第19話:その歌は幸運を呼ぶ
「川をずっと下ったところに、あたしは住んでた。名前のある町とかじゃなくて、家族と友だちと。森や川で狩りをしたりね」
「へえ、それでそんなに元気なんだね。楽しそうだ」
狩りをして、果実を採って。そういう生活だと、塞ぎこんでいる暇はないだろう。と、これは僕の勝手な印象だ。
「うん、楽しかったよ」
「楽しかったのにどうして――」
そこまで聞いてしまって、はたと気付く。
そんな場所を出る理由が、あるものなのか。あったとして、良くない理由。人に進んで話したいことではないはずだ。
「あははっ」
ホリィは、ひときわ明るく笑い飛ばす。きっと僕が言いかけてやめたのを、気にするなと。
「聞かれて困ることは、ないんだってば。でもね、あたしも分からなくて。いつまでそこに居て、どうしてこの辺りへ来たのか覚えてないんだよね」
「覚えてない? そっか、ごめんね」
「だから謝らないでよ。あんたと同じだよ」
同じ。その言葉が胸に痛い。僕のそれは、嘘だから。
たぶん僕は、気まずい顔をしていた。だからかホリィは、聞いていないことまで続けて話す。
「三年前かな、ダレンさんたちに見つけられてさ。それからここに居座ってるの。一応ね、
「そうなんだね」
それで会話を終えることもできた。
いつから姿が変わるようになったか、より踏み込んで聞くことも。それとも夕食のメニューを予想し合うことだって。
「読師って、何をするの?」
「歌うんだよ」
「歌を?」
日和見した問いは、間違っていたのかもしれない。でも僕は、後悔もしなかった。
彼女がいつも通りなにも気負わず、その声を聞かせてくれたから。
「おおオムニアよ。我らが目指す、至高の土地。光に満ちた、疑いのない世界。偏見のない、おおらかな世界。素晴らしいあなたの境地を、僅かなりとも与え給え」
映画か何かで見た、厳かな賛美歌。ゆっくりとしたメロディーが、よく似ている。
土地を挟む壁が、高い声を響かせた。おかげで歌が、天に昇っていくようだ。
この院に置かれた神さまを、僕は何も知らない。なのにどこか眩しいような光の世界から、見守ってもらっている。そんな気分にさえさせられた。
「すごいね。上手だよ。ずっといつまでも聞いていたいくらい」
「褒めても何も出ないよ」
拍手すると、ホリィは頬を膨らませた。少し赤らんでいる気がして、照れ隠しだなと思う。
彼女がはにかみ、僕も笑ってしまう。こちらはニヤニヤという感じで、たぶん見せられたものでない。
「おやあ? もう終わっちまったのかい。ホリィが歌うなんて、十年に一度なのにさ」
「そんなに昔は知らないよ」
「分かってるさね」
裏の扉を開けて、顔を出したのはメナさん。ダレンさんも後ろで「ごめんよ、ごめんよ」と謝っている。
ホリィは二人とも仲がいい。冗談を交わし合って、ふと気付いたようにメナさんが僕を見た。
「あれ、あんた」
「はい?」
答える前に近寄って、目の前にしゃがみこむ。
男物の服。話し方も、ホリィより闊達な感じのするメナさん。なのに漂った匂いが、花束を振ったみたいに芳しい。
「なんだい、こんなのをたくさんくっつけてさ。見たことのない実だね」
立ち上がった手には、何やら小さな物が摘まれている。受け取ると、植物の種に思えた。
見ればたしかにズボンの裾へ、片手に一杯ほども付いている。
「本当だ。いつ付いたんだろう」
その実のことを考えると、シンの記憶が答えてくれる。生えている場所が分かれば、どこで付いたかも分かるだろう。
【ミヌス。陰性植物。食用。脂肪質の高い食物と混食すれば、分解効果を促進する。光を排して育成することで、高い浄化作用を持つ。物理的、魔術的な中毒症状にも効果が高い】
「光を排して――ああ」
そういう場所の心当たりは、洞窟しかなかった。温泉の周り以外はとても暗かったから、気付かなかったのだ。
合点がいったものの、一つ気になる。中毒という言葉が、僕のどこか。しかもシンの記憶に、引っかかる。
【中毒。生体が毒性物質の摂取により、影響を抜け出せない状態に陥ること。魔術的に近似の現象を起こすことも可能。呪いとは異なり、解呪では治癒しない。高位の浄化法術、若しくは高位の治癒薬を必要とする】
この世界で最高の能力値を得た治癒術師は、このくらいたやすく教えてくれた。
――いやまあ僕なんだけど。
まだどうも、自分の力とは思えていない。
「メナさんも、聖職者だったんですよね?」
「え? ああそうだよ」
「じゃあマルムさんが獣化を治すのに、どんな法術を使ってるのか分かりますか」
突然の問いに、面食らわせてしまった。けれどもメナさんは「ええとね」と、記憶を辿ってくれる。
「最初は普通に、治癒の法術だったと思うよ。それから退魔。どれも効かなくて、いま使ってるのは病患治療だね」
「それは中毒症状にも効きますか?」
「何だい?」
きっとそこに答えがある。僕の早口を、メナさんは問い返す。いつしか両肩をつかんだ僕の手には、何も言わなかった。
「中毒です。ええと、お酒をやめられなくなったり。タバコなんかはここにもありますか?」
「――それは高等法術でねえ。院長さまも、まだ使えないと聞いてるよ」
「それが出来れば、治せるのかい?」
ダレンさんは、何を問うているのか察したらしい。僕自身それでようやく、説明していなかったのを思い出した。
「分からないけど、もしかしたらって」
いくら薬を作れても、その人が何に苦しんでいるのか。知れなければ治すことはできない。頭が痛い人に、腹痛の薬をあげても意味がないのだ。
その点、法術は一つで幅広く効き目があるらしい。やはり選択を誤ったようだ。
「でも僕には、その人がどんな症状なのか知る方法が――」
また後悔しかけたとき。僕の意識に、新しい情報が流れ込んだ。
【メンダーナ。体調不良なし】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます