1-5 不承
コタツに入り込んでニコニコしている山瀬を見て、シンクの方に向き直ってから盛大にため息をついた。
確かに『場所を変えようか』という提案には頷いたが、まさか俺の部屋に押しかけられる羽目になるとは。
二つあるマグカップにほうじ茶を注ぎ、比較的綺麗な方を山瀬の前に置く。
「ありがとう」
嫌味なく微笑む山瀬を睨みつけ、斜向いにどかりと座り込む。
茶を一口飲むと、山瀬はさっそく本題を切り出した。
「で、あの帽子の男は何?」
「……ゴミ収集の仕事の最中に俺を怒鳴りつけてきた奴だよ。顔は見えなかったけど、お前に袋ぶつけられた時の声が一緒だった」
「ゴミ収集? へぇ、だからカラスって呼ばれてるんだね」
「……待て、誰から聞いたんだそれ」
「一階の尾花」
「あの野郎……」
「でも実際烏山よりも呼びやすいよね、そう思わないカラス?」
「張っ倒すぞ」
……きっと山瀬はこの先俺がどれだけ嫌がってもカラスと呼び続けるだろう。一〇一号室に住むバンドマンに呪詛を送る。タンスの角に小指をぶつけろ。
「そいつに何の恨み買ったの?」
恨み。……何故恨まれるのかはさっぱりわからないけれども、確実にあれだろう。
「あいつが捨てたゴミ袋の中身を見た……のが原因だと思う」
「……それもゴミ収集の仕事?」
「例えば可燃ごみの日なのに明らか不燃ごみ混じってんなと思ったら見ていいんだよ。で、本当に混ざってたら置いてく決まりだ。……普通ゴミにしては重いと思って開けてみたら、手提げ金庫が入ってた。その時はただ不燃ごみだと思って置いていくつもりだったんだけど、その直後に怒鳴り込んできて奪い取られた」
「奪い取られたのは金庫だけ? 袋ごと?」
「金庫だけだ。他は置いてったな」
「なるほどね。……カラスは奴が秘密裏に処分しようとしていた金庫を、秘密じゃなくしちゃったわけだ」
「そうなるのか?」
「今までの情報だとね。手提げ金庫って、外からは見えないように捨てられていたんだよね? 誰にもバレないように手放したいっていう奴なりの思惑があったんだろうね。集積所に置いて、収集車に乗せられるまで、ずっと見張っていたんじゃないかな。だからこそ――収集に来たカラスが袋を開け始めたのを見て、慌ててすっ飛んできた。手提げ金庫発見から怒鳴り込まれるまでがタイミング良すぎるのも、これで一応筋は通るかな」
「もしも盗みを警戒していたなら、取り返した時点で目的は達成だ。もっと別の方法を考えて、改めて処分すればいい。けれども奴はカラスを狙った。見られた事自体が奴にとって拙かったんだろうね。まあ、その企みも俺が邪魔してしまったわけだけれども……そこまでして隠したかった手提げ金庫、一体奴にとってはどういう意味を持っているんだろうね」
不敵な笑みで推理を締めくくる山瀬。悔しいが、俺が腕を組んで一晩中考えても、山瀬が今の会話の間で組み立てた推理には絶対にたどり着けそうにない。
「お前って頭いいんだな」
俺は噛みしめるようにつぶやいた。
山瀬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をすると、やがて小さく笑った。
「褒められて悪い気はしないけど、ほとんどただの推測だよ。で、一番の問題は……カラスを直接襲うまでして金庫の存在を秘密にしておきたい男が、あれで諦めるはずがないってことだよね」
「……そうかもな」
曖昧に肯定したが、本当に癪なことに、それも山瀬の言う通りだった。男のやることは目茶苦茶だが、段々エスカレートしている。その上行動力だけは有り余っている。
俺のことをストーキングするくらいだ、確実に職場は割れている。明日仕事に出掛ければ、間違いなく奴は俺を狙う。そして――明日逃げ切れたとしても、その先は?
