海が私を見つけた日

「ねぇ、風葉?瑞樹帰って来てくれるかな?」

「解らない、ねぇ空子?知ってる?瑞樹。宮下さんの事が好きなんだよ?」

「うん・・。知ってるよ。帰って来てくれなかったらどうしよう」

「そしたら、お父さんとお母さんのときみたいに考えよ?」

「うん」




 あまりにも、簡単に、たやすく二人が見つかった時に湧き出た感情は、安心でもなく喜びでもなく、燃えるように激しい怒りだった。

二人は、車を停車してある道路のすぐそばの大きな木の麓に魔法みたいに立っていた。

苛立ちを隠す気が欠片も起きず。思う存分怒鳴り散らして、気が住む頃に母の事を思い出した。母は、いつも同じくらい苛立っていたのかもしれない。

そんな母の最期に僕は、ありがとうも、ごめんなさいも言えなかった。

「お家、帰ろ?」

二人は、泣いて謝って。酷く小さくなっていた。

まだ、こちらでやる事がある。

 

 今朝のような穏やかな日々がずっと昔から繰り返されてきたように。ありふれて、何不自由ない日常の幕が上がる。先に起きた二人は、茶の間の隣の台所で朝食を作っている。

 世界は今日も眩しく輝いて、先へ先へと進もうとしていると言うのに僕は昨日の慟哭をまだ忘れられずにいた。何を望んでいたと言うのか。中に邪悪が潜む穴の蓋は、ずれ落ちかけている。

「瑞樹。お前ちょっと顔色悪いぞ?運動不足じゃないのか?自転車貸してやるからちょっとその辺駆けてこい!」

 無理に明るいキャラクターを演出する叔父は。最先端の通信網をこれから国中に張り巡らせようとしている巨大企業の傘下の会社の社長のくせに、こういった陳腐ところは、親子そろって似ているのだ。

 結局は、壊れた自転車のタイヤの修理と一年の大仕事を終えた農機具たちのメンテナンスだ。昨日の出来事の事もあり、僕はすでにこの人に逆らえなくなっていた。

通称2ケツ棒正式名称ハブステップが取りつけられた自転車は、車輪の小さいスポーツ用の自転車だが。篭も荷物受けも付いている。

「どっちから?」

こればかりは、二人一緒にとはいかない。

「えっ、二人乗り。校則違反だし・・・。危ないじゃん・・・」

「風葉は?」

「私、瑞樹の小学校見てみたいかも」

小学校は、知ってか知らずか坂の上にある。十年以上自転車には載っていないが。

3年間中学校に20分かかる道を毎日自転車で通学した事を体は覚えているはずだ。

「乗って」

空の雲くらいしか見るものがない、こんな退屈な場所で僕は、生まれて育った。

何もないけど、好きだったのかもしれない。


「はやーーーいっ!!」

料理が出来るようになってから、風葉はずいぶんお転婆になった。

田舎の何かがトリガーを引くたびに肩がグリグルされて痛気持ちいい。

「声が。大きいよ」

ご近所さんたちに、平日の昼間から呑気にぶらぶらしている人間の姿を見られでもしたら、たちまちうわさが広まってしまう。そうでなくともこの辺りでは、失敗者として父も僕も有名だというのに。

「聞こえなーい!ねぇこれからどこ行くの!?」

「この坂を上るんだよ・・・・!」

「昇るだけー?!」

「あとは。登るだけ・・・!」

 高々5分たらずの時間だが、座るだけで快感が押し寄せる程の強い疲労を感じた。

登校日なのか休みなのかは知らないが、田舎の小学校だ。元卒業生というだけで免責特権がある、人間が少ない田舎とは、常にそういうものだ。校門のすぐそばの色褪せた白鳥のモニュメントの近くの花壇で両足を投げ出して、少しだけ休憩した。僕の在学中と変わりがなければ、この花壇には色とりどりのチューリップの球根が毎年植えられる。

「おっきい学校だね・・・。ねぇ瑞樹?」

「なに?」

「卒業式の時覚えてる?」

「うん」

「どっちが良かった?」

「君たちの卒業式の方が晴れてたし素敵だったよ」

「・・・・そか」

「うん」

「帰ろ?今度は空子を連れてきてあげて」



「空子?」

水を抜いた田んぼの土に、湿気を吸われて、乾いた風が、ひんやりと心地いい。それでいて、おひさまの光が温かいから、着ている服も綿みたいに軽く乾いて着心地がいい。誰かがいるからこそ、わざわざこうして、昼寝をせずにいるのだ。

