第14話:マルムさんのお説教

 法術をかけても、戻せないことがある。戻した人が、また獣になることもある。そうならないよう、予防できればいいのだが。

 まだ未熟なせいか自分には出来ない。と、マルムさんは悔しそうに語る。


「じゃあ彼もまた?」


 獣化した青年と彼を連れて来た人たちは、それほどひどい怪我をしていなかった。ダレンさんに作った薬がまだ残っていたので、それを渡すと帰っていった。


「なる。一度なった以上は、何度でも。条件が満ちればね」

「月ですか――」


 侍祭の人たちが朝食を用意してくれて、食堂で食べる。夜明け前の出来ごとを知らない子どもたちはともかく、他のみんなも沈んだ空気はなかった。

 特にホリィなどは、呑気に舟を漕ぎながら塩漬け肉を囓っている。話には聞いていても、僕にはなかなか衝撃的だったのだが。


「あんなことがあっても、みなさん慣れてるんですね」

「なに? 薄情とでも言いたいの?」


 アイスピックみたいな声が、テーブルの対角から投げ付けられた。


「レティシア、まだ拘っているのかな。シンは初めて見たのだから、驚くのも無理はないよ」

「そうですね院長さま。浅慮でした」


 お面みたいに感情を消した彼女を横目に、マルムさんもやれやれといった風だ。


「法術はすごいと思ったんです。あの人たちはマルムさんを頼って、それにきちんと答えて。そうでなかったら、彼はまだ獣のままです。こんなにゆっくりと食事もできなかったなって」


 喉が乾いたら、水を飲めば治まる。それくらいに当たり前と、みんな思っているからそうなんだ。

 この慣れた感じは、そういうことと理解した。薄情なのでも、軽んじているのでもなく。きちんと対処できるから、騒ぎ立てる必要がないのだ。


「僕は、病気の為に自由を失う人を助けたい。そう思って、治癒術師になりました。でも本当になりたかったのは、聖職者だったんだなって。さっきのことで、ますますそう思ったんです」


 正直な気持ちを話した。

 これは単純に羨む気持ち。言えないけれど、選択肢を誤った後悔の告白。


「うん――」


 どう受け止めたのか、マルムさんはすぐに答えを返さなかった。甘酸っぱい果汁を一杯、飲み干してようやく次の声が出る。


「聖職者は、健康であれば誰でもなれる。しかし中でも、法術を得られる人は多くない。それなりに代償も必要だしね」

「代償が?」

「修練の間、行動の自由がなかったり。何かと便利に使われたり。色々さ」


 それでもやる気になれば、耐えられる。あとはそもそも、素質のあるなしだけ。つまり会得する難易度は、それほど高くないと。


「なのに多く居ないのはなぜか、分かるかな?」

「うぅん、素質のある人が少ない?」


 それくらいしか思い付かなかった。判明するのが、ある程度やってみてからとか。そういう性質であれば、ムダを嫌う人も居るだろう。


「それも一因ではある。でも半分はね、飽きてしまうのさ」

「飽きる? 難しくなくて、素晴らしい能力なのに?」


 それも僕なら、素質がないというのはなかったろう。選択していれば、だけど。

 その思いもあって、僕はかなり意外そうな顔をしたらしい。マルムさんは困ったような失笑を、僅か浮かべる。


「私が君くらいのころ、絵を描きたいと思った。贅沢に絵の具を使ったりしなくていい。炭で物の形を描きたいとね」

「はあ、絵ですか」

「練習方法はたくさんあるのだろうが、絵の上達には絵を描くのがいい。好きなことをやっていれば、それが上達する。何ていい話だと私は思ったよ」


 間違ってはいないと思う。スポーツだって何だって、プロを目指すとかでなければ。


「でも絵の実力は、一年が経ってもそれほど変わるものでない。先の見えない努力に、私は飽きてしまったんだよ」


 マルムさんの自嘲を、僕は笑えない。僕にはそういう経験もないのだ。ひとつのことをやり続ける体力が審哉にはなかった。

 薬を飲み続けること、負担にならない程度の運動はすること。「やれば出来ること」がたくさん重なって、とてつもない重圧になるのも分かる。


「僕にも経験があります」

「だろう? でも君の治癒術は素晴らしい。いや専門的なことは分からないけど、君の作った薬は高い効果を持っていた」


 なるほど、隣の芝は青いと言いたいのか。既に持ったものを大切にしろと。

 実際に同じ青さかはともかく、やり直せないのだからそうするしかない。分かっている。

 ただ何というか。身一つで起こせる奇跡を見せられると、やはり羨ましく思ってしまう。

 有り体に言えば、やっかみだ。


「それに先ほども言ったが、法術も決して万能ではないよ。獣化のことだけでなくね。もしも獣化しなくなる方法があるなら、可能性が高いのは治癒術のほうだ」


 マルムさんが出来ることは、やり尽くしたと言っても過言でないらしい。残っているのは、おいそれと実行できないものばかりと。

 まあ僕も、地下の彼らに約束したばかりだ。投げ出すつもりは、もちろんない。

 その上にこれだけおだててもらえば、より高い木にも登れようというものだ。


「やってみます。畑のことも」


 柔らかく頷いて、「頼むよ」とマルムさん。続けて「ああ、それから」とも。


「技術であれ人間であれ、過信は禁物だよ。いくら優れていても、君は若い。私だけでなく、ここに居る者は協力を惜しまないからね」


 勇み足をせず、何かと相談しろということか。頼もしいと思ってお礼を言う前に、マルムさんは「レティシア?」と問うた。

 どうやら僕への激励だけでなく、レティさんへのお説教でもあったようだ。


「もちろんです」


 凛と、彼女は答えた。マルムさんに心酔しているようだから、それ以外の答えはないだろうけど。

 表情も感情も殺したレティさんに、僕はどうにも居心地が悪い。

 どんな顔をしたものか悩んでいると、彼女の目の前に人の腕が投げ出された。


「ホリィ?」


 二度寝は気持ちいいと聞くけど。食事のさなかにとは、なかなか破天荒だ。

 いや冗談を言っている場合ではない。体調でも悪いのか。立ち上がろうとした僕を、レティさんが止める。


「平気よ。この子、ときどきあるの。寝かしておけば大丈夫」

「そ、そうですか」


 侍祭の女性が手伝ってくれて、僕は要らないと言われた。

 二人に担がれて運ばれるホリィは、それでも眠ったまま。どう考えても普通ではないと思うのだけど、マルムさんも他の誰も言及しなかった。

 

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