第10話:能力値最高の治療薬

 夢を、見ていた。

 とても広い。果てしのない、草原。刈ったばかりの芝のような、至極短い草だけの。ただただ平たい土地。

 これがどこか、なんて。考えるまでもないことだった。

 これはどこでもない。

 元の世界にも、きっと異世界にも。こんな場所はあり得ない。これはあくまで、夢の世界だ。審哉にもシンにも、こんな場所の記憶はない。

 ――だとしても、どっちの?

 それが知れたところで、意味はないだろう。でも気になった。この夢は、どちらが見ている夢だろうか。

 ひたすら歩くこの平面に、自分が何者か知る方法はなかった。鏡はおろか、姿を映す水面さえもないのだ。


「朝か……」


 眩しい光にさらされて、呟いた。それも夢の中の僕か、目覚めた僕か判然としない。まあこれは本当に、どちらでも良いけれど。

 背中に硬い感触。

 毛布が敷かれているものの、板の上に寝ていた。起き上がると、それは作り付けのベッドだ。部屋の中も見覚えがない。反対の壁にベッドがもう一つあって、誰かの寝ていた跡が見える。

 ――こんな部屋に通されたっけ?


「あっ、そうか」


 ダレンさんに薬を作って、倒れてしまったのを思い出した。めまいとかそういう、具合いが悪くなったのでなく。ひたすら強い眠気に襲われたのを。

 手術のあととか、新しい薬を処方されたときとか。似たような感覚は何度かあった。

 でも今回は、体力を使ったのでなければ薬を使ってもいない。まさか傷薬が、少し手に付いたからとかではないだろうし。

 ベッドから出て、光の差し込むほうへ。何歩か歩いても、身体に不調はなさそうだ。

 手のひら大のガラスが何枚も使われた、窓がある。透明なのだけど、向こうが歪んで見えた。厚さが一定でなく、波打っているらしい。それでも見えているのが、畑であること。この部屋が二階なのは分かる。


「あれは――柵なのかな」


 おかげで広い畑も見下ろせる。たぶん敷地の端と思われるところが、濃い茶色で囲われていた。

 色が途切れないので、柵というより塀なのかもしれない。きっと僕の背よりも、随分と高い。

 貧しい人たちに作物を分けていた、あの光景からは違和感を覚える。そのオープンな性格とは、反対に思えた。

 ――まるで、刑務所みたいだ。


「あ、起きたね。お待ちかねだよ」


 部屋を出て、一階に降りる。その脇が、夕食を食べた部屋だった。調理場の隣だし、食堂と呼べばいいのか。

 そこで一人、ホリィがカップを傾けていた。銀灰の髪がひどく暴れているのを見ると、彼女も起きて間もないのかも。


「お待ちかね?」

「ダレンさんだよ」


 答えるより先にカップを置いて、彼女は僕の手を引いた。どうやら畑に出るようだ。

 扉が開くと、冷たい空気が流れ込む。昨日はそれほど感じなかった、植物たちの匂いが鼻をくすぐった。


「ダレンさん。来たよ!」

「いま行くよ!」


 正面の少し奥へ、彼の姿が見える。声に張りがあって、僕の三倍ほどもある体積を機敏に動かす様は、とても元気そうだ。


「良かった、薬が効いたのかな。あ、いや。マルムさんのおかげか」

「さあ。それはダレンさんに聞いてみなよ」


 いひひ。とホリィは意地悪く笑う。陰湿な感じでないのが、まだ救いだけども。

 何だというのか。問う前に、ダレンさんが突進してきた。


「ありがとう!」

「う、うぐ……」


 分厚いズボンに、袖のないシャツだけの姿。鎧も武器もないのに、ごつごつとした鈍器で殴られたようだ。

 その上、太い腕が首を絞める。当人はハグのつもりだろうけど、僕は窒息死が二歩先に見えた。


「ダレンさん、死んじゃうから」

「あっ、ごめんよ!」


 いよいよ猶予がなくなったころ、ホリィが止めた。ここだけは、止めてくれたとは言わない。

 ようやく緩んで、慌てて息を吸う。肩を上下させる僕に、ダレンさんは身をすぼめて「ごめんよ、ごめんよ」と言い続けた。

 見た目にいかにもな屈強の戦士だけど、とても優しい人だ。


「ここで朝食にしようか」


 ちょうど朝の収穫が終わるところだった。違う方向から、メナさんも姿を見せる。僕は倒れてしまったので、今日は寝坊をさせてもらったらしい。

 建物に沿って置かれたテーブルへ、メナさんの抱えていた作物が並んだ。外国の市場の写真を見たようで、馴染みの形はない。

 でもおいしそうだ。「どれでもいいよ」と言うのだから、生で食べられるのだろう。手近なピンク色の果実を取って、かぶりつく。


「うまっ!」

「だろう? ウチのはどれも最高さね」


 気風きっぷ良さげに胸を張るのは、メナさん。ダレンさんと似たような厚手のズボンに、厚手の長袖シャツ。ゆうべは動転して気弱な感じだったけど、これが彼女の素のようだ。


「おいおい、作ってるのは君じゃないよ」

「そうだけどさあ、あんた。嬉しいじゃないか」


 ダレンさんは、突っ込みもとても柔らかい。メナさんも甘えたように、オレンジの頭を彼に押し付ける。


「それはともかく、君には助けられたよ。ありがとうね」

「うん、本当に。以前、院長さまに治してもらったときには、こんなすぐに動けなかったよ」

「前にも?」

「いや、一度だけだよ。怪我が日常ではないんだ、ごめんよ」


 勘違いさせたと、ダレンさんはまた謝る。どうもこの辺りは、僕の中のダレン像とは異なった。でもいい人なのは、疑いない。


「君の薬は傷を治すのも速いし、体力まで回復してくれたんだよ。おかげでもう、畑のお手伝いだって出来る」

「他の薬は、そうじゃないんです?」

「ええ?」


 二人は顔を見合わせ、怪訝な風だ。どうも僕の薬は、かなり特別みたいだ。

 その割りに、作るのを見ていたホリィなんかは食べるほうに夢中だけれど。


「うん、そうだよ。金貨を払ったって、君の薬ほど効くものにはお目にかかれない。本当にあるのか怪しい噂くらいでしか、聞いたこともない」

「考えようによっちゃあ、院長さまの法術よりもすごいってもんさね。何せ薬だからね、持ち運ぶこともできる」


 能力値を最大にしただけはある、ということか。他を知らない僕には分からないけど、経験豊富そうな二人が言うのだから。


「できればまた出かけるときに、持たせてもらいたいもんだよ。ねえ、あんた」

「いや――うん。もし、お願いしてもいいならね」


 感謝されて、頼られている。方法はどうあれ、僕の手で作った物が。

 胸の奥へ熱い湯が沸いて、身体じゅうに染み渡るような心地だ。それでいて、ぶるっと鳥肌が立つ。

 達成感。安堵感。自己肯定感。

 そんな部分が、いくつもくすぐられた。この感情を、ただ嬉しいとかひと言で表すのは難しい。

 でも認めてくれた二人に返すとしたら、こうだ。


「治って良かったです。僕に出来ることなら、言ってください。いくらでもね」

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