第32話:次から次への難問が
「師匠。地中にパイプを通すことって出来るんでしょうか」
「あん? そりゃあ出来るだろうよ。マルムさまが作らせた排水路は、地下を通ってる」
――こんな歳を重ねた人まで、マルムさまなのか。すごいな。
修道院の院長で、町の代表で。あれほど正しい行いをすれば、そうなるらしい。
「要るなら職人を連れてきてやるが、どう使うんだ?」
「火を焚いて、その煙を通したら温まるなあって」
言った途端、師匠は眉をひそめた。やはり僕が想像した通り、コストの面で難しいのだろう。
「温まるだろうが、薪はどうする。お前が一日刈り続けても、追っつかねえぞ。火の番は? 燃えかすを出すときに冷えるが、それはいいのか?」
「ああ、メンテナンス……」
どれもコストの問題ではある。でもそれと同時に、誰かがその仕事をやり続けることになってしまう。
僕がやる方法もあるけれど、それでは薬が作れない。頻繁に掃除が必要なのは、さらにその上の問題だ。
「何を深刻ぶってんのさ」
地面に膝をついたままの僕の背中を、朝っぱらから弾けるような声が蹴った。ホリィだ。
「土が冷てえから、育たないんだとさ」
「土が? あ、これ。爺ちゃんも食べなよ」
彼女の手には、大きなトレーがあった。そのまま地面に置いて、自分が一番に手を伸ばす。朝食を持ってきてくれたのだ。
師匠も「悪いな」と言いつつ遠慮はしない。しわしわの手が、僕にもパンを向けてくれた。
「どうも出来ないの?」
「火を焚いて、土に埋めたパイプへ煙を通せばいけると思うんだけど。手間とかお金とか」
「難しそうだね」
ホリィはあれから、人狼になった様子がない。あのときは自分で月を見ていたけど、そうしないから。
夜に出歩かない彼女は、遅く寝て早く起きる。なのにいつも、修道院で一番と言っていい元気さを誇った。
特に自慢出来る技能は、持っていないと言っていた。でも頭の回転も速い。
「温かいものを通せばいいんだよね」
「そうだよ。でもそんなもの」
「お湯とか?」
「もちろんそれでもいいよ。でもそれには、やっぱり火を焚かないと」
通す物が違うだけで、温めるとなると火を使わないわけにはいかない。どうしても金銭と手間の問題になってしまう。
それで深刻ぶっているのでなく、深刻なのだと言おうとした。
だが彼女は、「なに言ってんの?」と事もなげだ。
「あるでしょ、お湯」
「ええ?」
彼女はあらぬ方向を指さした。方角で言えば、概ね北のほう。修道院は町の北壁に沿っているから、それでは外に出てしまう。
しかし気付いた。たしかにある。大量のお湯が、誰の手間をかけることもなく。
「温泉のことを言ってるんだね」
「そうだよ」
「温泉? そんな物があるのか」
長く住む師匠も存在を知らなかった。だいたいの場所をホリィが説明すると、また顔をしかめる。
「近いと言やあ近いが、さすがに冷めるんじゃねえかな。温度はどれくらいなんだ?」
「触れないくらいのが出てるよ」
洞窟内はとても温かかった。人狼の入浴していた場所の湯気だけで、ああはならない。彼女が言うように、どこかからもっと熱い湯が出ていると想像できた。
ただ、それにしたって。沸騰していても百度だ。草津温泉の
あれは冷ますためにやっているのだけど、蓋をしたところでそれほど変わらない。
「お湯が冷めない薬とかないの?」
「そんな無茶な」
師匠に渡されたパンを僕が食べるうちに、ホリィはトレーの半分ほどをやっつけた。
食べていないで、もっといい方法を考えてくれれば助かるのだけど。それは僕の無責任というものか。
「薬や作物で熱を冷まさないなんて――」
ある。薬でなく作物を使えば、それが出来る。
その作物の名をなんと言うのか、シンの知識は答えてくれない。やはりこの能力は、対象に触れてかららしい。
「えぇと、綿って分かりますか」
「ワタ?」
「あの、ふわふわしてて。そうだ、毛布の材料にもなってるはずです」
綿と言っても、二人は首をひねるばかりだった。けれども毛布の材料は、知っていると師匠。
「イトイアだな。栽培してる奴も居るぞ」
「それを使ってパイプを包めば、冷えにくくなります。熱いままを、ここまで運べるはずです!」
綿だけで足りなければ、さらにそれを板で囲うなどとすればいい。
ただし、やはりコストの問題は残る。ずっと薪を燃やし続けるよりはましだけど、一時的には相当な費用が必要だ。
「それってさ。難しくないの?」
「そうだね、お金がかかりそうだ」
「そうじゃなくて。洞窟からここまで、パイプを包むんでしょ? そのイトイアが、足りるの?」
「あ」
そもそもの物量。それが足りなければ、どうしようもない。
ミヌスを栽培するには温泉を引かなければいけなくて、そのためにはイトイアを栽培しなければ。
ミヌスは一年に何度も採れるみたいだけど、イトイアはどうなのか。ただでさえ何年もかかりそうなものが、もっと伸びてしまう。
「ああもう。次から次へ、簡単にいかないな!」
言ってしまってから、これではホリィに文句をつけたみたいだと思った。謝ると、彼女は「そんな風には思ってないよ」と快く許してくれる。
「量の問題はなあ。どうにかできる治癒術師は、もう居ねえだろうなあ」
スティック状のショゴンをポリポリ噛って、師匠はぶつぶつ呟く。
「以前はどうにか出来る治癒術師が居たんですか?」
「そりゃあお前、治癒術師も経験を詰めば」
そこまで答えて、動いていた口が止まる。発声も咀嚼も。
どうしたのか師匠は僕をじっと見て、不意に立ち上がった。
「いや何でもねえ、俺の思い違いだ」
また手伝えることがあれば、何でも言えと。止める間もなく行ってしまう。あからさまに、逃げるようだった。
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