#1
目を開ければそこはいつもと変わらない私の部屋だった。本棚の本も、クローゼットにかかっている服も何一つ変わっていない。「何か一つ大きく変わっている」とセキュアは言っていたが何が変わったのだろうか。
──ピロン
スマホがメッセージの着信を知らせた。
「誰から?」
私は恐る恐るスマホを取り上げた。それは『天文部三年』と名前のついたグループからだった。どうやら、天文部に入っているのは変わってないらしい。
俊介『やべぇ、屋上の鍵2年に渡してきちゃった』
詩乃『朝のうちに取り返しておけば?じゃなきゃ昼、あっちで食べられない』
俊介『やっぱりドーム行くよなぁ……』
徹『もち』
俊介『鍵ダル』
詩乃『頼んだ』
どうやら天文部のメンバーも変わってないようだ。お昼をみんなでっていうのも変わってないようだ。だとすれば何が?そう思いながらカレンダーのアプリを開いた。これを見れば何をしていたのか大体はわかるだろう。私は予定を必ずそこに入れているから。
カレンダーを遡っていく。宿題の提出日、塾の日程、本の返却日。
なんだ、何も変わってないじゃん。
そう思った次の瞬間、私の手はある予定のところで止まった。四月三十日。『あの日』だ。
前の予定は『デート』となっていたが、その日は『天文部三年カラオケ』となっている。それより前の日も、徹と二人で遊んだ日は全て『天文部三年』で遊んだことになっていた。
「つまりここは、私と徹が付き合っていない世界……。」
『何か一つ』という曖昧な表現で括られたその『一つ』というのは、あまりにも大きすぎた。
翌日、空はよく晴れていた。少し強くなってきた日差しと、緑色の風は、これぞ初夏、と思わせるものだ。駅から学校までの道を歩きながら私はひとつ大きな欠伸をした。
「おはよー。眠そうだね。」
後ろから聞き慣れた声。
「あ、徹。おはよ。」
「寝不足?アニメでも見てた?」
「いや、それは徹でしょ。」
「バレたか。」
にやっと徹が笑う。
いつもと変わらない会話。前までしていたような会話。ごくごく普通のありふれた会話。
別れてからというものあまりこういう会話は出来てなかったから嬉しいし、久々に徹の笑顔を見れてほっとしつつも、これは違う徹なのだと思い出すと、どう考えるべきなのか分からなくなってしまった。
「それでさ、聞いてよ。」
私は複雑な心境は一度横に置いて話を聞くことにした。だって、せっかく話せるのに話さになんてもったいないから。
それは昨日見たというアニメの話だった。それはパラレルワールドをモチーフにした話だった。
主人公の少年は事故で死んでしまった幽霊の少女と恋をした。少年は少女が幽霊になった日、つまり死んでしまった日に叶えられなかったのぞみを叶えようと、『何でも屋』である友人に頼んで少女が死ななかった世界へと行く。しかし行った先の世界は終わりかけていた。少数のヒトと多数のヒトでないものの戦争から逃げ、のぞみを叶えられずに元の世界へ戻ってくる少年と少女。
「それで少女は最後に『これでいいの。今のままでいいの』って言うんだ。」
「これでいい……のかな……。」
「何か言った?」
どうやら独り言は聞こえていなかったようだ。
「なんでもない。そのアニメ、後で見てみる。」
「うん。オススメ。」
何事もないかのように会話が終わる。
教室まで来るとクラスの違う徹とは別れる。入れ替わるように隣に来たのは詩乃だった。
「星奈、おはよー。」
詩乃をみると昨日までのことを思い出して少し悲しくなる。不機嫌になりそうになるのをぐっと堪えて挨拶を返す。
「詩乃、おはよう。」
詩乃は私を上から下まで見ると、
「四十点。」
とだけ言った。
「何がよ。」
「制服ぴっちり来てるのは、まあ、許そう。真面目ちゃんだからね。」
「いや、何を許すのよ。しかも詩乃もちゃんと着てるじゃない。」
「だけど髪!」
ビシッと指差すと私のことを椅子に座らせながら、
「せっかく伸びてきているんだからちゃんと結びなよ。」
「まあ、二年の頃とかショートだったからね。」
私は胸のあたりまで伸びてきた髪の毛先を弄りながら答えた。
「たしかに黒髪ストレートだから普通に下ろしていても可愛いよ。でもね、今日みたいに風が強い日はボサボサになっちゃうでしょ」
そういう詩乃は少し天パのかかった髪を肩より少し長めに伸ばして、それをいつもオシャレにまとめている。
「今日は三つ編みね。」
手際よく詩乃は私の髪を編んでいく。こんなに手先が器用なんだもの。私なんか比べ物にならないよな、と、思うと心のなかに北風が吹く。
「どーも。」
編み終わった時ちょうど良くチャイムが鳴り、私たちはそれぞれの席に戻った。
授業は相変わらずつまらないものだった。窓際、後ろから二番目という私の席は考え事をするのにはぴったりの席なので、授業を聞くふりをしながらずっと考えていた。
アニメの主人公の少女は世界の安定か自分の望みかと聞かれて、世界の安定を選んだらしい。私はそのアニメを直接見ていないから少女の望みがどれほどのものだったのかは知らない。
でも、壊れてしまった世界で好きな人とばらばらになってしまうという可能性があるなら、今のままがいい、ということなのだろうか。
なら私は?
