#4.5
鏡の世界の中で私とセキュアは睨み合うように向き合っていた。
「それで、彼と出会わない世界を望んだんじゃなかったの?」
セキュアは冷たい声で切り出した。
「これは、私が望んだ結末じゃない。」
「じゃあどうしたいの?」
「戻りたい。戻したい。前のように、私は……。」
両手をぎゅっと握りしめる。届かない願い?叶わない望み?見てはいけない夢?そんなの、知らない。もう、知らないんだ。
「鏡を出して。」
強く願うのはたった一つの結末だけ。そこに辿り着くまで私は何度だって鏡をくぐる。そう決めたんだ。それでその結末にたどり着けるなら、何度だって……。
鏡が私をぐるりと囲む。
「ねえ、セキュア。」
「何?」
「あなた、鏡の向こうがどこなのかを変えられるの?」
「私が変えるんじゃない。変えているのは、あなた。心の中の疑念、不安、期待、夢、希望、絶望、そういったものが行き先を選ぶの。」
一息置いてセキュアは続ける。
「願いの強さは世界だけでなく時間をも超える。」
「それなら!」
私は叫んだ。
「私を連れて行って!あの日に連れて行って!元いた世界のあの日に、連れて行ってよ!」
セキュアは大きく目を見開いた。だけどすぐに冷たい表情に戻る。
「行ってどうするつもりなの?」
「全てをやり直す。見つからないならやり直せばいい。私が私の過ちをやり直せばいいの。」
その意志に揺らぎはなかった。
あの日、あの時、きちんと想いを伝えていたら。
あの日、あの時、意地をはらなかったら。
あの日、あの時、「ここに居て」とちゃんと言えたら。
あの日、あの時、その手を離さなかったら。
後悔という言葉で語り尽くすことはできない。だけど、この気持ちを語り尽くすだけの言葉を私は知らない。
「それが正しい選択になるとは限らないかもよ。」
「正しいかどうかを決めるのは私よ。」
信じたものが必ず正しい訳では無いっていうのは、この十七年間で知ったことの一つだ。
「神様にでもなったつもり?正しいかなんてあなたに決められない。」
「じゃあ誰が決めるの?神様なんていないのに。」
だって、それでも信じなきゃならないなら、正しいかどうかを決めるのは私なのだ。なぜなら、私という人生の主人公は他でもない私なのだから。
「鏡を出して。」
私の決意は変わらない。
「もし、行った先があなたの望む世界でないとしたら?」
「何度でも行ってやる。私が望む世界は一つだけだから。」
セキュアが鏡を出した。
「一枚だけ?」
いつもなら私のことを囲むようにいくつもの鏡が出てくるのに、出てきた鏡は一枚だけだった。それに鏡面が波打つように歪んでいる。
「あなたに本当にその覚悟があるならこの鏡を使えばいい。これは特別な鏡なの。」
「特別?」
重々しくセキュアは頷いた。
「これは最終手段と言ってもいいモノ。確実に望んだ時と場所へ飛ばしてくれる。」
不確定要素ゼロで『あの日』の『あの時』に行けるってことだ。
「使わせて。」
「だけどこれを使えば、二度と鏡の中へくるくことは出来ない。あなたの手の中にある鏡はゲートである効果を失い、ただの鏡になる。」
もう、やり直しはできないってことか。それでも、これが最後のやり直しになればいいんだ。
「構わないよ。やってやる。」
「本当に?もうやり直しなんてできないんだよ。二度と鏡の中へくるくことは出来ないんだよ。」
心配そうな顔をしてセキュアが言う。
「心配そうな顔なんて似合わないよ。いつも見下したような目をしていたくせに。」
笑って私は言う。そして、手を高く掲げる。
「何をするの?」
「こうするの!」
手を振り下ろし、手の中にあったものを強く地面に叩きつける。
「ちょっと!?」
慌てたセキュアの声。スローモーションのように世界がゆっくりと動く。
鏡にはヒビが入り、割れた。鋭い欠片がいくつも飛び散った。飛んだ欠片の数の二倍の目が私を見つめる。割れた鏡の中の幾つもの世界の幾つもの青い空が澄んだ色で輝いてる。宙に舞う空の欠片はゆっくりと落ちていった。
「鏡がっ!」
セキュアがもう一度叫んだ。
「これでいいの。その“最終手段”を使う。だからもういらないもの。そうでしょ。」
「そう、ね……。」
怖い顔でセキュアは頷いた。
「なに?怒ってるの?」
「怒ってない。ただ、驚いたのよ。」
