応援コメント

どんなに疲れていても」への応援コメント


  •  余裕がある時は返せますが疲れていたりすると難しいですよね……。

     でも、返信することが『義務』になってしまうときっと楽しくなくなると思います。かといっておざなりでは失礼ですしね……難しいなぁ。

     多分、個人差がありますよね。早くを望む人もいれば忘れた頃に返信が来る人もいます。早くを望む人は……寂しがり、若しくは余程相手が好きか(友人として)……じゃないですかね?

    作者からの返信

    おはようございます、赤村さん。

    おっしゃるとおり、いつも心身ともに万全、絶好調です! とはいきませんよね…。ですが、事務的な応対は失礼以外のなにものでもありませんし。
    自身のことはさておき、友人のために使う「力」は残しておきたいものです。
    (//∇//)

    個人差の分析は面白いですね! そうかもしれない、と思いました。
    (๑˃̵ᴗ˂̵)

  •  こんばんは。
     夜分に失礼します。
     先日はメッセージを頂いたその日の内に返信できず、すみませんでした。

     僕は高校卒業間近になってようやく携帯電話を使い始めましたが、それ以前はずっと、メールでのコミュニケーションはある種の「まやかし」で、直に会って話したこと以外は信じるに値しないと考えていました。そして、他のみんなもそのことは「分かって」いるだろうと思っていました。
     ですが、どうやら一般的には、メールでのやり取りは顔を突き合わせての会話と同等の重要性を持つようですし、会って話した内容は忘れてしまってもメールの文面に残っている事柄は覚えている、という方もいらっしゃるようで、それに気付いたときは「これが携帯電話に慣れ親しんだ現代の若者なのか」と驚きました。
     メールの場合、表情も声も伝えられないので文面や言葉選びに気を遣いますし、あまり短すぎても味気ないし長すぎても迷惑だろうし……と(会話のときは必要ない)文字数の調整を始めてしまって、ちょっとした内容のやり取りをするだけでもすごく時間がかかるんですよね。些細なことならメールじゃなく会ったときに話せばいいじゃん、と思う気持ち、よく分かります。
     おそらくですが、メールを使い慣れている方には、「プライベートでメールのやり取りをした」という経験の共有によってある種の信頼感が培われていくという感覚があるのだと思います。カラオケにしても、相手の趣味嗜好や歌唱力を知る以上に、「カラオケに行った」という経験を共有することが大事だという話を聞いたことがありますが、似たようなものかもしれません。だからこそ、メールの真意よりも形式的な側面――「すぐに返信が来た」とか「文面が長すぎず短すぎず丁度良い」とか「最後に質問があるから返信しやすい」とか――が重視される傾向にあるのでしょう。
     情報を発信して受信するという相互作用がSNSの肝だとすれば、カクヨムもSNSに含まれるでしょうから、内容だけでなくそういった形式的な側面も重要性を持ってきますね。もちろん、ここでは内容と形式と言って対比させていますが、二者択一のものではありませんし、どちらも相手への思いやりに違いありませんから、どちらも大事にしていけると良いですね。
     ……僕はご覧の通り、話が長くなりがちで、短くしようとすると逆に時間がかかるので、開き直って文面の長さのことはあまり考えないようにしていますが、このはりとさんにプレッシャーを与える意図はありませんので、どうかご容赦ください。

     長文失礼しました。

    作者からの返信

    おはようございます。
    本エピソードに書いたことは自戒であって、他の誰かに求めてはいません。ですので、どうか気になさらずに!
    応援をありがとうございます。
    ( ´ ▽ ` )ノ

    形式的な側面は、あじさいさんのおっしゃるとおり、あるのかもしれませんね。最後は、相手を思い、行動できるか、にかかってきそうで…。

    同じ分量を返そうとがんばった結果、やりとりをおっくうに感じるようではいけませんよね。お気遣いもありがとうございます。
    (*´︶`*)