2-11 因循

「うう……」

 ――三島がカラスと山瀬の監禁されている部屋を飛び出してからの首尾は、概ね順調だった。

 雑に管理されていた二人の荷物から山瀬のスマホを抜き取り、休憩室まで持ち去って。言われた通りの暗証番号を入力してロックを解除し、メールアプリからいかにもそれらしいメールを見つけることも出来た。

 本当に、あとは送るだけのところまで来て――三島は、最後の一歩が踏み出せずにいた。

 カラスと山瀬を助けるためには、このメールを送るだけでいい。というか、その方法しかない。誰にも相談することは出来ないし、三島一人では代わりの方法を思いつくなんて不可能だ。

 けれども。

 ――もし、カラスと山瀬を助けるために内通者になったことが何らかの拍子に他の奴らにバレたら。

 ――もし、情報を送った結果このチームがバラバラになって……回り回って、メンバーの俺が警察とかに捕まってしまったら。

 ――もし。――もし。無限に浮かんでくる自己保身のための無数の『もし』を振り切ってこのメールを送信したとして――――果たして、カラスと山瀬を救うのに間に合うのだろうか。

 かたかたかた、と勝手に震える手を押さえつける。今送らなければ本当に間に合わなくなるかも知れないというのに……その結果自分に降り掛かってくるかもしれないあらゆることが、怖くて仕方がない。

 カラスは。山瀬は。自分をこのチームから解き放つために、自分達が助かる可能性すらも度外視して俺に情報を託してくれたのに。……我が身可愛さにその想いすら無駄にしようとしている僕は、なんて人でなしなんだろう。

 山瀬から託されたスマホと必死に睨み合っていた三島は、背後から近づいてくる人影に気が付かなかった。

「よう、何してんだ?」

「わひゃあ!」

 反射的にスマホの電源ボタンを押し、画面をブラックアウトさせる。

 三島の背後でニヤニヤと笑っていたのは、三島を獄原のチームに誘った先輩だった。背中を冷たい汗が流れる。――まさか、自分がやろうとしていたことがバレたのか。

「んだよそんな焦っちゃって。何? R指定のついた動画サイトでも見てた?」

「違いますよ、もう。……急に声かけられるからびっくりしたじゃないですか」

 あっけらかんと失礼なことを言ってきた先輩に、三島は脱力する。

 三島が普段使っているスマホも、山瀬から拝借してきたスマホも、どっちも色が黒だ。特別なカバーもついていない。後輩の姿を見るや否やからかうことしか頭にない先輩に、ぱっと見で区別がつくはずもなかった。

「あっはっは、そんなん気づかない方が間抜けだろ」

 先輩はいつもの調子でカラカラと笑うと、ふと真面目な表情になった。

「……そういや聞いたぜ。獄原さんの側にいた山瀬? とか言うスパイ、密告したのお前なんだってな」

「ええまあ、はい」

 いつかは漏れる情報だ。流石に耳が早いなと思いつつ、三島は肯定する。

「どうしてわかったんだ?」

「……たまたまですよ。他所で偶然企みごとをしているあの人を見てしまって、その人が獄原さんのすっごい近くにいたからびっくりしてしまって」

「マジかよすげーな、そんな事あるんだねーなるほど」

 いろんな言葉が並んでいる割には、その中身はびっくりするくらいに空虚。――いつものパターンだ。この後に続く言葉こそが本題だ。

「……のわりには、自分の後輩がその手下だってことには全然気づけなかったのなお前」

 ――ほら、やっぱり。

「それは……」

「あーいやいや、別に管理がなってないとかそんな堅っ苦しいことを言う気はないよ俺は。けどさあ、ちょーっと間抜けじゃない?」

「はは……そうですね、ほんと、びっくりしちゃいました。やっぱダメですね、僕って」

 自分を下げて、八つ当たりしてくる先輩の機嫌を取る。これもいつものパターンだった。

 基本的にはそうやって見せれば先輩は飽きて去っていくのだが――今日の先輩は、さらに絡んできた。

「……まったく、俺はいろーんな苦労していろーんな奴に気を遣ってようやく評価されるってのにさあ。人のことをチクるだけで評価されるなんて簡単でいいよなあ。俺も真似していい?」

 ――その言葉に明るく返すことは、三島には出来なかった。

 単独で危険を犯して情報を集めていた山瀬に疑心暗鬼になって、挙げ句自分に親切にしてくれたカラスまで、あんなことになって。

 それを。――よりにもよって、そんな言い方。

「……んだよノリの悪い奴だなあ。じゃ。俺、用事思い出したから」

 先輩が去った後も、三島は動けずにいた。がらんとした休憩室で、三島自身の心臓の音だけが聞こえる。

 ゆっくりと呼吸の仕方を思い出し、手に持ったままだったスマホの電源ボタンを再度押す。もう一度暗証番号を入力して、もう一度メールアプリを開き、もう一度送るはずの下書きを探し。――今度こそ、迷わずに送信ボタンを押した。

 一瞬で終わった作業に、三島は呆然としてスマホを手放す。目尻には涙が浮かんでいた。

 ――あんなやつに媚びへつらってへらへらしていた自分が許せなかった。今まで通りあんなやつの元に居続ける生活と、カラスと山瀬を助けることの出来る唯一の希望を天秤にかけた自分が許せなかった。

 最早自分の安全なんてどうでもよかった。もしも今の思い切りで自分が破滅することになっても、このチームを巻き込めるのなら十分すぎた。

 自分の躊躇いで、一体どれだけの時間を無駄にしてしまっただろう。そのせいでカラスと山瀬が助かる目が削れきってしまっていたら、死んでも死にきれない。

 真っ青な顔で祈る以外、三島に出来ることはなくなってしまった。早く。出来るだけ早く――――ふと、気がつく。

 このメールを送ることで――一体、どこの誰に連絡がいったのだろう、と。

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