2-3 巨大

 山瀬のスマホに『千羽のアングラに詳しい情報屋』とやらから連絡が来たのは、そこから一時間後のことだった。伝えられた資源ごみ泥棒のアジトを目指して、俺と山瀬は出発した。ちなみに尾花は置いてきた。ただでさえ感情的になりやすいし、今回は切迫した事情があって焦ってもいる。そんな精神状況の奴を、危ないかもしれない場所にはつれていけない。

「にしても、あんなフィクションみたいな奴いるんだな」

「そう、いるんだよ。今回は急がなきゃいけないみたいだから使ったけど、正直あんまり頼りたくないんだよね」

「……やっぱり高いのか?」

「性格が悪いんだよ。人の足元見てくるし、ちょっと気持ち悪いくらいに的確なんだよねぇ」

 そいつもお前にだけは言われたくないだろうな、という言葉は飲み込んで、バスの外に意識を向ける。俺も山瀬も、相変わらず車どころかママチャリも持っていない。車社会の千羽で遠出する時に頼れるのは公共交通機関だけだ。

 千羽郊外に向かうバスは、ホームセンターやショッピングモール等、横に大きい建物が多く立ち並ぶエリアを通り過ぎ、工業流通地帯に入っていく。山瀬が降車ボタンを押すと、俺たちは人通りの全く無い、トラックばかりが行き交う道に降ろされた。

「……本当にこの辺りなのか?」

「合ってる合ってる。去年倒産した会社が持ってた小さめ倉庫なんだってさ」

「倉庫って……そこまでデカいことやる相手なのか?」

「そうなるね。……ああ、アレだよ。例の半グレ共の仕切り場」

 俺は山瀬の指した先にある倉庫を見て――絶句した。

「……どう見ても小さめってサイズじゃないだろアレ」

「隣の生協や宅配便の倉庫と比べてみなよ。物流倉庫としては小型だよ。寧ろどんな大きさを想像してたのさ」

「……体育館の倉庫とか」

 目の前の倉庫は、どう見ても体育館本体以上の大きさはある。

 楽観が早くも崩れ去る音を聞きながら呆然としている俺を見て、山瀬が愉しそうに笑った。

「カラスの引きの良さには俺もびっくりだよ。で、どうする? 引き返す?」

「お前が尾花に結構な手付金要求してなけりゃそうしたかもしれないけどな」

「むしろ当然だよ。どうか頼むこの通り、って言うばかりで最低限の礼も尽くせないんだから」

「まあ……確かにそうだけど」

「……諦めきれないみたいだね。もう少しだけ近づいてみようか」

 フェンスを乗り越え、敷地内に足を踏み入れる。敷地内は長らく手入れされていない草木が生い茂っていて

、隠れながら進むのには全く困らない。広大な駐車スペースには、役所や水道工事の車のような印象を受けるワンボックスカーがまばらに停まっている。奥の方にはトラックまで。出払っているだけでもっと沢山停まることがあるのかもしれない。……このどれかが、尾花のCDを資源ごみごと持ち去っていったのだろうか。

 隣同士に停まっている車の間に身を潜め、倉庫の様子を伺う。

「……不気味なくらい誰もいないな、見張りくらいいるもんじゃねーのか」

「監視カメラがあるから必要ないんだろうね」

 山瀬があごをしゃくった先には、確かに白い箱のようなカメラがあちこちを向いて設置されていた。きっとどの出入り口にも設置されているだろう。あれを躱して倉庫に侵入するのは難しそうだ。

「これ以上近づくと流石に見つかるかな――と」

 背後から山瀬に腕を引っぱられる。

「隠れて。車が来た」

 慌てて体を引っ込める。背の高い車ばかりで、屈みこむ必要が全く無いのが救いだ。

 やはり何の変哲もないワンボックスカーから、わらわらと人が下りてくる。それぞれ一抱えもあるダンボールやプラスチック製のコンテナを運んでいる。

「いやマジでヤベーって、見たかさっきの……あっ!」

 集団の中でおどけていた一人がバランスを崩し、手に持っているコンテナごとひっくり返った。中身が盛大に撒き散らされる。

「……なんだあれ、ズタ袋か? どう見ても資源ごみにはみえねーけどなんであんな物……」

「中身を保護するためだよ。……ほら、ああいうやつをさ」

 落とした男が泡を食って中身を検める。陽光を跳ね返した銀色が俺の目を刺す。

「ちょっと、気をつけなよ。アンタが持ってる奴がババアの家の中じゃ一番高そうなブツなんだからさあ」

「悪ぃ、気をつける……」

「最初っからそうしろっての」

 遠ざかっていく連中との距離と反比例して、動悸が酷くなっていく。

「……資源ごみ盗んでいくだけの連中であってほしかった」

「カラス、現実を見ようか」

 震える声でつぶやく俺の肩を、山瀬がぽんと叩く。

 ――資源ごみを盗んでいくだけのチンケな半グレ集団なんてとんでもない。こいつらは――窃盗団だ。。それも超大規模な。

 これは、無理だ。倉庫まるごと買い取って大規模に盗みをやってる連中なんて、俺と山瀬の二人じゃどうあがいても到底太刀打ち出来ない。

 やることは決まっている。四の五の言わずここを脱出して通報だ。尾花は……きっと手ぶらで帰ってきた俺たちに、がっかりするだろうが。

 あとは声に出して『帰ろう』と宣言するだけなのに踏ん切りがつかないでいたその時、世間のエコ志向とは正反対を目指しているような重厚なエンジン音が響いてきた。俺と山瀬がピタリと動きを止める。

