第13話:冒された人を癒やせ

 眺めていても、いますぐに出来ることはない。獣たちに、一旦の別れを告げた。


「必ず治すからね」


 キツネが檻に戻され、扉が閉められた。

 ガチャリ。錠の締まる金属音が、これまでで最も冷たいものに感じる。

 ――絶対だ。

 見えなくなった彼らにもう一度誓い、調理場へと階段を上った。地下に比べれば、別世界のように明るい。

 ちょっと眩む景色に、誰かが居た。


「あなた。地下へ行っていたの?」


 声と、すぐに実像も一致する。レティさんだ。夕食用に採った作物を、運び入れたところらしい。


「え、ええ」

「また勝手なことを」


 遠慮のない険しい目に見据えられた。

 非礼を謝ってはくれたものの、僕が治癒術師なのは変わらない。出て行けと言わないだけ、彼女も譲ってはくれている。


「レティさん。知っておいたほうがいいと思って、俺が見せたんだ。ごめんよ」

「まあ――秘密にしているわけではないので」


 ダレンさんが庇ってくれて、言葉を選ぶ葛藤がレティさんに見えた。


「地下に居るのは、まだおとなしいけれどね。外で出遭ったら、命はないわ。気を付けることね」


 怒りを抑えたこの忠告は、罵倒代わりらしい。僕がお礼を言ったのに被せて、「それとも」と続いた。


「あなたが治してみる? 院長さまでも出来ないことだけど」


 これはきっと、嘲り。貶めようというより、やはり治癒術師への侮蔑が見え隠れする。


「やってみます。治す方法を、必ず見つけます」


 誓ったばかりだ。

 見当がつかなくとも、そもそも方法が存在するのかさえ知れなくても。嘘にはしたくなかった。


「必ず、と言ったわね」


 明らかな怒り。嫌悪と言ってもいい。

 そんなレティさんに、僕だけでなくダレンさんも怯んだ。

 執り成そうとしてくれているのだろう。ええと、ううん。なんて、彼は何か言おうとしては口を噤む。


「――あれ、何かあったのかい?」


 バタッと勢い良く、扉が開いた。土を落とした農具を数本持って、メナさんが入ってくる。

 黙ったままの僕たちを見て、片付けつつ聞いた。


「いいえメンダーナ、丁度良かった。院長さまが、あなたのお粥を食べたいと仰っているの」

「イモの? 院長さま、いつもですよ」


 レティさんの声と態度が、さっと変わった。最初に会ったときの、凛々しい声だ。

 触れないほうが良いと、メナさんも判断したのだろう。二人でそのまま、食事の支度にかかり始める。

 拘っても仕方がない。僕もホリィに聞き、聖堂の掃除をした。

 夕食で食べたイモのお粥は、マルムさんが気に入るのも納得のおいしさだった。温めた杏仁豆腐みたいな、甘くてぷるぷるとした食感も癖になる。

 昨日とは違って、静かな夜だ。修道院の誰も、きっと平和な時間を過ごした。

 ――そういえば、僕がお邪魔している相部屋の人は誰だろう?

 ベッドで横になってから、思い出した。すぐ疲れに負けて、眠ってしまったけれど。

 それから。

 どのくらい経ったのか。薄明かりの中を目覚めた。窓を見ると厚い布が開いたままで、まだ暗い朝の色が透けた。

 どうしてこんなに早く、目覚めたのか。疑問はすぐに解ける。

 扉が強く叩かれていた。気付いて向かう、誰かの足音も。

 ――また何かあったんだ。

 寝ぼけた頭が、すっと覚める。急いで階下へ。もう一つのベッドをちらり見ると、やはり誰かが眠った跡だけが残っている。

 僕が降りると、もうレティさんが扉を開けていた。外には街の人らしき人たちが数人居て、女性の一人などは嗚咽しながらも必死に話している。

 部屋が離れているマルムさん。ダレンさんとメナさんも、すぐにやってきた。ホリィが呼びに行ったのだ。


「すぐに見よう」


 事情を聞いたレティさんが、何を言う必要もなかった。むしろ彼女は、動転して狂乱しかけている街の人たちを落ち着かせるのに忙しい。

 僕にだって、その理由はひと目で分かった。彼らはロープで縛った獣を、さらに力ずくで押さえ込んでいる。

 犬のような獣は逃れようと、これも狂ったように暴れた。ロープが食い込み擦れて、皮膚が破れてもおかまいなしだ。


「天に在る者。至高の彼方を翔くオムニアよ。我らを冒す呪いに、立ち向う力を与えてください」


 朗々と、マルムさんの祈りが響く。石畳に跪き、右手は獣の身体を力強くさする。

 危害を加えられると思うのか、獣は牙を彼に向けた。街の人が慌てて押さえつけるが、危うく噛みつかれるところだ。

 しかしマルムさんは、僅かも動じずに祈り続ける。


「あなたを慕う者が、苦しんでいます。の常を穢すこと、許されてはなりません。願わくば不義退く力を、我が手に与えん」


 不義よ退け。その言葉はひと際強く、何度も何度も繰り返す。やがて何か手応えでもあったのか、手がお腹の辺りに押し付けられた。


「退け!」


 その声が斬りつける剣でもあるように、高く叫ばれた。マルムさんの表情は、修羅の面みたいに厳しい。


「あっ」


 驚いて声を上げたのは僕だ。

 横たわった獣は、疲れたのか動かない。その毛皮を突き抜けて、もわもわっと黒い綿あめっぽいものが浮かぶ。

 素早く。マルムさんが、つかむ。

 途端にそれは、色を薄くしていく。力んだ右手がすり潰すように動くと、いつか音もなく消えた。


「ふう……これで大丈夫」


 乱れた息を深呼吸で戻しながら、マルムさんは告げた。家族らしい泣いていた女性は、「うちの子は」とまだ心配の声を。


「大丈夫。すぐに戻るよ」


 全力疾走の直後みたいに、息と息の合間。ようやくマルムさんは話す。なのに精いっぱいの笑みを、女性に向けた。

 そこで獣が、びくっと震える。秋田犬くらいだった手足が伸びて、僕と同じような体格の男性に変わった。いや戻ったのだ。

 ――やっぱり治癒の魔法はすごいや。

 これと同じことが、治癒術師にも出来るのか。しかもこれでさえ、完全でないと聞いた。

 治癒術師と聖職者。選択を誤ったことに、後悔が積もる。

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