」
「いきなり斧で?」
「そう。何か言ってはいたが、聞き取れなかった。危険と判断して【
どうやらそれは、法術の種類らしい。僕たちは、その直後に駆けつけたことになる。
「なるほど、全く以て意味不明の状況ですね。しかし院長さまの【護り】を破るとは」
「こうなると怖ろしいくらいに、優れた戦士だよダレンは」
倒れたままのダレンさん。ぐすぐすと鼻を鳴らすメナさん。二人を囲んで、それ以上に話すことは当面なかった。
すぐにホリィが戻ってきて、彼は縛られる。子どもたちを守って、様子を窺いに来た侍祭も、事実に言葉を失くす。
「本来はすぐにでも警備隊に引き渡すところだけどね。他ならぬダレンのことだ、事情をもう一度聞くとしよう」
「寛大なお心はご立派ですが――では、地下の檻に入れますか? もしかすると、獣化の兆候かもしれませんし」
レティさんの提案は、非情だった。でも獣化の脅威に晒され続けた侍祭は、気が進まないながらも賛成と言う。
きっと僕が非情と感じてしまうのは、本当の意味で被害を受けていないからだ。そう思うと、否定を口にできない。
しかし、それを言った人が居る。
「それには及ぶまい。縛ったことだし、鍵のかかる部屋へ入れるだけにしておこう」
「分かりました、そのように」
レティさんも動揺が隠せない。けれど忠実に、マルムさんの指示を遂行した。命じた当人は、胸に溜めた何ごとかを押し出すように、ふうっと息を吐く。
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