少年。アキラ。

ブィィィ・・・・、ブィィィ・・・。

(ちっ、また蘭からだ。)

14歳になった少年、卯(アキラ)は、通称下敷きと呼ばれる厚さ1ミリメートルの情報共有端末の共振を切った。送信されてきた同級生の蘭からのメッセージは、いつものごとくの誘いだ。全く、こっちは、勉強で手いっぱいだと言うのに世の中と言うのはとかく、教育生時代に限ってだが、つくづく不公平だと鼻を鳴らした。

この調平等社会の何処かには、自分のためだけの車や家や飛行機まで持っている連中もいるそうだが、そんなこと到底信じられない。そいつらの噂の中には何十人もの女性を全裸にして同じ空間でアルコールを摂取するなどと言う荒唐無稽なものまであるのだから余計に胡散臭さは3倍だ。


年頃のせいか、そんなこと想像しただけで破廉恥極まりないと思ってしまう。

大人達の言う通りこの世界は、平等で健全で、自分や、日夜トラスクの優劣にこだわる同世代の子供たちの方が異端だという事を卯少年はすでに理解していた。かといって、同世代のアウタープログの連中も社会から排除されるべき物だとは到底思えなかった。

蘭などは、特にその典型で。スリルを好み暴力的で、良俗的な評価をすればお転婆だが、ひとたび物事を任せれば誰よりも頼りになる奴だ。

引き換え、特に取り柄などない自分などはいつまでも、子供のようなことをしてはいられない。世界は、すべて平等なのだから才を持たない者は努力をしなければいけない、そうすれば自分はこれから平等に報われるに違いない。


毎日の健康診断は、国民の義務だ。

同世代の者らがこれらを実践しているところはあまり見たことが無かったが、町医者のマチ子のアバターをひそかに愛用していることが、それらに共有されないのは、都合がいい。

外部医療検査装置に似た形の、隣の物理映像出力装置は、40年も前からずっと稼働し続けているもので。

技術的には、藁草履とGMウィングシューズほどの差がある。日々変わり続ける世界と異なり、卯少年の健康状態は今日も良好だった。


「ただいま」

「おかえりなさーい」

「マリア今日の晩御飯は?」

「本日の晩御飯は、カレーライスを推奨いたしました」

「こーら、母さんが居る時くらい直接聞きなさい!」

「今日の御飯は?」

「ふふ。カレーよ」

結局のところ、大人は皆機械の言いなりだ。

最も、機械は人と違い。どんなに些細な事であっても忘れることは無いし、自らを優先して感情的になる事も無く、その場にもっとも適した提案をしてくれるから、大人たちが頼るのも無理はない。

「今夜、まん丸のお月様出てるわよ?また蘭ちゃん来るんじゃないの?」

卯の母は、淡い緑色のエプロン姿をこちらに向けることなく、必要のない味見をした。

「・・・ううん、ていすてぃー・・・」

「カンケー無いね。俺それどころじゃないし」

「そお?さ、出来た。先食べる?」

「そうする。すぐ帰るでしょ?」

卯少年は、クローゼットのタービュランスブラシで外のPM0.02を吹き飛ばし、カレー皿を4枚用意した。健康診断に行ったばかりということもあったが、手を洗うのは濡れるから嫌いだった。

「もうすぐそこまで来てるわッ・・・」

「ただいまー」

『おかえりなさい』

卯少年の母が帰宅する。

「アキラー今日、でっかい月出てるから蘭ちゃん来るんじゃない?」

「もういいって、それは」

「なぁに怒ってんの?」

「ほおら!、ご飯できた・・・。空子も手洗ってきて!」

「カレーだやったー!」

世界は、目まぐるしく変化するが動物の営みは変わらない。

仲睦まじく食卓を囲む親子や友人、恋人。そして、ビーバーは、大昔から現在に至るまでダムを造り続けている。時代と共に変わるものがあって、このカレーのように変わらない物もある。

