変わる世界

 写真立てに保管されたこの写真は、僕の頭頂部から二つのピースサインが飛び出ていることを除けばとてもいい写真だ。まともな顔で3人が写るものは他にはなかった。

二人が家にいない間、宮下さんの事を考えて、空いた時間にこの写真を眺めて、それから大切にしまい込んだ真莉愛の写真を眺める一連のルーティンが出来ていた。僕にはこれ以外何もない。


 土地の区画整備が国中で大々的に始まり新たなインフラやアイティーの導入で普段は手の付けられていないようなこんな田舎の地域にまでその影響は波及していた。

点在していた役所は次々に統合され、宮下さんは少し離れた街に新設された大きな役場に活躍の場を移してしまった。なので理由もなく、街に出かけては宝物探しをすように、人知れず、ひときわ輝く彼女を探した。

 こんな事は、いけない事だと分かっている。しかし、好きを、止める事は出来ないのだ。

そして、これらの行動に一定の成果がある事が、猶更僕を病みつきにさせた。

今まで頑なに見せなかった姿が、この新たな地では、嘘のように頻繁に一生懸命に働く彼女の姿を目にすることが出来た。これは、ひとえに僕のトラッキングの技術が向上したためかもしれない。

 人が集まるところには、素敵な男性もたくさん見受けられる。想像するだけで切ない気持ちになるが、そんな人と彼女が早く出会って、いっその事結婚してしまえばいつでも身を投げてしまうことだってできるのに。水が球になって転がるほど青々とした小さな希望の芽が有るからこそ、それを踏みつぶす事など到底出来はしないのだ。

いっそ、僕の心臓など今すぐにでも止まってしまえばいいのに、そしたらもう一度宮下さんとあの素敵なひと時を過ごせるかもしれない。そして、それは命を差し出すだけの価値がある。


独りぼっちは、寂しくてつまらない。


この家は、古くて狭くて大雨が降ると雨漏りがする癖に、誰もいないと広すぎてうすら寒く退屈なのだ。もうすぐ二人が帰るかもしれないが僕の体は、操り人形のように重力を無視して街に向かっていた。最近、堪え性がなくなってきた。何かに焦っていると言ってもいいかもしれない。お風呂がぬるいと少しだけイライラするし、カレーに福神漬けが付いていないとそれでもまた、少しだけイライラする。

二人の手料理を宮下さんが美味しそうに食べて、欠片でも褒めるとイライラしてしまう。

 そんな、半ば暴走する意識を自分の意思では制御できないことに。我ながら、酷く失望する日々。

 愚かな若者が放蕩の旅から帰還して、居場所を変えれば事態が好転することを根拠もなく確信しているように、今日も帰宅ラッシュの少し過ぎたあたりの夕暮れの駅に、昼間エサを食べ損ねた鳩たちに交じって紛れ込む。ここからは、一瞬だが横顔が見れるのだ。舞台の照明が変化するだけで今日もその演者は少しも色あせることは無い。むしろ、昨日よりも光を増して魅力的に見えていた。

 帰り道、二人につく予定の気の利いた嘘を考えては、夜のとばりが降り始めた街の、建物と建物の隙間から見えるどんよりと暗い屋根裏部屋色の空を眺めて、どろどろと思案に更けていた。もう少し進めば、波の音が聞こえてくる。



 長谷川は、来年大学を卒業し起業すると言う。この男は楽しそうに自らの夢について語るが、そんな事、少しも耳に入りはしないのだ。

 誰かが言った、男は破壊する事しかできないのだと。

 そうかもしれない。それでも長谷川はプログラマーとして男でありながら何かを生み出す事を目指している。それは、結局は破壊につながるのかもしれないが、この男ならばその力を優しい目的の為に使ってくれるような気がする。なんとなく。そして、この男も僕の元を去るのだ。そう思うと唯一の使命である靴修理の仕事も目的がほつれて、理由もなく手を止めて薄暗い倉庫の中で座って過ごすことが多くなった。勿論これは、ただのサボりだ。

「田牧さん!聞いてますか?これはすごい事なんですよ!?お互いに誤解無くお互いを理解し合える画期的なアイデアなんですよ!」

「ううん。そうですね」

なんだっけ・・・。靴がどうとか、チップがどうとか、ビッグデーターがどうとか。

「田牧さん!俺と一緒にやりましょうよ!そうすれば!ずっと俺と一緒にいられるんですよ!」

思わず、耳が上がってしまう。


「ねえ。長谷川さん」

「なんですか田牧さん?」


僕が耳をあげると、いつもこの男は嬉しそうな顔をする。きっと誰も、自分の話を聞いてくれないのだろう、それは辛いことだし。その逆は、とても幸福な気持ちになる。

「例えば・・・。例えばですよ?あと半年しか生きられなかったら、どうします?」

「生きます」

「え」

長谷川は、特別嬉しそうにする訳でもなくいつもの様に嬉しそうに笑っていた。

「生きますよ!半年間!」

僕は、存在のすべてでその短い言葉を聞いていた。僕にとってそれは福音だった。

「はせがわさん・・・」

「なんですか?田牧さん?」

「今日、仕事変わってもらっていいですか?」

「勿論です。俺と田牧さんの、仲じゃないですかッ?」



馬鹿みたいに胸がどきどきして、指先が震えて。

怖くて、嬉しくて、風がとても気持ちがいい。

「宮下さん!!」

駅のホームには、知らない人がたくさんいる。しるもんか。

舞台だろうが、ステージの上だろうが、しるもんか。

猫みたいに図々しく好きな物は好きと、嫌いなものは嫌いと、言うんだ。

僕はあなたが。

「お仕事は、どうしたのですか?」

「今日は、変わってもらいました・・・。ずっと言いたかった事があったんです」

好きなんだ!

「・・・なんですか?」

言え。言うんだ。生きるんだ。僕の人生が始まった時のように!正直に、誠実に、必死に、生きるんだ!それから。それから、上手く行ったとしても。それからどうする?


宮下さんは、いつだって、今だって、銀のみたいに綺麗で気高い。これからもずっと。

人目を気にして、態度を変えるような軟弱者では決してない。僕はそんな貴女が。

「ねぇ、田牧さん」

「・・・・はい」

わからない、どうすれば皆が幸せになれるのだろうか。

「こんど、食事でも一緒にどうですか?」

「はい」

どうせ何も変わらないのに。

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