第35話:これから先のことを
「こいつはすごい。昔、弟子を取ってたような奴でも、こんなにはならなかったぜ」
目を見張らせたまま、師匠が呟く。ホリィは知らせてくると、たぶんマルムさんを呼びに行った。
「お前さん、平気なのか」
果実のひとつを摘んで、師匠はそれを手で割った。殻から溢れていただけでも、綿状のイトイアは手にはみだすほどだ。
それが中から、その五倍以上も膨らむ。たった一つの果実でこれだけとは、この一本で用が足りるかと錯覚しそうになる。
「え? ええ、疲れたとかの感覚はないですよ」
「そうか――」
見下ろす目が、じろじろと僕の身体をまさぐる。座ったままで、立てないと思われたのか。そう思って立ち上がり、「大丈夫ですよ」と念を押す。
「それならいいんだがな」
「どうかしたんですか?」
「いや。綺麗なイトイアじゃねえか。こんな真っ白なのは初めて見た」
明らかに、はぐらかされた。けれど強引に聞いても、たぶん答えてはくれない。
それにそうだ。採取した綿の画像を見たことがあるけど、茶色いのがかなり混ざっていた。しかしこれは、中まで全て白い。
僕も一つ取って割ってみると、やはりそれも同じ。真っ白に育てと僕がイメージしたから、なのだろう。
「やあシン。うまくいったのかなんて、聞くまでもないね。自然にこんな育ち方をするはずがない」
ホリィに連れられたマルムさんは、まだ遠いところから声を上げた。後ろに続くメナさんも、拍手をしてくれている。
見ての通りですと、さっき取った実を渡した。まだいくらか残っていた殻が器用に分けられて、繊維だけになる。それを彼は、頬にこすりつけた。
「腰もあるね。良い糸になると思うが、これを巻きつけるんだったかな?」
「そうです。湯を運ぶパイプへ、冷たい空気が触れないように」
成長を操作する実験に、せっかくだからイトイアを使えと言ったのはマルムさんだ。
薬の材料であるミヌスを増やせばいい、という案に異論があるとも言っていた。理由はともかく異論とは、やはり温泉を引くことらしい。
「それがどれほど効果のあるものか、私には分からないが。君を信用するよ、やってみなさい」
「ええとそれは、回り道になってもイトイアを栽培すると?」
そうだ。マルムさんは、力強く頷く。通りかかった侍祭に、表の畑のどこかを空けるように指示まで出した。
「シンはいつか、ここから居なくなる。いや出て行けと言うのではないよ。君もいつかは命尽きるからね。出て行く機会は、それまでにシンが決めればいい」
どさくさに、死ぬまでここに居てもいいと。ありがたい言葉があった。でも本題はそこでないと、感謝も言わせてもらえない。
「しかし人は、ここに居続ける。誰が、でなく。街がね。すると獣化の病もまた、残り続ける。シンも私も居なくなったとして、人々が対処できる術を残しておけるほうがいい」
病の原因は、まだ分かっていない。
それはいま起こっている状況が収まっても、また同じになる可能性が高いということだ。
たしかにそのとき、特殊な技能がなくてもどうにか出来たほうがいい。そうでなくては困る。
「レシピを残してくれるなら、誰でも作れるだろう。それが無理でも、町に治癒術師は居る。シンほどでなくともね」
「それは――」
メナさんと師匠も「なるほど」「深いお考えだ」と感心していた。
僕もそうだ。目の前のことだけで、先々なんてこれっぽっちも思っていなかった。
「レシピもシンの技能。財産だからね。無理に公開しろとは言えないよ。ただ厚かましいのを承知で、お願いしたい」
「そんな、そんな! 厚かましいなんて。いいですよ。っていうか、そのつもりですよ」
そのつもりというのは、我ながら盛ってしまった。異論はないと言うつもりだったのだけど、僕も見栄っ張りだ。
「ありがとう。シンの名は、きっとこの町に残り続けるよ」
「それは恥ずかしいんですが」
まさか銅像でも建てられるのか。勘弁してほしいと言ったのは、半ば本気だ。残りの半分は、まさかありえないという意味で。
だがマルムさんは、さらにそれを笑って冗談にした。
「あはは、大丈夫だよ。私がそうしろと誰かに言うつもりも、権限もない。町のみんながやりたければ勝手にそうなるさ」
「それは全然、大丈夫じゃないんですが」
せめても抵抗したかったが、権限がないとなっては効果もない。諦めて、やるべきことをやらねば。
「じゃあ早速、イトイアを植えてきます。様子を見ながら、どんどん収穫していきますね」
実験したひと株から、イトイアの繊維が山ほど採れるはずだ。もちろんそれだけでなく、種も大量に。
これを繰り返せば、ミヌスの栽培だって今日か明日には始められる。
「あっ、そうか」
「どうしたね?」
「温泉を引いて、ミヌスが育つようにして。それで待つ必要はないですよね」
「ミヌスも同じように、高速で増やすということかな?」
――なぜ気付かなかったんだ。イトイアかミヌスか、どちらかだけに限定する必要はないじゃないか。
そう言うとマルムさんも、無理をかけてしまうがと遠慮しつつ「助かる」と言った。
早く治してあげられるなら、それに越したことはない。
「忙しくなるね。あたしも手伝うよ」
ホリィも腕を捲って、やる気十分だ。
これでこの町を襲う凶悪な病が、一掃される。みんなそう予感しているのを疑う余地はない。
「お前さんがやりたいものを、どうしても止める気はねえ。だが一つだけ聞いておく」
ただ。そんな風に、重々しく口を開いた師匠を除いて。
「お前さん、死にてえのか?」
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