第9話:初めての慣れた作業

「あたしも手伝うよ。何すればいい?」

「手伝ってくれるの? 助かるよ」


 この修道院で最初に入った部屋。そこが調理場だ。審哉としては火をどうやって熾し、どうして水を使うのかも分からない。

 けれど別の、シンの記憶を辿れば覚えている。炉の隅に、火種が残してあること。水瓶がどこかにある筈ということ。

 採った材料に触れれば、薬の製作作業も細かく思い出される。審哉がよく見ていた、動画サイトの解説動画を見るようなものだ。

 これを自分の手で再現できるのか、二の足を踏みそうになる。でも思いきって、ナイフに手を伸ばした。まずは細かく刻むのだ。


「ええと、お湯を沸かしてもらえるかな。僕も初めてで、手際が悪くなるかもしれないけど――」

「初めて? 治癒術師なのに?」


 ――しまった、余計なことを。

 うっかり、不安をそのまま口にしてしまった。

 問いながらもホリィは、小ぶりな鍋を手に水を汲みに歩く。それほど気にして言ったのではないのかもしれない。


「いや――手伝ってもらうのがね。何を頼めばいいのか、要領が分からなくて」

「そうなんだ。あんた、おとなしいもんね」


 大胆に水瓶へ鍋を突っ込み、水が汲まれた。「これくらい?」と聞く辺りは、無神経にやっているわけでもないようだけど。

 それを片手に、ささっと小枝が組まれる。あっという間に、太い薪へ火が移った。

 炉鈎ろかぎの鎖へ、鍋が吊るされる。金属を擦れさす音は、あまり聞こえない。気安く見えて、丁寧な動作だ。

 真剣な目は、ダレンさんの怪我を心配しているのだろう。もうさっきの質問は、忘れているように見える。


「レティさんをさ、悪く思わないであげてよ。昔、ひどい目に遭わされたみたいなんだ」

「え?」

「あの人、すごく真面目で一所懸命なんだよ。マルムさんに追いつこうって、頑張ってる」


 急に何を言われたのか、手を止めた。すると彼女から「止まってる」と指摘が入る。


「――ああ、さっきのことか。治癒術師のことで何かあったんでしょ? むしろ僕がすまない気がしてるよ」


 喋りながら刃物を使うのが怖くて、言ってまた刻む。鍋に向いていたホリィの目が、こちらへ向いたのが視界の端に映った。


「ええ? それはないよ。どうしてあんたがすまないのさ」

「僕が部外者だからだよ。僕がここへ来なきゃ、レティさんが嫌な思いをすることはなかった」


 すり鉢を探し、勝手に借りる。これも使ったことがないけど、見様見真似。やってみると、意外にうまくできそうだ。


「寂しいことを言うね。そんなこと言ったら、どこへも行けないし誰とも知り合えない」

「そうなるね。それもそうだと思うから、どうすればいいのか困っちゃうよね」


 ぐらぐらと、湯の沸き立つ音が聞こえ始めた。材料のいくつかをホリィに渡し、水のなくなる寸前まで煮るように頼む。


「困らなくていいよ。あんたは何もしてないんだから」

「でも……」

「あれはレティさんの勝手な決めつけだよ。それをあんたが、自分のせいなんて思わなくていい」


 自分のせい。というか、僕が現れなければ問題が起きなかったのは間違いない。事情を知る術なんてなかったけど、選んだのも僕だ。

 申しわけないというのも、居心地が悪いのを言い換えただけなのかもしれない。どちらが本当の気持ちか考えていると、今度は両方ともと思えてくる。


「誰もさ、他の誰かのことを全部分かるなんて絶対にないんだよ。でも知って、それから考えることはできる。あたしがあんたに頼んでるのは、そのことだよ」


 ホリィはじっと、鍋の中を見続けている。けれどそう言ったとき、向こうへ顔を背けた。鼻の辺りをごしごしやっているから、痒かっただけかもしれないが。


「頼みって? レティさんを悪くなんか思ってないよ」

「なら、あたしの頼みは叶ってる。恩に着るよ」


 ほら出来た。と、大量の湯気が昇る鍋がこちらへ向けられる。「あっちぃ!」なんて言ってる間に、返事をしそびれた。


「酒を混ぜるの?」

「うん。これで完成の筈なんだけど、うまく出来たかな――」


 なるべく強い酒を。と頼んで、ホリィが蒸留酒を持ってきてくれる。器に出すと、黒に近い琥珀色をしていた。

 ふわっと漂った匂いが香ばしくて、つい思いきり吸い込んでしまった。酒気が一気に胸を膨らまして、くらっとめまいがする。


「何やってんのさ」

「ごめんごめん。さあこれで特製傷薬の出来上がりだよ」


 さっそく、ダレンさんのところへ。仮に巻かれた布に、染みた赤が生々しい。

 首の傷は問題ないとマルムさんは言ったけど、これまで血が大量に流れ出た。相当な体力も失っている筈で、どうにかしてあげたい。

 ダレンという名は、他人と思えないのだ。


「あなた、顔色が悪いけど大丈夫なの?」

「そうですか?」


 戻るなり僕の顔を、レティさんは指さした。言われてみれば、足下が覚束ない。さっきの酒気は、さすがに関係ないと思うけど。


「終わったら休ませてもらいます。とにかく治療しないと」

「……大丈夫なのね?」


 その大丈夫は、何についてか。思い至ったけれど、考えないことにした。


「大丈夫ですよ」


 布を解き、ペースト状の薬を新しい布へ。それを傷口へ押し当て、また布を巻く。他にある細かな傷にも、丁寧に。


「これで、しばらく経てば……」


 まずは終わった。

 ほっとひと息吐いた途端、脚ががくがく震える。自分の身体が倒れると、床の近付く気配を感じながらも抗えない。


「起きられるは……ず」


 意識を刈り取る眠気に、僕は敗北した。

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