あの手鏡はケースに入れて胸ポケットに入っている。もやもやとした気分とは真逆に雲一つない空。その青さが目に痛かった。
昼休みになり、詩乃と屋上へと向かった。望遠鏡のドームはもう開いていて、中では俊介が望遠鏡をいじっていた。
「やっほい、俊介。」
「お、詩乃も星奈も来た。」
「何しているの?」
「今日は部活で使うだろ。だからちょっと。」
そう言うとまた俊介はあっちこっちのスイッチやらレバーやらを動かして動作の確認をしていった。
「飯だー!」
そう言いながら入ってきたのは徹。
「なんだ、もうみんな来ていたのか。」
「俊介が望遠鏡いじってる」
「ふーん。あ、詩乃〜。」
徹は詩乃の方へ行ってしまった。
楽しそうに話す二人。好きとか、恋をしているとか、そんなものじゃなくて、ただ、仲のいい友達と話している、というような雰囲気。いや、そう見えるように私が思い込んでいるのかもしれない。
二人の距離感は元いた世界よりも少し遠いが、明らかに今の方が二人とも楽しそうだ。やっぱり私は付き合わないという選択肢をとるべきだったのだろうか。いつまでも友達のままの方が良かったのだろうか。そうしたら徹は……。
胸を締め付けられるような痛みの中、私は考えた。
「星奈……?」
肩をたかれてふと我に返る。俊介の心配そうな顔がそこにあった。
「どうかしたの?ぼーっとして。」
「え、な、なんでもないよ?ご飯食べよ!お腹すいちゃった。」
お弁当の蓋を開けると出てくるのは私の手抜き弁当。卵焼きがいつもより甘かった。
午後の授業を受けてから私はまた屋上へ向かった。次は部活の天体観測の準備のためだ。
日が暮れてくると、一つ、また一つ、と、星が出てきた。
「あの一番星は宵の明星、金星。あっちの二番星は木星かな。」
そう言いながら俊介は望遠鏡に向かっていた。詩乃と徹は後輩達と話していたから、私はそっとドームを出た。
上を見ればもうすっかり星が空を埋めつくしていた。
空に輝いているのは春の星座。乙女座、獅子座、うしかい座。明るい星を繋げば春の大三角。少し北を向けば、おおぐま座、こぐま座。おおぐま座の中の北斗七星。それを辿って北極星。見慣れた星空を指でたどる。
周りに川と田んぼぐらいしかない学校の屋上星を見るのには丁度いい場所なのだ。
「せーなっ。」
「わわわっ、徹。」
急に肩を揺すぶられたので振り返ると徹がいた。
「俊介に後輩取られた。」
「取られたって、ものじゃないでしょうが。」
徹は笑って私の横へと移動すると、フェンスに寄りかかった。カシャン、と、少しだけフェンスが揺れる。
私はと徹の距離は十五センチメートルほど。手を伸ばせばすぐに届く距離。だけどその距離はとてつもなく遠い。一枚の壁がその距離をずっとずっと遠いものへと感じさせる。その壁の名は『友達』。私が徹の友達である以上、私はこれより近くにはいけない。仲が良くても『友達』なのだ。横に下ろしていた手をそっと後ろで組み直した。
春といっても夜風は涼しい。二人の間を春の夜風が通り過ぎる。私たちは黙って空を見ていた。部員のみんなはドームの中にいるから、外にいるのは私と徹だけだった。なんだか、この屋上に二人きりみたいだ。そう思うと、変な緊張感と隣に徹がいるという安心感が入り交じった。
そういえば、徹と二人きりで星を見たのっていつだっけ。夜、二人で歩いていたとしても、意識して星を見るということはあまりなかったな。
そうだ、あの冬の日だ。
──回想──
