第39話:その目標に突き進む

 それからの修道院は、ひとり残らず誰もが忙しくなった。

 測量のできる侍祭が、同じく町の人と水路を引く場所を測る。指揮を執るのは、もちろん師匠だ。

 その数値を元に、図面を起こすのも師匠。ただしそれに必要な計算と、実際に描くのは子どもたち。


「さあ、数学の時間よ! 知らないって、損をするの。自分のために頑張りましょう!」


 驚いたことに、それを言い出したのはレティさんだった。彼女は、用意された問題だけでなく、現実の仕事にどんな計算が必要か教えたいと。これにメナさんも協力する。

 無学だったレティさんは、苦しい時間を過ごしたから。聖職者になるため、マルムさんにたくさんのことを教わったから。今度は自分がそうしてあげたいと言った。

 僕への疑いを晴らしたわけでなく、目の前にある機会は活かさなければと考えたらしい。「これが偽りなら、至高神の天罰があるわ」だそうだ。

 修道院に居るだけでなく、学問所に通う子らがほとんど来たのだと思う。師匠は思うように図面を描かせ、良いものを直させる方式で採用していった。


「シン、これで全部かな?」

「そうです。たくさんあってすみません」

「いや。枯れたりするのを思うと、もっと用意しておきたいところだよ。しかし君の負担を考えれば、そうもいかない。歯痒いね」


 表の畑の一部に、イトイアを植えた。工事が終わるまでは普通に育てて、苗木にする。その分だけは、僕の生命力への影響が減るから。

 図面が完成する前に、おおまかな予測で百株以上が必要だろうと分かった。だからおおよそ、その倍の二百株を用意した。


「正確な数が出た。百と八株必要だ」

「百八ですか――」

「どうした?」

「いえ、何でもありませんよ」


 なかなか因果な数字だけれど、この世界に仏教はない。ひと株ごと想定通りの収穫ができると限らず、最終的には百五十株を育てると決まった。

 ひと株で三ヶ月と考えれば、三十七年。分け与える僕の寿命はそれだけだ。今の年齢を足すと五十三。この世界の平均寿命より、ちょっと低いくらいらしい。

 それでも、一旦は終わった人生をもう一度やり直しているのだから。いまこの時間は、ボーナスタイムのようなもの。それが終わるだけさ、と。悩むのは後回しにする。

 回避する方法が見つかれば、悩む必要もなかったことになるのだから。


「ほらほら。もたもたしないで、早くゆっくり食べちゃって」

「無茶を言わないでよ」


 ホリィはこれと役がなくて、忙しそうなところを走り回っていた。その合間に、僕がきちんと食事をしているか、夜には身体を拭いたか。そんなチェックと面倒をみてくれる。

 自分で言うのも何だけど、僕は僕で忙しくしていたのだ。


「これはシンのためだそうだよ」

「うわあ……」


 畑の隅のデッドスペースに、石積みの部屋が作られた。中には炉や水瓶、大きな長机なんかが用意されている。

 僕専用の、調薬室だ。


「ここへ毛布を持ち込んで、ずっと方法を考えようかな」


 これまで薬を作ろうと思うと、調理場を借りるしかなかった。それでは道具をいちいち全部片付けなければならないし、調薬に使った物が残ってしまうのも良くない。

 この部屋があれば、ちょっとやってみたいこともすぐに試せる。


「ダメだよ。あんたやり過ぎるから、ずっと寝なくなるだろう? 夜はあたしと一緒に寝るんだよ」

「何だ、お前さんたち。そういう仲か」


 心配はありがたいのだけど、誤解を招くホリィ。聞いた師匠は、にやともせず真に受けた。


「そうなんだよ。シンは、あたしが居ないとダメなんだ」

「なるほどなあ」

「違いますよ!」


 なんて、バカな話はともかく。治癒術師の知識を引きずり出す作業に、僕は明け暮れた。

 畑の隅々まで。町の至るところを。近くの森も行ける限り。歩き回って、あらゆる物に触れる。危険だからと、ホリィやメナさんも付き添ってくれた。

 そうして気になった物を持ち帰り、弄くり倒すのだ。その一環で、最初に作ったのは痰の薬だった。


「師匠。調薬室の試作一号です。使ってください」

「試作だあ? 俺を実験台にしようってのか」

「そんなつもりじゃ――すみません、もっと自信を持ってお渡しできる物を作ってから出直します」

「誰が要らねえって言ったよ」


 そんな風に、素材を集めた副産物として色々な薬が出来上がる。

 工事や畑を手伝ってくれた人。貧しくて薬を買えない人。たまたま見かけた具合いの悪い人。

 出逢った人たちに、受け取ってもらった。

 そんなことをひと月も続けていると、僕を頼って修道院へやってくる人も増えた。

 

「マルムさまの法術は、当然に素晴らしいのだけどね。もしものとき、手許にあるって心強いものよ。あなたの薬も、また素晴らしいわ」


 ある、おばあさん。それまで会ったことのない、名前も知らなかった人が。同じ薬を二度目に渡したとき、言ってくれた。

 鼻の奥が熱くなって、慌てて堪える。どうも自分で思っているより、僕は泣き虫らしい。

 おばあさんが帰って、呟いた。


「僕は、ヒーラーになれたのかもしれない」

「ああ、そうだよ。町のみんな、あんたが来てくれて良かったって言ってるよ」

「ホリィ、居たの? 恥ずかしいね」

「恥ずかしくなんかないよ。自慢したっていいくらいなんだから」


 誰も居ないと思っていた調薬室に、彼女が来ていた。今度は食事だろうか、それとも畑を見ろと言うのか。

 僕はこの世界に居場所のできたことを、心から感じていた。充実して忙しいけれど、なぜか時間はゆったりと進む。

 そんな中、ひとつだけ気になることがある。


「ダレンさんは、今日も居ないの?」

「そうだね。毎日帰ってはくるんだけど」


 あの優しい戦士とは、しばらく話せていない。

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