静かで真面目な空子は、身じろぎ一つせず。鞄を乗せて自転車をこいでいるようだった。

それでは、やはり味気ない。僕が出来る事は、もう少ないというのに。

「空子?具合悪いの?」

「ううん・・・。平気」

空子は、顔に付いた砂埃を背中に擦り付けた。

「ここ、昔は倍の大きさのプールだったんだ」

「ふぅん・・・・大きいね」

「でもね、僕いつもプール休んでたんだ」

「・・・そなんだ。いけないね」

「でもそれだけで、通指標1だったから。酷いよね?」

「・・・・・」

空子は、プールから顔をそむけるように反対側の顔のに付いた砂埃を背中に擦り付けた。

後は、坂をぴゅうと上るだけ。

「ついたよ」

「うん」

「降りないの?」

「うん」

「帰ろうか」

「・・・・うん」

 身体を動かすのは疲れるが、これだけ動いたのだからご飯を美味しく感じたり、陽だまりの中を植物と同じようにじっとしていることが許される気がする。

帰ると言ったが、疲労していた身体を少しでも安ませるために、校門のすぐそばで、懐かしい秋を少しだけ浴びた。


 

叔父には大変なご迷惑をおかけしてしまったが、その事は逆に叔父を元気にしたようで3日前の萎れ切った様子はどこかに鳴りを潜め。僕の良く知る、強い姿に戻っていた。

まだもう一つだけ、やり残したことがある。

 見送る叔父と、その優秀な補佐の武市にお別れと、感謝の挨拶をした。

少し進んだところで、叔父が僕を呼び止めたので引き返し、二人にはその場にとどまるように言った。制空権が触れる残り数歩の所で叔父がこちらに寄ってきて、僕の肩に触れた。

急に触られると、ついヒヤリとしてしまう、職場でも叔父がこの態度をとっていなければいいのだけれど。

「瑞樹、お前どっか具合悪いんか?」

ゆすりでも、誘導尋問でもなく、純粋な心配のように聞こえた。

「いいえ。どこも悪くありません」

嘘は、呪いのようなものだ。

「そうか・・・。たまにはこっちに顔出せよ」

農繁期には、労働力として。厳しい冬には、孤独を埋める話し相手として。昔からこの地域に住む人間には、人間が必要なのだ。

「はい。また来ます」

嘘は、呪いのようなものだ。



 かつては、父の寿司屋があった道沿いを少しだけ奥に進み、農耕地が広がる土臭い土地にぽつりと2軒だけ建たった家のうち一つ。あの忌まわしい景色は、ずいぶんと様変わりし。大豆畑や長芋畑はコンクリートで塗りつぶされ。新たに建築された住宅には順調に車輪を回す生活の痕跡が所々に見て取れた。

 2階建ての洗練された新栄住宅の中に、場違いな漆喰壁の木造平屋の瓦屋根の家が建っている。近くに大きな川があるからと、ほかの家よりも一段高く盛られた土台は、一見して立派だが、実は、セメントを詰めた一斗缶で囲まれている。

 こうして見てみると、祖父が限られた物の中でどれだけ兄弟びいきをしないよう気を使っているのかが伝わってくるかのような思いやりの込められた丈夫そうな家だ。

コンクリートでできた建物は、せいぜい100年程の寿命しかない。しかし、木造の建物の寿命は、補修が必要とは言えその10倍持つものもあるのだ。生きている木などを見れば、その耐久性には納得がいく。

「ここが、僕のすんでたお家だよ」

「わぁ。おっきいね」

二人の顔は、少し引きつっていた。きっと僕もそうだったのだろう。

「平日の昼間に、誰かがいればいいのだけれど」

居なければ、そこまでの話だ。

 庭に植えられた松は、手入れがされていないせいで上へ上へと伸びてしまい、もう素人の手に負えない程の高さにまで成長してしまっている。それでも、近所に付き合うべき隣人が増えたせいか道側に面する植木は短く詰められていた。

思えば、母の事もすべて二人に押し付けてしまった。

それに、父が大切にしていたあの店も掛け替えの無い物だった。

僕は、それらすべてを時の河に流してしまった。それでも、この世界は。

「こんにちは」


 畳、4畳ほどの広さのある大きな玄関には靴が散乱し嗅ぎなれた匂いがする、下駄箱やツキノワグマのはく製は近々訪れるハロウィーンの装飾で賑やかに飾られていた。こういうところは、きっと母に似たのだろう。

返事の無い家の中は薄暗く寒かったが、そこには確かに進行形の暮らしが存在していた。

「はーい」

お母さんの声と聞き間違える程、器量のよさそうな声がして、奥から姉がやってくる。

「ただいま」

「えっ!?あんた瑞樹?えっ!桜が言ってたのってホントだったの?その子達は?」

つくづく真面目な人だと思ってしまう、昔から、姉の楽しみは一体何なのか僕にはまるで解らないし、そんなものは世界中のどこにも存在していないようにさえ思えた。

「挨拶だけなんだけど」

「なんの?!駄目よ!あんたの部屋もう物置になってて使えないしこれから家で暮らすなんて言わないでよね!なあに急に。連絡もよこさないで。それに急にいなくなって!あんたなんてクソよ!」