その日は朝から徹の家でゲームをしていた。いつもなら夕飯に間に合うように帰る私だが、ラスボスを倒すのに時間がかかり、クリアした頃にはすっかり夕食の時間をすぎていた。「夕飯は食べていけばいい」という徹の言葉に甘えて彼の手料理をご馳走になり、徹の家を出る時間は随分と遅くなってしまった。
「おじゃましました。」
と、家を出ようとすると、
「待って、送るよ。」
と、徹もコートを羽織った。
しばらく住宅街を歩いていたが、少しずつ家も減っていき、やがて田んぼしか両脇にない細い道に出た。
「星、綺麗だね。今日は良く見える。」
月のない晩だった。星の静かな灯りが空いっぱいに広がっていた。
「だな。屋上で見るより綺麗かも。」
風が木の枝を揺らす音、地面を踏みしめる音。いつもは気にしない音が大きく聞こえる。まるで、この星空の下には二人しかいないようだ。
徹が立ち止まって星を指差す。
「えっと、あれがオリオンで、それが双子、だよね。」
「そうそう。あれがぎょしゃ座であっちが牡牛座。」
有名な冬の星座は、明るい星が多く華やかで、見つけやすい。
「うーん、なかなか覚えられないな。」
「天文部でしょ。覚えなよ。」
「俺はデータ管理担当なの。」
「何それ。」
「何枚も何枚も写真撮って、誰がデータまとめていると思っているんだよ。」
「徹。」
「だろ?」とでも言うように徹は笑った。それから繋いでいた手をほどいた。驚いて横にいるはずの徹を見ようとしたが、その動作は暖かい衝撃によって封じられた。後ろから徹が私のことを抱きしめていたのだ。
「二人で星空独占しているみたい。」
と、徹。
「たまにはロマンチックなこと言うのね。」
「そんな気分だから。それにしてもこのカイロ暖かいな。」
「カイロ?」
「うん。人間カイロ。」
そう言うとぎゅっと抱きしめた。
「徹の方があったかい。」
見上げる角度で徹のことを見る。ふっと笑う徹。その笑顔がたまらなく好きだ。
──回想終了──
あのあと帰るのが遅くなって親にこっぴどくおこられたりしたのだが……。そうか、それ以来か。
徹は星が好きで天文部に入っているではなく、ただただ楽しそうだから入ったらしい。まあ、ここの部員なんてほとんどがそんなノリなのだが。
隣にいる徹の表情は変わらない。真面目そうな顔して何を考えているのだろう。
好きな人のこと、とか?
今の徹に好きな人はいるのだろうか。いるとしたら誰?私じゃない人?
「ねえ、徹。」
「なに?」
徹は空から視線を私に移した。
ああ、心臓の音がうるさい。口を開けたけど言葉が出てこない。
数秒の沈黙が重たくのしかかる。
「徹先輩、ちょっと来てもらってもいいですか?」
「わかった。星奈も戻る?」
「んーと、もう少し外いる、かな。」
「そっか。で、何言おうとしていたの?」
私は精一杯の作り笑いでこう言った。
「なんでもないよ。」
それからしばらくの間、私はこの世界で過ごした。時間にして一週間。私と徹が友達であるということ以外、何ひとつ変わらない。だけどその一点が、とても寂しく、心に風穴が開いたみたいだった。二人きりになる時間はあれきりだった。何をするにも四人で一緒。楽しくないわけじゃない。楽しいのだけれど、「こうじゃない」という気持ちが募った。
夜、私は机の前に向かって考え事をしていた。机の上に出ているのはあの手鏡。
もし、もう一度この鏡で違う世界に行ったら?
行った先がここよりいいとは限らない。もっと酷いかもしれない。でもこのままじゃ、嫌だ。嫌なんだ。
そっと鏡に手を触れた。鋭い耳鳴りがして、目の前が真っ暗になった。
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