1-6 捜査
翌朝。
事務所には有給を使うと連絡を入れたので、今日は一日山瀬に付き合う――付き合ってもらう約束だ。言葉の上では俺が山瀬に協力を要請した形になっているのが未だにモヤモヤする。
昨日は慌ただしかったので、朝食のおにぎりは作っていない。その代わりに炊飯器を開けると、白い湯気が立ち上った。夕飯でもないのに炊きたての米を食べるのはいつぶりかと考えながら、久々に丁度良く温かい朝食を口に運ぶ。テレビを付けると、妙に明るい調子のニュース番組がやっている。普段起きる時間の味気ないニュース番組とは雲泥の差だと思いながら、食後のお茶までゆっくりと頂く。
山瀬との約束の時間は八時、普段ならゴミ収集車が最初の回収を始めている時間だ。テレビで時間を測って私服に着替え、メッセンジャーバックに少しばかりの荷物を詰め込む。丁度の時間に外に出て、隣家の前に立って深呼吸する。
昨日は精神的に参っていたのもあって、山瀬に圧倒されてしまった。今日こそは気圧されない。
キッと扉を睨みつけ、やや乱暴に遠慮なく叩く。
程なくして返事があって、中から山瀬が姿を現した。
「おはようカラス。流石朝が早いね」
「………………おう」
無理だった。
今まで見てきた山瀬の服よりも更にすごい。昨日までの山瀬の格好はただの運動着、近所のコンビニまで行くスタイルでしかなかったことを思い知らされる。原宿系、とでも言うんだろうか。服のシルエットが妙に複雑で、黒一色なのに「派手」という言葉が一番しっくりきてしまう。俺のパーカーとデニムも両方黒だが、派手どころか地味の極地だ。不必要な敗北感を感じる。
それに――。
「……目の色どうしたんだ」
初日は明るい茶色だったのが、今日は若草色になっている。断じて光の加減なんかじゃない。
「これ? カラコンだよ」
山瀬はあっさり答えた。
……ということは、地の色は案外普通に黒なんだろうか。その髪も。
「今日はどうするんだ。あの帽子男のことを調べるんだろ」
「うん。まずはカラスがあの男と出会ったアパートに行こうと思ってるよ」
「……それは危なくないか?」
「大丈夫大丈夫、流石に無策じゃないよ。俺らが知ってるのは今のところ住処くらいだし、まずはそいつのことを知らないとね」
「……わかったよ」
信じるぞ、とは言えなかったが、特に反対出来るだけの理由もない。
メッセンジャーバッグに忍ばせたモンキーレンチの感触を、そっと確かめる。振り回すようなことにならなければいいが。
俺と山瀬は、徒歩で件のアパートに向かった。俺たちのボロアパートから徒歩圏内の事務所の、その更に徒歩圏内。四〇分も歩くと、昨日の夕方に回収で行ったアパートが目前に見えた。
「さて、問題はどの部屋に住んでるかだけど……」
何やら考え始めた山瀬の後ろを横切り、ゴミ回収ボックスの中を見る。流石に昨日回収不可シールを貼ったゴミは残っていない。
ため息をつき、昨日見た袋の中身を思い出す。
ティッシュ。ビールの缶。生ゴミ。……DMの封筒。
「三〇三号室」
山瀬が驚いたように振り返る。
「……その情報はどこから?」
「昨日見たゴミの中身を思い出した。名前も何も覚えてねーけど、住所の末尾が三〇三だった……気が、する」
「上出来。それじゃあ行ってみようか」
「いや、間違っているかも知れねーし……」
「それなら別のそれっぽい部屋を当たればいいだけだって。自信持って」
そう言って山瀬はスマホに何かを打ち込むと、すたすたとアパートに近づいていく。俺も慌ててその後ろをついていく。
……状況に流されてつい喋ってしまったが。今更ながら。人様の住所なんていう結構な個人情報、それもごみ収集員だからこそ知り得た情報を簡単に喋ってしまってよかったんだろうか。
これ以上の悪事を防ぐためではある。そしてそれは……少なくとも真っ直ぐな行いではない。――もう話してしまったものは仕方がない、せめて山瀬が悪用しないように見張るのが俺の責任だ。
階段を上がると、すぐに相手の本丸に辿り着いた。部屋には表札も何も出ていない。記憶違いじゃないだろうなと不安になる俺をよそに、山瀬が無造作にインターホンを押す。指図されるまま嫌々ながらドアにぴったりと耳をつけ、中の物音を探る。……何も、聞こえない。
「いないな」
「一体どこに出掛けたんだろうね。ゴミ清掃員の事務所かな」
「縁起でもないこと言うな」
さて次はどうしようか、と相談している俺らの後ろから、声がかかった。
「ちょっとあんたたち。その部屋になんの用なの?」
年配の女性だった。きっとこの階の住人だろう。郵便物を携えて、俺ら二人を訝しげにみている。
どうしようかと考えていると、山瀬が一歩前に出た。
「こんにちは、驚かせてしまってすみません。俺ら、この部屋に住んでる人の甥っ子なんです」