そう言うとセキュアは私の手を取った。その手の温度は冷えきったガラスのようだ。いや、私はこの温度をもっと知っている。そうだ、鏡。これは鏡の温度だ。
「行きましょう。鏡の向こうまで、ギリギリのところまで送ってあげる。」
私はセキュアに手を引かれながら鏡の中へ入っていった。
鏡の中は薄暗かった。どこかに光源があるような感じではなく、空間全体がぼんやりと光っているような感じだ。そして鏡の中なのに幾つもの鏡があった。
「ここ、鏡のなかなんだよね?」
「鏡のなかの鏡のなか。つまりは、鏡の世界のど真ん中ってとこかな。」
私に映る私はどれも私なのに少しづつ違った。
小学生の頃の私。泣き顔でこっちを見ている。その顔は何かを言いたそうにして、それから何も言わずにそっぽを向いた。
幼稚園の頃の私。無邪気に笑ってる。
大人になった私であろう人物。その姿が映っているものは何枚かあるけど、一枚一枚表情が違う。疲れきっているものもあれば、幸せそうに笑っているものもある。隣に誰かいるものだってあるけど、一人ぼっちのものもある。
それから、今の私。笑ってる私。泣いている私。怒っている私。疲れきっている私。無表情な私。
服も年も表情も違うけれど、どれも私だ。
「これは?」
「あっちこっちのあなたに繋がってるのよ。」
セキュアは「これ以上は説明しない」と、言うかのようにそれだけ言うと、どんどん奥へと進んでいった。
どれくらい歩いただろうか。随分と長い距離を歩いたと思う。奥へ奥へ進むと鏡の数が減っていった。そして途中からは一つも見なくなった。
セキュアが急に止まった。
「私ね、あなたに間違った選択をして欲しくないの。後悔して欲しくないの。」
セキュアは前を向いたまま話し始めた。その背中は少しだけ寂しそうだった。
「私は過去に間違った選択をした。鏡を使った。それでも間違いは直らなかった。何度繰り返しても、何度移動しても、私がその間違いをしない、なんて場所はなかった。だから、私は罪に罪を重ねた。それが私がここにいる理由なの。」
途中から声が湿っぽくなってきた。
「セキュア、泣いてる?」
「うるさいわね。黙って聞きなさい。いい?私はあなたなのよ!」
そう言うとセキュアは振り向いた。目に涙を溜めて。それでも、こらえるかのように歯を食いしばっていた。
「セキュアが私……?」
言われた意味がわからなかった。
「そうよ。私はあなたなの。私は星奈なの。」
「待って待って、どういうこと?」
理解が追いつかない。
「私は別の世界の星奈なの。いや、星奈だった、が、正しいかな。」
セキュアが仮面を取る。そこには私とそっくりな顔があった。何も言えずにその顔を見つめる。
「間違った選択をして、罪に罪を重ねた。だから私はここで鏡の精となることになった。」
つまりは贖罪、ということなのだろうか?
「だからあなたが決断してくれて嬉しかった。」
セキュアの目から涙が溢れだした。
「人間誰しも間違いはするものよ。後悔だってつきものよ。でもね、前を向かなきゃ始まらないの。どれだけ辛くても、止まっているだけじゃなにも変わらないの。」
セキュアは、すっと前を指さした。そこには一枚の鏡。スポットライトが照らしているかのようにその周りだけが明るい。
「さあ、行って。前に進むの。もう後悔しても鏡は使えないんだから。」
「うん。絶対に私が望んだ未来にしてやるんだから。」
鏡の前へ一歩踏み出す。だけどこそで立ち止まった。
「ところで、セキュアはなんで鏡を使ったの?」
「間違ったのよ。」
「なにを?」
「大切な人を傷つけてしまったの。守りたかったものを守れなかったの。愛してるってちゃんと言えなかったの。そして、愛する人を失った。」
「失った……。」
「だから、もうその手を離しちゃダメだよ。何がなんでも。」
私はゆっくり頷いた。
「大丈夫。もう意地なんてはらない。素直に言うよ。ちゃんと伝える。私の心からの気持ち。『愛してる』って。」
鏡を目の前にして大きく深呼吸した。なんて言うかはもう決めてる。
「あの日の、あの時へ。」
そっと鏡に触れる。なにかに手を引かれるように、その中に吸い込まれる。
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