姉は、町中に響くくらい元気に僕を罵倒した。

義務を果たさない人間に対して、二人の態度は強かったが。

そうでない人間に対しては、やはりいつも通りに委縮していた。

「姉ちゃんどおしたのぉ?」

目をこすりながら、奥から現れた妹の桜は、やはりあまり変わっていなかった。

「あれ、おにいじゃん。情報こわ!その子達は?彼女?ハロー。」

姉は、断固として面倒を起こすまいと、へらへら笑う桜を睨み付けて黙らせた。

「家の中、汚いし上がれないから」

「おにいの部屋、白アリ出たしねぇ」

「上がらないよ。ほんとなんでもないんだ。近くに来たからついでに寄っただけ。」

「あんたいくつになったのよ!?ゾンビみたいな顔して!同級生の子から毎年同窓会のお誘い来てるのよ!?毎年私が断ってるんだから!だらしない、本当にだらしない!」


「なに?母さんどうしたの?」

奥から、もう一人母親の騒ぎを聞きつけ、学生ズボンからワイシャツを出した若者が現れる。背がだいぶ伸びて、すっかり色気づいて髪の毛を所々灰色に染めたりして。

「ほら。例の?なんていうのかしら・・・」

あの頃は、あんなに弱弱しくメソメソしていたのにすっかり大きくなった。

「あの?ふぅん、結構若いじゃん。そっちの子達は?双子ちゃん?」

亮は、へらへらと姉を通り越して式台に一歩降り、そして靴が散らばる、玄関へと降りてくる。

緊張が高まって、背後の空気が圧縮されるのを感じた。

「コードやってる?教えてよ?」

僕は、さらにもう一歩踏み出される前に一歩前に踏み出し、亮との空間を詰めた。

それ以上近づいたらただじゃおかないぞ。

「・・・・・・」

「帰ります」

振り返り、扉を開けていち早く二人を目の届かないところに逃がすと気が楽になった。

「あんた、たまには連絡くらいよこしなさい」

姉は、顔をしかめているし桜と亮は能天気にへらへらしている。

「姉さん」

「ヤダ」

「おめでとう」

「・・・遅いっての。体、気をつけなさいよ」

「え?!姉ちゃんまた子供出来たの?今度は、誰の子ぉ?」

「違うっての馬鹿」

「姉さんも、桜も、亮君も体に気を付けて」



 僕たちを乗せた電車は、夕日に向かって突き進んでいるようだった。

流れていく街並みは、オレンジ色に染まって、それらのどれもに懐かしさがあった。

もしかしたら、遠くに見えているあの場所に、行った事があったかも知れない。あの、雲間から一か所だけ日が差しているところで一晩身を縮めて眠ったことがあったかもしれない。そんな図々しい事を考えていた。

「ねーえ!次瑞樹の番だって!」

「うん」

ポーカーフェイスという性質がある、これは、感情が表情に出ない事を指す。二人は、まるでその逆だった。

「!!!あっがりーまた瑞樹の負けだね!」

重要なのは、最後の持ち札を引く時だ、二人ともジョーカーの方に鼻先が向くからどちらがジョーカーかすぐにわかってしまうのだ。あとは、接戦を演出するように出来るだけ引いたジョーカーを再度引かせれば、二人は普段中々味わえない勝負のスリルを味わう事が出来る。

「ねえ?瑞樹?」

「なに?」

「お父さんとお母さんの事聞いてもいい?」

「まだ、瑞樹のお父さんとお母さんの事聞いてなかったし・・・。だめ?」

「良いけど、特に何もないよ?」

「うん」「それでも聞きたいかも」

狭い弁当用のテーブルに広げられたカードたちをかたずけて、座りなおして独自の容器に入れらたまだ少し暖かいお茶を一口飲んで、短気な二人が焦れ始める頃を見計らって二人を見た。

「僕の、お父さんとお母さんはあそこで、お寿司屋さんだったんだ」

『えええ!?』「オスシヤサン!」「だから料理上手だったんだね」「お家も和風だったし」「じゃぁ!中学校卒業してすぐに旅館で働き始めたのも、そのオスシヤサンになるため?」

 話しが速くてとても助かる。物事の顛末など、実際は重要な箇所など僅かでしかなく。すべての出来事を事細かに説明などしていたら、当然同じだけの時間がかかってしまうのだ。かといって、誰からも忘れられたような小さな出来事が遠くの地で大雨を降らす原因になる事もあるのだ。見えているものがすべてではないの言葉通りに。

すべては、もつれた結果を観測しなければ解らない箱の中のチョコレートで猫で閉じられた箱の中には、いつだって希望と絶望と不思議が詰まっている。

「うぅん。僕ね。本当はね」

言うべきか、言わざるべきか。

これから、嘔吐するかのように身構えた僕を見て二人はお互いの顔を見合わせて無言の会話をしてから、もう一度こちらを見た。この子達の横顔から、子供らしさが薄れていくのが物悲しい、それはつまり、僕が老いているという事だ。

「嘘でも。いいよ?」

そういう事にしておくのももしかしたらいいかもしれない。

「僕ね、本当は、お父さんとお母さんに復讐したかったんだ」

隠していたわけでは無い、誰からも聞かれなかっただけの事。

僕はありったけの殺意を込めた眼差しを演出して二人を見た。

二人は、キョトンと間抜けな顔をして、その顔をお互い見合ってクスクス笑った。

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