とんでもない創作設定が出てきた。
さっきまで俺と話していた態度はどこへやら、服装の派手さ以外は見事な好青年っぷりだ。
「伯父のスマホと急に連絡が取れなくなってしまって、母に様子を見てくるように言われたんですよ」
「加藤さんの?」
その名前を出すと同時に、女性の眉間に皺が寄る。加藤――それが帽子男の名前か。奴は近所の住人にもよく思われていないらしい。
「……もしかして加藤おじさん、何かご迷惑をおかけしているでしょうか」
さらに腰を低くする山瀬に、女性が口を開く。
「……あのね、こんなことアンタたちに言ったって仕方がないんだけどね、あの人あまりにもだらしないわよ。昨日だって、適当に捨てたゴミを収集の人に注意されて逆ギレなんてしててねえ」
その節はお騒がせしました、と当事者の俺はそっと心のなかで謝罪する。
「全く、昼は遅くまでいるし、夜は遅くなってからバタバタと煩いし。とても真っ当な人間とは思えないわ、一体何をしてる人なのかね」
「……本当ですか? ようやくおじさんが事務職のまともな仕事見つけたって、かなり続いてるって、そういう話しか聞いたことなくて」
「きっとね、あんたら揃って騙されてるよ。今日は珍しく早く出ていったけどね、……――」
女性は今までの鬱憤を全て晴らすように、次々と加藤への不満をぶちまけていく。
山瀬は同情的な顔で、時々相槌をうちながら真摯に女性の言葉に耳を傾ける。……これも何かの情報収集だろうか。俺も一応耳を傾けてみるが、正直日常の愚痴以外の何物にも聞こえない。
「色々ご迷惑をおかけしているみたいでごめんなさい、俺らからおじさんに言っておきます」
頭を軽く下げた山瀬に続き、慌てて頭を下げる。女性は鼻を鳴らして、「しっかりしなさいよ」とだけ言い残して自室へと引っ込んでいった。そして、足早に戻ってくる。
「これ、さっき私への郵便物に紛れてたのよ。会ったら代わりに渡しておいてくれない」
「わざわざすみません、ご迷惑おかけします」
今度こそ女性は部屋に戻っていった。扉にチェーンまでかかる音を聞きつけてから、山瀬と顔を見合わせる。
「こんなものかな」
「……真似する気にはなれないけどすげーなお前」
「褒められると悪い気はしないね。ちゃんと情報も勝ち取れたわけだし」
山瀬がDMの宛名を見せびらかす。三〇三号室、加藤武丸。
「名前と住んでるところと……あとなんだ、朝中々家を出ていかないのと、指定ゴミ袋に入れないから近所と揉めてたのと、普通に駐車場のこと聞いたのに逆ギレされたのと……色々わかったけど、どうするんだ? よく行きそうな場所で待ち伏せか?」
「もう少し確実な方法があるよ。次はここに向かおう」
山瀬が地図アプリで出したのは、千羽市の繁華街に近い辺りだった。
「何があるんだ?」
「金庫の出どころ。多分ね」
「……は? え? いや待て、確かに色々聞いたけれども、今の会話のどこに勤務先のことなんか」
「拾い集めれば簡単だよ。
まず職業。曜日はバラバラだけど、午後のだいたい決まった時間に家を出てる。小売業か飲食業か、とにかく定職にはついている。
次に職場の大体のエリア。加藤のゴミ、やたらとドンキの黄色い袋があるって話だけど、あれって千羽の中じゃ二箇所にしかないんだよね。ここからのアクセスを考えると、十中八九町中にある方。職場もきっと、毎日のように寄れるくらいに近所にあるだろうね。
で、そのドンキの近所で最近起きた事件を調べるとね。この輸入雑貨店、加藤の帰りがやけに遅かった日に強盗に遭ってるんだよ」
ね? 簡単でしょ? と言わんばかりの笑みで、山瀬が推理を締めくくる。
……この情報のために、本来の山瀬とは全然違うキャラを演じて。初対面の女性の愚痴に付き合って。そういえば山瀬が何か先を促す度に、女性の声のトーンと情報量が一気に上がっていたような――
――良くも悪くもとんでもないやつだ。例え信用はしても、絶対に信頼してはいけない。
しかし、だ。
「……理屈は通ってるっぽいけど、いくらなんでも話が出来過ぎだろ。そんな簡単にわかるか普通?」
「行ってみればわかるよ。違ったらちゃんと次を考えるから、気楽に気楽に」
俺の心配をさっくり蹴り飛ばして、山瀬は軽やかな足取りで階段を下っていく。
……一応は俺と、あとは山瀬の安全もかかっているはずなのに、ああまで気負わないでいられるのは何故なんだろうか。
警戒して一歩も進めずに縮こまる俺との違いは何だ。自信? 実力? ……育ち?
誰にだって負けなさそうでどこでもやっていけそうなのに、いったいどうして山瀬は半グレなんかに手を染めたんだろうか。
首を捻りながら、俺は山瀬を追ってアパートの階段を降りていった。
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