#2
どうやら本当にここは一つ前の世界に「徹と詩乃が両片思い」という要素だけを付け加えた世界のようだ。スマホで過去の出来事を確認しながら私は確信した。それにこの両片思い、典型的なやつなのだ。お互いを好きでいながら、それに気づけない。
──ピリリリリリリ
無機質な着信音。誰から?
「詩乃?」
何かあったのだろうか?
「もしもし、詩乃?」
「やっほ。星奈。」
「なんかあったの?」
「んー、なんかって程じゃないんだけどさ。」
「暇人ね。」
「まーね。それでさ、聞いてよ。」
「どした。」
「今日お菓子焼いたんだけど、明日学校持っていったら徹、食べてくれるかな」
「食べると思うよ。あいつ甘いものに目がないから。」
「じゃあ持っていく!それでね、この前徹がね……。」
詩乃は楽しそうに徹のことを話す。私しか知らない徹はもうここにはいなくて、詩乃しか知らない徹がここにいる。
寂しい。
いや、これはもっと違う。悔しい、のかな。私は私が分からなくなってきた。
通話時間が1時間を超えたあたりで電話を切った。部屋の中はすっかり暗くなっていた。カーテンを閉めれば部屋は真っ暗だ。電気をつけないでベットに寝転んだ。
だけどすぐに母親の怒鳴り声に呼ばれた。
「星奈!ちょっと来なさい!」
相当怒っているようだったし、その原因に心当たりが無いわけではなかった。きっと郵送でこの前の模試の結果が返ってきたのだろう。
「今回のこの成績を見て何も思わないの?いつまで部活してるの?もう三年生でしょ。少しは自覚したら?全然勉強できてないじゃない。」
こういう時私はこの言葉しか言えない。言うことを許されていない。
「はい。ごめんなさい。」
「ごめんなさいじゃ学力は上がりませんけどね。はぁ、いつになったらちゃんとするんですかね。そんな調子でいい大学に入れるわけがないでしょ!」
「いい大学じゃなくてやりたいことが出来る大学……。」
ぼそっと言ってしまった。
「何を言っているの。やりたいことなんてお遊びでしょ。お金を払って学ぶ。これがどういうことかわかっているの?」
ヒステリックに母親は叫ぶ。
「はい。ごめんなさい。」
やっぱり私にはこれしか言えない。この言葉を言うように魔法をかけられているみたいだ。
「いつまでたってもそんなちゃらんぽらんで。そんなふうなら必要ないでしょ。だいたいね……。」
ああ、今日はあとどれくらい続くのかな。親がこんなふうなのはどこに行っても変わらないみたいだ。まったく、嫌になる。私は人形になったかのようにしてやり過ごした。
やりたいことなんて望んでも意味は無い。夢なんて見るだけ無駄。世界なんてどこまで行ってもなにもかわらない。体全体が締め付けられるように痛んだ。私は本当にここにいる意味なんてあるのだろうか。
翌日の昼休み、詩乃はマフィンを焼いてきた。オレンジのマフィンだ。
「徹、焼いてきたんだけど、食べる?」
「わぁ、いいの?ありがとう!」
そこは二人だけの空間になっていた。
「どした、星奈。」
「いや、別に。あ、そうだ。俊介、模試の結っ……。」
「聞かないで。」
被せるように言われた。相当悪かったのだろうか。それ以上は聞かなかった。俊介は大きく欠伸をして、
「それにしても眠い。」
「午後の授業寝たらいい。」
「五限は体育。六限の英語は寝たらやばい。」
「あー、それは辛い。」
お弁当を片付けながら俊介は言う。
「ったく。あの二人、イチャイチャしやがって。」
「それでいて付き合ってないからね。」
お互いがお互いを想っている。それを見るのがこんなにも苦しいとは思わなかった。こんな気持ち、知りたくなかった。今にも雨の降り出しそうな黒い雲が空一面をおおっていた。
その次の日もまた次の日も徹と詩乃は同じような調子だった。私はそんなふたりを見ることが辛くなって逃げた。何となく理由をつけては一人になった。一人になって気がついた。最初から私の居場所なんてどこにもなかったってことに。そんなことないって思いたかったけど、それを否定するだけの何かを私は知らなかった。
ひとりぼっちの帰り道、私はずっとそんなことを考えていた。群青の空が迫ってくる。そこに浮かぶ白い爪痕は私のことを嘲笑っているようだ。
その日の晩、夢を見た。随分昔の夢だ。小学校の頃の、だ。
