2-12 狂乱

 山瀬との他愛のない話と沈黙を繰り返して、いったいどれほどの時間がたっただろうか。部屋の外が、にわかに騒がしくなった。

 『処刑』の時間が来たにしては騒ぎ方が妙だ。

 焦っている。怒鳴っている。混乱している。一体、何に?

「頃合いかな。逃げるよ」

 山瀬が悠然と言う。……十中八九、山瀬が情報を送った相手が何かしたんだろう。

 とはいえ縛られているのにどうやって、と困惑していると、山瀬の手元からバツッと何かが切れる音がした。自由になった手に握られたナイフを足の結束バンドにねじ込む。程なくしてプラスチックの帯は呆気なく切れた。

「ナイフは没収されたんじゃ……」

「同じのを二本持ってるんだよ。ポケットにこれ見よがしに入れてる方のは没収させる用で、もう一つの隠し場所は誰にも秘密。……ほら、カラスも」

 そう言うと、山瀬は慣れた手付きで肉と結束バンドの間にナイフを差し込んできた。自由になった手足をぶらぶらさせる。手首足首に跡は残っているが、動くのには支障がない。

 先行する山瀬の後を静かについていく。薄暗い部屋の扉は、見覚えのある部屋につながっていた。

「獄原の部屋……?」

「道理で物置っぽい感じだったわけだよ」

 部屋には誰もおらず、がらんとしている。獄原の部屋の片隅に俺らの荷物がまとめて箱詰めされているのを発見して、全て回収する。

「山瀬、荷物取り戻したし逃げ――なにやってるんだ?」

 獄原のコレクション棚を漁っていた山瀬が振り返る。手には華奢なプラスチックのケース。

「元々の目的もついでに達成できそうだったからさ」

「……そうだった」

 山瀬からCD――尾花の宝物を受け取り、カバンの中に大事に入れる。

 外の喧騒は尚更酷くなっていた。何かが壊れるような音まで聞こえる。

 恐る恐る扉に近づく俺を追い越して、山瀬が扉に手をかける。

「おい、もうちょっと慎重に」

「どんな風に行ったって変わらないよ、この先は。心の準備は?」

「――出来てる」

 山瀬が扉を開けた途端、修羅場の音が一斉に飛び込んできた。

 赤いバンダナを体のどこかに巻いたゴツいファッションの連中が、大倉庫の中に殴り込んできていた。人が飛び、引き倒され、誰かの手から離れた釘バットが回転しながら宙を舞う。バイクが倉庫の中を走って人を蹴散らし、巨大な旗が振り回される。――『千羽連合』。

 獄原一味はコンテナや事務机を盾にして千羽連合を押し返し、角材を手に攻め入ってくる赤バンダナの連中に応戦している。事務机を超えて飛びかかろうとした奴が寄ってたかってボコボコにされ、トラックをつけるための少し高くなった場所から放り出されている。

 怒号。悲鳴。猿のような笑い声。何かが崩れる音。

 昼間に初めて訪れた時の雑然とした秩序は、一欠片も残っていない。

「これは……」

「あー……千羽連合か。あの時代錯誤ども、まだ生き残ってたんだ」

「……あいつら宛にメールを送ったのか!?」

「そんなツテはないから情報屋に『千羽で一番血の気が多くてフットワークと引き金が軽い奴らに転送しろ』ってお願いしたんだよ。物量任せでとんでもなく雑だから基本関わりたくないけど……見た感じ、今回はとてもいい感じにやってくれてるね」

 山瀬は堂々と大倉庫の中を歩き始めた。俺も慌てて追いかける。

 人と物が宙を飛び交う大乱闘の中、山瀬と俺の周りは不気味なくらい凪いでいた。獄原一味は千羽連合の迎撃に釘付けで、駆けずり回っている連中にしても元仲間の俺たちを気にしている余裕はなく。知らない顔は全部敵だと言わんばかりの勢いの赤バンダナの連中はまだバリゲードを突破出来ていない。まるで散歩でもしているかのように、俺たちは大混乱をバックにのんびりと歩いていた。

 このまま上手いこと混乱に乗じて逃げられるんじゃないか。そう期待を抱きながら、大倉庫を抜けて閑散とした廊下に一歩踏み出す。

 今回楽観した通りに進んだことは一つもないのを思い出したのは、その直後のことだった。

「――――げ」

 廊下の中央に、仁王立ちしている獄原がいた。蛍光灯の光を背後に背負い、真っ暗な顔で俺たちを見ている。

 山瀬は仲のいい相手に挨拶するように軽く手を上げた。

「やあ獄原、なんか大変なことになってるみたいだね。さっきまで仲間だったよしみで加勢しようか?」

「――どの口がほざいてるんだ」

 獄原の目の奥に、重くて暗い怒りが沈んでいる。

「いくらなんでもタイミングが都合良すぎるだろうが。証拠なんざねーがお前の仕業に決まってる」

「信用ないなあ」

 山瀬は肯定も否定もせずに笑う。

「テメーのドタマをかち割る前に一個聞かせろ。……どうしてこんなことをした」

 ドスの効いた声。山瀬はペースを崩さない。

「どうしてって……依頼主に頼まれたからだけど?」

「テメーがその依頼を受けた理由だ。……金か? まさかとは思うが義理人情ギリニンジョウか?」

「金には興味ないんだよね、前にいたチームで散々稼いだし」

 確かにコイツの金銭感覚はおかしい。妙にデザインの凝った服ばかり着てるし、平然と高級ファミレスに入っていく。持ち合わせを気にする素振りを見せたことすらない。…………本当、その気になればいくらでも良いところに住めそうなのに、どうしてよりにもよってボロアパートを住処に選んだんだか。