「……理不尽だ。俺が何をしたってんだ」
気がつくとそんな言葉が口から漏れていた。
山瀬が鼻で笑う。
「理由なんてないから理不尽なんだよ。日頃の行いが良かろうと清く正しかろうと関係ないね」
「お前に俺の――ッ!」
何がわかる、と反射的に叫びそうになって、すんでのところで止めた。可哀想な自分への同情を引くようなことを言うのも、同情を引こうとする相手が山瀬なのも、どっちも冗談じゃない。
「それで? まさか自分は悪くないからって諦める?」
「んなわけねーだろ……あれだけのことがあったんだ、警察に」
「被害届を出すのはいいけど、渡せる証拠は?」
「ねーけど、」
「警察がパトロールを強化して現場を押さえるのとカラスが襲われるの、どっちが早いと思う?」
「それは……だったらどうしろってんだ」
その言葉を待っていたかのように、山瀬が笑った。
「俺がなんとかしてあげるよ」
「……は?」
唐突で突拍子もない申し出に、しばらく思考がフリーズする。
なんとかする? 警察の代わりに? ……山瀬が?
「いや、どうにかするってお前……」
「躊躇なく恫喝や暴力に訴えてる辺り、確実にやましい所のある相手だよ。奴が心配している通り、俺たちが積極的に手提げ金庫のルーツを探ってやれば絶対に慌てて隙を晒す。そこを突けば――奇襲を警戒し続けるより、よほど安全に早く安眠出来るようになると思わない?」
「だからって……あの半グレ共に関わるのは」
「半グレ共? ああ、あいつらなら解散したよ」
「……解散?」
「そう。綺麗さっぱりなくなっちゃった。ついでにそれ以降はどこにも入ってないから、俺が何をしようと誰に協力しようと自由ってわけ。大丈夫、首を突っ込んだからには最後まで責任取るよ」
何も大丈夫じゃない。
いや、そもそも。
「……お前、何が目的だ」
「んー、引っ越し先との親睦を深めるためってのじゃ駄目?」
「んなわけ――」
「信用ないなあ。日頃の行いが祟ってるね」
俺の言葉を遮って、山瀬はくすりと笑った。
「そもそも今のカラスにさぁ、俺が何を企んでいるかなんて気にしてる余裕があるのかな」
「――ッ、それでもお前の手を借りるのは」
「ああごめん、言い方を変えようか。カラスが何と言おうと俺は手を引かないよ」
「はぁ!?」
「まあそういうわけで……俺が好き勝手にやるのにただ巻き込まれるのと、ポーズだけでも協力者の関係になるの。どっちがいい?」
そんなのただの脅迫だ。
やっぱりコイツの力を借りるのは悪手だ、どうあがいても山瀬は俺の日常を壊しに来る。
……けれども、今目の前に、日常を壊すどころではない事態が迫っているわけで。
「わかったよ、裏がないと不安なカラスのために今企んであげるから」
「今!?」
「あ、そうだ」
山瀬の表情が一段階明るくなった。
「俺さ、まだ洗濯機持ってないんだよね」
「……は?」
…………意味がわからない。
「で、カラスの部屋ってさ、やけに古い型の家電があるでしょ。きっと中古で状態のいいものを選んで手に入れてるんだよね」
「まあ……」
確かにそうだった。ゴミ清掃員ほど「勿体ない」「まだ使えるのに捨てるのか」に敏感な人種もそういない。今足を突っ込んでいるコタツも、電気ポットも、ゴミ清掃員仲間から教えてもらったリサイクルショップで買ったものだ。
「あの帽子男の件が片付いたらさ、洗濯機安く買うの手伝ってよ」
……また訳のわからない条件を。無条件よりはまだマシ――のような気もするが。
承諾したくない。どんな条件でも関係なく、とても受け入れたくない。けれども俺には今の状況をどうにかする能力はないし、俺の前に垂れている蜘蛛の糸は、このたったの一本きりだ。
他の糸を悠長に探している暇は、ない。
「……わかったよ。無事に何もかもが終わったら洗濯機でもなんでも見繕ってやる」
「決まりだね。明日からよろしく」
山瀬が手を差し出す。
少し躊躇した後、俺はその手を一瞬だけ強く握った。
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