一枚のカンバス
しんのりんご
第1話
(♪~手を離したのは どちらだろうか)
動き出す列車、遠ざかる君。
「ごめんね、あたし、貧乏暮らしは嫌なんだ」
君の肩が、震えていて。
黒い髪のボブカットの君。
「さよなら」
(♪〜列車の窓、君の瞳。僕は、お金のない画学生で)
手を離したのは、誰だったのか。
動き出す列車、遠ざかる思い出。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「君に描いてもらいたい。娘の肖像画を」
町一番の、お金持ちの男。
「奥様は?」
「寝ている。奥の部屋で」
僕は、相変わらずの貧乏な画家で。
絵を描いても、売れなくて。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なぜ、なぜ!!なぜ、黙って見ていたんだ」
「見ていて下さい、と言われたからです。だから、見ていました」
「馬鹿野郎!!っっ!!おまえなんて……」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(♪〜何が悪いというのか。誰が悪いというのか。手を離したのは誰だったのか)
空腹で、歩いていた。
前金は、カンバス代か、絵の具代か、どちらにしようか。
画材店に入る。
客がいた。珍しく。
カンバスはないですか?展覧会に応募したくて。
いや、今ね、あいにく一枚しかなくてね。
やあ、待っていたよ。カンバスを取り置きしておいたんだ。聞いたよ。大きな仕事が入ったって。新品を用意しておいたよ。持っていきな。
「カンバスは、あります。家に。今日は、絵の具を買いに来ただけで」
なんだ、カンバス持っていたのか。いや、うっかり仕入れしちまって、参ったな。
店主は困ったように頭をかいた。
僕は、絵の具を買って、家に帰った。
ボロボロの安アパート。
カンバスは、一枚だけ。
描いては、塗りつぶしてきたカンバス。
空から、光が降り注ぎ、天使が舞い降りる。絵を塗りつぶした。
黒の絵の具で、全部。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
5歳の女の子。
黒い巻き毛、黒い瞳。
お金持ちの男の、最愛の一人娘。
庭で、無邪気に遊んでいた。
大きな庭には、池があって、魚が優雅に泳いでいて。
そばには、一流の、お付きの者が控えていて。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(♪〜ずっとボロばかり来ていた。服にかけるお金が無くて、お金は全て絵の具代~♪)
「私のパパの会社ね、倒産するかもしれない」
ボブカットの君。
僕たちは、手をつないでいて。
「会社、合併したら、社員は路頭に迷わずにすむんですって。会社の名前は消えるけど、そんなのどうだっていいし」
君は目を伏せる。
僕は一言も話せなくて。
「恋愛ごっこは、おしまいよ。私、お金持ちの人と結婚するわ。貧乏暮らしは、まっぴら」
君の肩が、震えていて。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(~♪手を離したのは、どちらだったのか。誰が悪いというのか。いつからだったら、やり直せるというのか)
動き出す列車、君は、お嫁に行く。
お金持ちの男のもとへと。
生まれたのは、女の子。
黒い髪と、黒い瞳の女の子。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
黒く塗りつぶしたカンバス。
古クギで、慎重に削ってゆく。
一本の線。その下に、淡い光のかがやき。
女の子、女の子。
5歳の女の子。
昼食のパン代は、なかった。
路上を歩いて、ゴミ箱をあさっていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一流のお付きは、首になったという。
黙って見ていた、ただ、それだけで。
(~♪誰が悪いというのか、何が悪いというのか、どうして悪人を求めずにはいられないのか)
「ああ、悪は俺だ」
僕は、線を引く。
世界を分断する線を引く。
(~♪誰が手を離したのか?それは私、と私は言う)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ありがとう、娘の肖像画を描いてくれて」
「いえ」
大きな家の壁にかかった一枚の絵。
「謝礼だ。持っていきなさい」
「どうも」
ずっしり重たい袋を受け取って。
僕は町の画材店に入った。
「これ、預かってくれないか」
袋を手渡す。
カンバス代、絵の具代、パン代に、子どもの学校代、赤ちゃんのミルク代。
店主は、黙って頷いた。
任せておけ、で、あんた、次は、どこの町に行くんだい?
僕は答えなかった。
黙って、店を出た。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
雨が降っている。
墓地で眠っている人に、お花を供えて、手を合わせて、僕は目を閉じていた。
霧雨が降りかかる。
しばらく祈ったあと、僕は墓地を後にした。
途中、町の人とすれ違った。
軽く会釈する。
何も語らない。
目だけが語っている。
やあ、君も?
うん、そうだよ。
一礼して、無言ですれ違う。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(~♪何もかも過ぎ去った過去なのか?それとも、これから起こる未来なのか?)
(~♪全ては夢なのか?だとすれば、誰の夢だというのか?)
動き出す列車、君は遠ざかる。
ボブカットの髪が、風に揺れて。
(~♪手をつないでいては、生きていけなくて、路頭に迷う従業員を助けるために、君はお嫁に行く)
「赤ちゃんが生まれるんです!ミルクを下さい!」
今日も、生まれる命があって。
「馬鹿野郎!!何で黙って見ていたんだ!」
いつも、天に召される命があって。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一枚のカンバス。
天使が眠っている。
塗りつぶした、奥から、光が流れ出していて、ボロをまとった画家が、路上で亡くなった、その日、絵が一際大きく輝いたと、それは、お金持ちの男の話。
(動き出す列車、君は遠ざかる。けれども、僕も、きっと行く。君の町へ、きっと行く~♪)
一枚のカンバス しんのりんご @shinno_ringo
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