「義理とかも今回は無いかな。……単純にさ、見たいからだよ」

「何を」

「壊れそうになかった秩序が壊れる時の大混乱。信じていた足場があっけなく崩れて墜落する時の絶望。……俺はね、そういうのを見るのが好きで好きで仕方がないんだ」

「そんなことのために――!」

 口には出さないが、俺も獄原と同じ気持ちだった。

 不断の努力で守られてきた平和。将来が期待される組織。――今まで積み上げてきた信頼。それを台無しにするのが趣味だなんて、悪趣味が過ぎる。

 山瀬はふと思い出したように続ける。

「そういえばさ、獄原は俺のいたチームがどうして解散したのか知らないんだっけ」

「ああ?」

「そりゃそうか、名前も覚えてないくらいだし、俺を仲間に誘ったくらいだし」

「――まさか」

 獄原の目が見開かれる。

「そう、俺が壊したんだよ」

 まるで――成功した悪戯を告白する悪童だった。

「丁度このチームと同じ感じでね。頭数が多くて、大きな金の流れが出来上がっていて、場所も車もいくらでも手配できて、警察が踏み込めないように上手く立ち回っていて。カリスマのあるリーダーが仕切っていて、有能なブレインもいて。誰も彼もがもっと良い明日が来ると信じ切っていたから……つい、足を引っ掛けてみたくなってね」

 獄原が頭を振る。

「……イカれてやがる。理解しようとも思えねえ。一銭の得にもならねーどころか、テメーの興味本位の自殺に全員巻き込んだようなもんじゃねーか」

「そっちこそ。よくもこんな大規模なだけのつまらない悪事を働けるよね」

 獄原が獣のように体勢を低くし、ナックルを嵌めた手で拳を作る。

 山瀬が足を一歩引き、半身になる。順手にはナイフ。

 間合いを取り、相手の出方を伺い合う。俺は下がって固唾を呑む。獄原が仕掛けた、瞬間。

 ガシャーン!!!!

 廊下の窓ガラスが派手な音を立てて砕け、獄原の側頭部に灰色の塊がぶち当たった。

 ――コンクリートブロック!!!!

 流石の山瀬もあっけに取られて動きが止まる。ガラス片の散らばる廊下に、一撃でノックアウトされた獄原が倒れ込んだ。

「何が――」

 起こったのか、答えはすぐに明らかになった。割れた窓ガラス目掛けて、角材で武装した赤バンダナが殺到してきていた。

 前に逃げるか、後ろに逃げるか。迷って立ちすくむ俺の手を、山瀬が掴む。

「カラス! こっち!」

 山瀬に手を引かれ、獄原を踏み越えて前に走る。背後から更にガラスが粉砕される音が追いかけてきた。

「ヤバい感じだったけどあれ死んでないよな!?」

「知らない! 千羽連合にはがっかりだ、いい感じに剣呑だった雰囲気が台無しだよ」

「知るか! 何でお前はこう俺の想像を超えて邪悪なんだよ!」

 後ろを振り返る。何人かの赤バンダナが後を追いかけてきていた。

「カラス、扉お願い」

「――わかった!」

 突き当りの鉄扉には、鍵がかかっている。暗い中目を凝らすと、巨大な閂だった。

 山瀬と赤バンダナが激突している音に焦燥感を煽られながら、捻ったり押したりしながら錆びついたそれを動かす。やがて、どうにかして閂をずらすことに成功した。

「開いた!」

「扉解放して裏に隠れて!」

 一体どんな意図が。山瀬を信じて、内開きの扉を開いて後ろに隠れる。

 程なくして。

「おい、扉が開いてるぞ!」

「マジか? マジだ! 行くぞ!」

 外から大勢の赤バンダナがなだれ込んできた。山瀬にかかってきていた赤バンダナもその人混みに流され、やがて大倉庫の方に消えていった。

「……これでよし」

 辺りが静かになったことを確認して、こっそりと扉を出ていく。

「大丈夫だったか?」

「平気平気、ちょっと腕を殴られたくらいだよ」

「……そんくらいなら大丈夫か」

 とっぷりとくれた外は存外静かだった。赤いバンダナの奴が、倉庫から様々なものを略奪して自分達の車に押し込んでいる。あちこちの防備を抜かれて、獄原陣営はついに壊滅したらしかった。

 こっそり逃げ出そうとしていた人影が寄ってたかってタコ殴りにされ、懐から何かを落とす。金色の輝き。瞬時に奪われる。

 あんなに統率が取れていたように見えていた獄原陣営が滅茶苦茶になり、火事場泥棒まで出ている。……本当の本当に、獄原一味の終わりだった。

 山瀬が振り返る。

「さて、これでカラスの依頼も達成だね。――資源ごみを盗む悪の組織はこの通り総崩れ。完全に潰れるのも時間の問題だよ」

「……ああ」

「何? もうちょっとリアクションあるんじゃない?」

「いや……一日で、一人で、マジで全部やりやがったってのが実感なさすぎて」

「ふうん……出した成果とクライアントの感動を釣り合わせるのって難しいなぁ」

 中々上手くいかないや、と山瀬は半ば独り言のように言った。

「さて、目当てのものも取り返せたし、あとは彼奴等に任せて帰ろうか」

「……そうだな」

 俺らが初めて潜入したフェンスの方に向かおうとした、その時。

「――待て!!」

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