この頃の私はいじめられっ子だった。筆箱やカバンがゴミ箱の中にあることは日常茶飯事。黒板に大きく悪口を書かれたり、机が教室からなくなっていたりすることもよくあった。クラスの人も同じ学年の人も白い目で私のことを見た。投げつけられる言葉のナイフもやがて痛みを感じなくなった。何が原因だったかなんて覚えていない。昔から世渡り下手だったからどこかで誰かの恨みでも買っていたのだろう。
「早く消えろよ、ゴミが。」
「同じ空気吸いたくないんだけど。」
当時の私は無視するということを知らずに行ってきたやつには何かを言い返さないと気がすまなかった。
「あら、私もあなた達みたいな人と同じ空気吸いたくないと思っていたのよ。気が合うわね。」
皮肉を込めて私は言った。
「お前なんかと気があってたまるかよ。とっとと死ね。」
傷ついてないわけではなかった。だってどれだけ強がっても悪口は傷つくものだから。
一人の男子が言った。
「死ねって言って死ねたら楽なのにな。」
独り言のような話し方だった。
「なんだよ、お前。あのゴミの仲間か?」
「ちげぇよ。事実だよ。」
本人らしたら何気ない一言だったのだろう。でも私にはその言葉が、王子様が差し出すガラスの靴のように見えた。
それから私は彼に少しだけ近づきたいと思った。屁理屈を屁理屈で塗りたくったようなこの泥沼から救い出してくれるような気がしたからだ。でもその考えはしばらくしてから打ち砕かれた。聞いてしまったのだ。彼が私の陰口を言っているところを。見てしまったのだ。彼が私の筆箱を窓から投げ捨てるところを。
私は咄嗟に身を隠した。気づかれてはいない、と思う。
「王子様なんていないし、現実世界でシンデレラなんてなれないんだ。」
転げるように階段を駆け下りて、私は逃げた。
目が覚めると汗ぐっしょりだった。なんであんな昔の夢を見たのだろう。
「王子様なんていない。」
そう、助けてなんて貰えないのだ。
「シンデレラなんてなれない。」
あんな典型的なハッピーエンドなんてないのだ。分かっていたはずなのに。私はまだ夢を見ていたのか。意味の無い夢を。叶うはずのない夢を。望んではいけない夢を。夢を見て絶望するくらいなら夢なんて見ない方がいいとわかっていたのに。
足音を立てながら窓に向かう。大きくひとつ深呼吸して勢いよくカーテンを開けた。空は東の空から輝く光を溢れさせ、柔らかなオレンジ色に染め上げていた。たなびく雲の隙間から燃え上がる太陽が昇ってきた。太陽の光は街を照らす光となり、影をつくる。その光は愛のように、その影は怨みのように。そう、私の中で燻るこの感情はまるで、この朝の街のようだ。
黙って私はその朝焼けを見ていた。空から紅が消えた頃、私はカーテンを閉めてベッドに潜り込んだ。今日は土曜日。何も考えずにもうひと眠りしよう。
再び目を開けた時はもうお昼前だった。朝食とも昼食とも言えないような食事をとって、自分の部屋にもどる。
机に置いてあったスマホがメッセージの着信ランプを光らせていた。詩乃からだった。
『今徹と買い物に来ているんだ。プリクラ撮ったんだけど、盛ると徹可愛い笑』
添付されている写真は嬉しそうに笑う詩乃と、照れたような顔の徹のツーショットだった。二枚目の写真は、盛られすぎて女子のようになった徹だった。
『へー、何買いに行っているの?徹、女子みたい。明日から徹子ちゃんって呼ぼうかな』
『服とか本とか見て回っている感じ。何買うっていうか、ぐだぐだしてるかんじよ。』
ああ、それはまるで、私と徹がしていたデートのようだ。行く場所が思いつかなくて、とりあえず駅とかショッピングモールとか行ったりしていたな。最初は一つくらい目当てのものがあるのだけど、それが終わればふらふらとするの。途中で急に欲しいものとか思いついて、お店探したり、ひょんな事でいいお店見つけたり。
スマホの画面が滲んで見える。瞬きをすれば雫がこぼれ落ちた。手の甲でそれを拭って顔を上げた。目に入ったのは鏡だった。
誰も私のことを必要としていないし、変わることも救われることもないのかもしれない。私なんていない方がいいのだろうし、私がいなくなった所で、何も変わらない。
ああ、でも、もしも、私が必要とされる世界があるのなら……。私じゃなきゃいけない、という場所があるなら……。
苦しくて、痛くて、辛くて、体が裂けてしまいそうだ。すがるような気持ちで私は鏡に触れた。
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