卯少年は、真意から目を背けるように哲学的な夢想に更けていた。それは、一見大人のような悩みでありながらその実、子供の悩みから目を背けるための偽りでもあった。

『いただきます』

「美味しー!腕上げたねぇ!」

「ふふ、そうでしょぉ?」

美味しそうに匙を進める二人とは裏腹に、卯少年は一匙目を救ったままのスプーンをいまだに皿の中に浮かべて、虚ろな眼はその向こう側を見ていた。

「ねぇ・・!」

『こんばんはぁー!』

勇気を出す一歩を阻止した突然の来訪者の声は、窓の外から聞こえた。

ここは地上から8階の高さにある、それもこんな時間に来る奴は一人しかいない。

卯少年は、決死の思いで告げようとしたことを邪魔され苛立ったが、それを告げる必要がなくなりホッとした思いもまた同時にあったため、この訪問は余計彼を苛立たせた。

その怒りのまま、ブラインドの操作パネルに勢い良く触れると、縞状になったブラインドの隙間から流れ込む喧騒に、負けない強さで怒鳴りつけた。

「蘭!お前玄関から入って来いって言ってるじゃないか!何度言っても聞かない!」

ブラインドが消えうせるとそこには、やはり蘭の姿があった。

「いいじゃない、。おばさんこんばんはー」

「その呼び方、辞めろよな」

「蘭ちゃん、こんばんはー」「いらっしゃーい、カレー食べる?」

「いただきます!ごはんまだなんだぁ」

「ユキさん今大変だものね。何か月だっけ?」

女は、集まると手に負えない事を卯少年は既に知っていた。不貞腐れるとからかわれるし、この状況は防ぎようがない。

「うーん8だったかな?いただきまーす!おばさんのカレー大好き!」

「何しに来たんだよ!?」

「呼びに来たんじゃない・・。おっとこのカレーは飛べないんだった」

蘭は、外の壁に張り付いたまま零さないように器用にカレーを食べた。

「行かないよ!そんな暇あるわけないだろ!?」

「なあんだ、別にいいけど、新技。ほかのみんなに見せちゃうもんね。ほんとに来ないの?」

「行かないってば、もう行けよ」

「ふむ。おばさんカレーご馳走様!じゃ、きーたんまたねぇ!」

「そう呼ぶなって言ってるだろ!」

蘭の姿は既に消え去り、そこには、投げつけられるように渡された食器と誘導状態になった量子の光が虹のようにうっすらと残っていた。

「かーわいい」「ほんと・・・。好きなくせに」

「誰が!あんなやつ」

ユキおばさんみたいな優しくて素敵な人からどうやったらあんな奴が生まれてくるんだ。

卯少年と、蘭は、物心つく以前から殆ど兄妹のように面倒を見てもらっていたのだった。そして、その時の優しく柔らかな感触を彼はいまだに覚えていた。

この時に限らず、思い出を巡り始めると自力ではなかなか止められないのが卯少年の悩みの一つだった。そしてこの時もそうだった。


「・・・・ねぇ、母さん?」

『!』

二人は、目を丸めて固まった、それもそのはず。卯少年は、初めて二人の事を母さんと呼んだのだ。

「どしたの?」「・・・なにかあったの?」

「お父さん?の・・・・。ことなんだけど・・・・。どんな、人だったのかなって」

二人は、キョトンとして目を見合わせ無言の会話を交わした。

そして、堰を切った卯少年には、その一瞬ですら待つことが出来なかった。

「みんなが、言うんだ。お父さん、ロリコンで中卒でサイコで鬱でPTSDでカナヅチで犯罪者だって」

卯少年は言葉に出して直ぐ間違いに気が付いた。

皆と言うのは、蘭から派生した仲間のたった数名と言う意味だ。

再度、無言の会話が開始し、今度はその答えが出るまでの時間を、抜け殻のような気持ちで待った。卯少年は、強がった態度を示しているが実際は、極度の心配症でこの父親とされている人物の事を、気になり出してから、誰かから聞き出すのにも実に4年間の歳月を要していたのだ。

沈黙の審議が終了し、二人はおもむろに語りだす。

「確かに、あなたのお父さんはロリコンで中卒でサイコで鬱でPTSDでカナヅチでおまけに疲れるといびきが超うるさかったし、いつまでも昔の女の事でメソメソしてうなされて逃げてばかりの弱虫だったわ」

「ひっどー。風葉言い過ぎだってば。・・・それに嘘つきだったよねぇ」

「そんな・・・。どうしてそんな人を?」

卯少年の声は、ほとんど音に成っていなかった。空気を振動させるだけの力が無かったのだ。

「でもね。ほんとにほーんとに、大切にする人だった」

「うんうん。しすぎて死のうとしたもんね」

「それなのに、理不尽・・・」

「だねぇ」

違う、どれも違う、質問も答えも望む者ではない、本当に言いたいことは。

「どうして、僕を産んだの?」

「そんなの、愛したからに決まってるじゃん」「・・・そーねぇ」

二人は、審議をすることなく即答した。

卯少年の目には、その態度が酷く無関心で自分勝手な態度に映り、心が急かされるのを全身で感じていた。

「それだけ?僕の事は?」

「正直・・・。ねぇ?」「・・・うん。その時、居なかったし」

「そんな。そんな。酷いよ」

目を背けていた孤独が今、現実のものとなり足元に広がった。

「あなたもそういう人見つければいいじゃない」

「そーそ、そういやアキラー進路どうすんの?」「良いのよ、あなたの自由にしていいんだから」

「あ・・・。うん」

その事も、報告したいことの一つだった。形はどうであれ親は親で、卯少年は心に安心がジワリと広がるのを感じた。

「ちょっと、上の所目指そうと思ってるんだ・・・。だめかな?」

進路の話をするときに誰もが持つ選択肢は択肢3つほどだと思う。

卯少年の成績の事を二人は、もちろん知っているしこの説明だけでどこに向かうつもりなのかは十分伝わったようだった。

「そぉ・・・。蘭ちゃんの事・・・」

卯少年の心臓が縮み、額がうっすら冷えた。

「蘭ちゃんに負けたくないものね・・・!」

「・・・うん!」

卯少年は、心ひそかに大好物にしているカレーを勢いよく3口食べた。

「もっと。お父さん?の事、聞いてもいい?」

「ん・・・?いいよ?」

「あたしをいつも一番に考えてくれる人だったなぁ」

「そう?でもご飯の時は、いつも自分の所にお肉とか沢山もってたのよ?」

「ええ!?」

「ほんとだよ?空子ったら、そんな事も知らないでおこちゃまなんだから」

「でもいつもあたしが一番だったもんね」

「その分わたしのごはん大盛にしてくれてたの気が付かなかったの?」

「ああー。だから・・・」「なぁに?」

「ねえ。母さん」


「もう一つだけ・・・。」


僕が生まれた日は、どんなだったの?


「ただいま」

「あ」「おかえりー」

日常のささやかな騒乱の中。

二人が、再び無言の審議を始めていたように見えたのを卯少年は、見逃さなかった。

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