第27話:騙された夜の踊り娘
レティさんがこの修道院にやって来たのは、八年ほど前だそうだ。
そのころはまだメナさんも助祭で居て、ダレンさんと交際していなかった。
ある日、夜明けを待っていたように表の扉が叩かれる。招き入れると、追われているから匿ってほしい。レティさんはそう言った。
「レティシアは、特殊な病になりがちな職業だったんだ」
それはどんな職業か聞くと、ダレンさんは教えてくれなかった。
察してしまうならと思ったが、知らないものをわざわざ教えるほどの勇気はない。それにきっと、シンには刺激が強すぎるだろう。と濁す。
その言い方から、怪しげな仕事なのだなとは思った。よく漫画なんかである、裏の職業というやつだ。けれどその中でもどれなのかは、想像がつかない。
ともかくそのせいで、レティさんは病を患っていた。
けれども幸い、ここにはマルムさんが居る。病患治療という、治癒の法術でも高等なものを使って癒したらしい。
「だけど完全には治らなくてね。しばらく彼女は、目まいや幻覚に悩まされていたよ」
何か心当たりがないのか聞くと、彼女は薬をたくさん飲まされたと言った。客から病気をうつされて、死を覚悟していた。それを治す薬があると、仕事を斡旋する男に紹介されたのだと。
つまり薬物中毒だ。
これを癒す法術を、いまもってマルムさんは使えない。当時も歯噛みして、良ければ治るまで滞在することを勧めた。食事などの心配は要らないし、苦痛を和らげることは出来るからと言って。
レティさんはそれに従った。怯えた様子だったけれど、体力も限界だったのだろう。あと数日も治癒しなければ、死んでいたかもしれない。
「彼女が居たのは、王都に近い競技場だ。そこだけで大きな都市くらいの人口があって、荒くれ者が多い。そんな場所で幅を利かせるのは、盗賊ギルドだよ」
競技場とは、奴隷同士を戦わせる娯楽施設らしい。貴族同士が手持ちの強者を競ったり、見物人はどちらが勝つのか賭けたりする。その人出を見込んで、商売をする人も大勢。毎日、巨額のお金が動く場所だ。
盗賊ギルドは、漁師ギルドとか木工ギルドのように、公の組織でない。
コソ泥とか強盗を働くような人たちが、お互いに助け合おうと寄り集まったもの。
その中で自然、力を持つ者が上位になっていく。たぶんマフィアのような集まりと想像した。
「レティシアに薬を与えたのは、盗賊ギルドの治癒術師だったのさ」
薬をもらって最初のころは、体調が良くなっていくように思えたらしい。でもそれは、病気が治ったからでなかった。実際の体調と関係なく、調子がいいと錯覚させる薬だった。
そのころ、彼女の母親が事故に遭う。露店で花を売った帰り、馬車にはねられたのだ。
そもそも乏しかった収入が、レティさん頼みとなった。ようやくおかしいと気付いたのは、薬を飲んでも吐き気が治まらず、身体じゅうに痛みがあってから。
薬が効かなくなったので、どうにかならないか。尋ねると、治癒術師は言った。「完全に治す薬もあるにはある」と。
ただし、とても高くつく。既に母親の治療も頼んでいたレティさんには、到底払えるものでなかった。
「今までの薬で、どうにか身体を騙しながらお金を貯めるしかない。その薬でさえ、飲まなくなればすぐに死んでしまう。ってね、脅されたんだよ」
八方塞がりになった彼女は、そんな言葉に屈服するしかなかった。きっと嘘だと思っても、万が一を考えると否定できない。
それからまた数週間。レティさんは仕事を続けた。
でも数をこなせなくなって、仲間のお金を盗んだりもした。薬を飲まなければ、苦しくてたまらないから。
やがて同じように、母親も薬を求めるようになった。体力が落ちて痩せた身体を引きずりながら、薬を寄越せと喚く。
「これが自分の姿と気付いて、レティシアはお母さんを見捨てた。責められないよ。彼女一人では、もうどうにか出来る状況じゃない」
いま目の前に、そのお母さんが居るように。ダレンさんは目を覆った。
レティさんは町を出て、懸命に歩いた。しかし力尽きて、街道で倒れる。それを通りがかりの乗り合い馬車が、拾ってくれた。
そうして彼女は、ホワゾへやってきたのだ。
「追っ手はどうなったんです?」
「そんなもの来ないよ。稼げるだけ稼がせたんだ、どこで死のうが知ったことかってね。レティシアは、自分の創り上げた妄想に追われていたんだ」
だからレティさんの中では、治癒してくれたのも追っ手を退治してくれたのも、マルムさんになっているようだ。
すっかり良くなってから事実を伝えても、それだけは譲らなかった。
母親がどうなったのか、頼まれてダレンさんが確認に行ったそうだ。しかしもう、教会の墓地にその名前が刻まれていた。
「それじゃあマルムさんに、あれほど心服するのも分かりますね。治癒術師を憎むのだって……」
「そう思うよ。でも悪いのは、その治癒術師だけなんだ。シンとは関係ない」
それは道理だ。でも自分が苦しいときに、そんな余裕はない。
僕が苦しかったのも、医師がわざとそうしているんじゃないか。疑ったことは数え切れなかった。
この人でなく、他の医師ならすぐに治るのでは。それなのに、どうして誰も代わってくれないのか。
そんな想いを今もどこか否定しきれない。だから僕は医師のことを、お医者さんとか先生とか呼べないのだ。
「勘違いを治す薬とか作れたらいいですね」
「シン、それは――」
和ませるつもりで言ったのだけど、後悔した。そんな薬が作れるのか知らないが、僕は使いたくない。
なぜなら悪い治癒術師がやったのは、まさにそれだから。当然にその人は、自分の行いが正しいなどと考えてはいなかったろう。
しかし都合のいいように、相手の思考を矯正してしまう。僕の言った「勘違いを正す薬」と、何も違いはしない。
「すみません。こんなことを言うようじゃ、治癒術師が悪くないなんて言えませんよね」
「大丈夫さ。シンは自分でそれに気付いたじゃないか」
かわいそうだから。死ぬまでの刻限を教えてもらえなかった。誰かの勝手な都合を、僕は嫌っていた筈なのに。
ダレンさんの優しい言葉が、余計に罪の意識を掻き立てた。
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