第36話:人生最悪の二者択一

 イトイアの果実を、ひとつずつ値踏みするように。存分に眺めながら丁寧に、師匠は採っていく。


「死にたいのか、って。どういう……」


 問い返しても、その手は止まらない。助けを求めてマルムさんを見たけれど、首を傾げるだけだった。

 いちばん近くに居たホリィが、同じく実をもぎながらまた問うてくれる。


「爺ちゃん、何のことか教えてよ。シンは自分のことを、ちゃんと覚えてないんだよ。記憶がないんだ」

「そうか」


 腰がつらくなったのか、師匠は地面に座った。それからまた、低い位置にある実を採り続ける。


「俺は薬なんて大層な物は作れねえ。法術も魔術も使えねえ。だがそういう知り合いは、たくさん見てきた」


 治癒術師と、聖職者と魔術師。その三つを出したことに、意味があるのか。共通するのは、普通では起きない現象を起こせるという点だ。


「法術には、法力ってのを使うそうだ。魔術なら魔力。詳しく知らねえが、俺が仕事で体力を使うのと似たようなもんと聞いた。メシ食って寝れば戻るってな」

「そう、その通りです」


 師匠の視線が、ちらとマルムさんに向いた。答えて肯定が返される。


「それなら治癒術は、何を使う?」

「何を――?」


 ゲームで言うなら、MPとか精神力とか。そんなものではないのか。

 前にマルムさんが言ったように、目に見えるものでない。でも気力で動くとか、体力以外の部分はきっとある。

 しかし師匠の言い分は、治癒術師に限って違う。そういうことだ。


「生命力だよ」


 体力でも気力でもなく、生命力。

 それは結局、体力ではないのかと。疲れて、ご飯を食べて、眠れば回復するのでは。と思うが違うらしい。


「薬を一つ作るたびに、お前さんの寿命は縮んでるんだよ。なあに、大したことはねえ。一生からすれば、誤差みたいなもんだ。酒を毎日かっくらうほうが、よっぽどだとさ」


 生命力とは寿命のこと。などと言われて鼓動が一つ、高く鳴った。

 心配は要らないと言われても、なかなかに強力な脅し文句だ。そんなバカなと思いつつ、どこかひやりとする気持ちを否定できない。

 それを察してもいまいに、師匠は「だが、こいつはいけねえ」と声を落とした。


「聞いた話で悪いがな。こいつは草木に、お前さんの寿命をそのまま分けてやる行為だそうだぜ?」

「寿命を分けるって、どう違うんでしょう」

「さあな、細かいことは知らねえよ。分かるのはそうさな、お前はいまこのイトイアに三ヶ月分ほども命を渡したんだ」


 ごくり。音を立てて唾を飲んだのは、僕だけでなかった。

 タバコを一本吸うと、寿命が五分縮む。そんなのを聞いたことはある。それと似たような話なのか。いやそれとはまた、桁が違いすぎるけれども。三ヶ月とは、僕は二万本以上もタバコを吸ったことになる。

 ひと株に三ヶ月とすれば、たった十株で二年以上。これが本当なら、たしかに自殺行為だ。


「いやご老体。そのような話、聞いたことがないのですが」

「そりゃあそうだろ、俺が若いころの話だ」


 僕と同じことの出来る治癒術師は、昨今存在しないと誰もが言う。だからマルムさんも知らない。

 根拠は何もない。

 そう言えばきっと師匠は、そう思うならそれでいいと黙ってしまうだろう。


「生涯どれだけの薬を作ったか数えきれないって仲間が、飢饉で畑を助けようとした途端に死んでいった。生き残った治癒術師から、理由も聞いた。俺が教えてやれるのはそれだけだ」


 やはり。どうしても止めるとは言わない。信じようが信じまいが、どちらでもいい。好きにしろと。

 出会って数日の老人が、いきなり何を言い出すのか。根も葉もないことを言って、からかうのか。

 もしかしたら僕は、そう思うかもしれないのに。農家のご主人が、あれほど心象を気にしたマルムさんの目の前で。


「どうして見ず知らずの僕に、そこまで言ってくださるんです?」

「長く生きた人間の勤めは、若い奴の足を引っ掛けることじゃねえ。勢い止まらなくなった奴の、つっかい棒になることさ」


 言えることは、もう何もない。師匠はそんな風に、下を向いてしまった。もいだイトイアの果実から、殻を除く作業に没頭する。


「爺ちゃん、物知りだねえ」


 ホリィはそれだけを言って、作業を手伝い始めた。マルムさんは難しい顔で、分からないと首を横に振る。


「シン。あんたがやりたいようにすればいいさね。急がなくたって、時間をかけりゃできるんだから。みんなもう何年も耐えてて、今さらだからねえ」


 そう言ってくれたのはメナさんだ。マルムさんも頷いて同意を示す。ここに居るみんなが、僕の好きにしろと言う。

 なかなか。いやかなり、相当に厳しい二者択一だ。

 予定通りにイトイアとミヌスを増やしたら、どれほど寿命を縮めるのか。きっと百株や二百株では足りない。

 けれどもそれは、何十年もの寿命と引き換えだと忠告された。

 かたや、町の人に待ってもらうとしたら。今日か明日か、犠牲になるのは自分か家族か。そんな恐怖を、続けさせることになる。

 イトイアを栽培するのに一年か二年。その後にミヌスを、三年から五年。


「少し、考えさせてください」

「もちろんだとも。くれぐれも無理をしないようにね」


 ――命が惜しいから、五年以上も待て。そんなことを僕は言わなければいけないのか? それともみんなのために、自分を犠牲にすべきなのか?

 ひどい選択もあったものだ。僕は誰も居ない場所を求めて、当てもなく足を動かした。

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