「獄原さんだ!」

「お前ら並べ! ボサッとしてんな!」

 箱を抱えた先ほどの連中が、慌てて倉庫沿いに一列に並ぶ。

 近くの車のドアミラーごしに相手の姿を伺う。入ってきたのはエンジン音に似合いの派手なアウトドア用の……マークが見慣れないので海外の車だろうか、とにかく高そうなゴツい車。

 助手席から下りてきた男が、後部座席のドアを恭しく開ける。ブルジョワの真似事のような仕草に眉を顰めていると、大柄な男が少し身を屈めながら下りてきた。

「お疲れさまです!」

 明るい茶に染めた、計算されつくしたようなバサバサの頭。一斉に頭を下げる連中に、軽く腕を上げて鷹揚に応じている。こんなことを言ったら怒られるかも知れないが、ストリートダンスでもやってるグループにいそうな風体だった。

「……半グレってヤバさに応じて派手な格好しないといけないってルールでもあんのか?」

 隣のV系バンドのボーカルのような男を振り返る。

 山瀬は無言で、食い入るようにその姿を見ていた。

「山瀬?」

「……そっか、ここのボス猿は獄原か」

 熱に浮かされたような口調だった。……冷静で狡猾な山瀬が、静かに熱狂している。

「気が変わった、手を引くのは中止だよ」

「は!? 中止って――正気か!? 連中どう見てもヤバいだろ!?」

 ――どうして今このタイミングで山瀬のやる気に火が。どうにか山瀬を説得して退却したいが、方便が全く思いつかない。

 と、その時。

「お、おい、そこのお前ら! えーっと……何をしている!」

 背後の微妙に情けない怒号に振り返ると、山瀬が既に動いた後だった。体勢を低くして叫んだ奴の虚をつき、背後に回り込んで拘束する。

「ちょっと何なんですか、離して……ひっ!?」

 騒ぐ声が不意に途切れる。その原因がわかって、俺は絶句した。

「次に許可なく喋ったら頬に風穴が空くよ」

 一体いつどこから取り出したのか、山瀬の手には直線的な光を放つナイフが握られていた。切っ先は真っ直ぐに、塾講師のバイトでもしている方が似合いそうな風体の男の顔面に向けられている。

「下手に暴れても同じことになるからね」

「山瀬!」

 流石にやりすぎだ、と抗議をこめて小声で怒鳴るが、山瀬は意にも介さない。

「穏便に済ませるってわけにはいかないよ。どう見てもここの関係者だし。……そうだよね?」

 静かで穏やかな声。しかし食い込む手にはまるで容赦がない。

 …………山瀬が通常運転に戻った。俺が心底関わりたくない半グレモードの方の山瀬に戻った。

「そ、そうだ! 僕に何かあったら獄原さんが」

 山瀬がナイフの面を押し当てる。短い悲鳴。

「獄原が駆けつけてくるのと俺の気が変わるの、どっちが早いかよく考えてから物を言おうか。カラス、こいつのスマホと財布取り上げて」

「……そういうのには手を貸したくねーんだけど」

「いいから。コイツに連絡を取られるのはカラスだって困るよね?」

 山瀬は全く引かない。ただ有無を言わせない視線で俺に行動を促す。

 悪事は大嫌いだ。山瀬の言うことがもっともだろうとやりたくない。……しかしこいつは間違いなく窃盗団の一員なわけで、代わりに俺が提案出来ることも特にないわけで――。

「ああもう!」

 めぐり合わせが悪かったのだと強引に自分を納得させて、男の服を軽くまさぐる。胸ポケットからスマホ、尻ポケットから二つ折りの財布を抜き取る。これでいいんだろ、と不承不承山瀬の前に見せる。

「上出来。そのまま預かっててね。……さて君、折角捕まってくれたわけだし、一緒に来てもらおうか」

「何が目的なんですか……!」

「そのうちわかるよ。まあ、大人しくついてくれば取ったものは返すから」

「そんなものが信じられるとでも――」

「逆らったら痛い目に遭う、って方がわかりやすいかな」

 次の言葉を継げずにいる男に、山瀬は抵抗できない獲物を前にした蛇のように微笑みかける。

「移動しようか。カラス、ここから近くてドライブスルーのない店調べてくれる?」

「……わかったよ」

 男の腕を拘束したまま歩き始める山瀬に続いて歩き始める。

 ……俺はどこで間違えたのだろうか。ただ仕切り場を一つ壊滅させて、ついでにCDを回収出来ればそれでよかったはずなのに。 

 『山瀬相手に大きな貸し借りは作らない。出来る限り単位を小さくして、大事に巻き込まないし巻き込まれない。きっと、それがこの先も平穏に暮らすための鉄則』

 ――それを破った代償としては、ちょっとデカすぎないだろうか。

 予想外に速度を増して転がっていってしまった事態はもう止められない。見え透いた暗雲に向かって、俺はただ歩を進めることしか出来ないようだった。

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