Tree of life

 夏休みが終わる頃には、洗濯も、食事の用意も、普段の買い物も、既に二人の役割になりつつあった。

僕が行う家事と言えば、風呂の掃除とゴミ出しと部屋の掃除と特別重い買い物くらいになってしまった。

 それでも、宮下さんにお出しする料理の手伝いくらいはやったが、結局それもある日、食卓に飾られた一輪の綺麗な花を目の当たりにしてから張り合う気すら起きなくなった。


既に二人は、僕のスケールで測れないところにいる。あの一輪の花を目の当たりにした時。そう、痛感した。


 今も二人は、窓のオレンジに照らされて楽しそうにお互いにしか理解できない言葉で夕食を作っている。

今日は、カレーが食べたいのだけれど、どうだろう。


空子がおもむろに冷蔵庫から牛乳を取り出した。


前は、あの牛乳が重くて持つことすらできなかったというのに、今では、手に持ったまま器用に封まで切れる。

シチューだ。

胸の奥が切なくなる。


 しかし、空子は、鍋の中にそれを注ぐことなく、お気に入りのコップに注いで一気に飲んだ。腹が冷えやすい僕から見れば暴挙だがあの子にとっては何ともない。

たまらず、死んだカエルの格好を起こして二人に近づいた。

「何かする事無いかな」

何でもいい、何かをしていないとおかしくなりそうになる。

「ん?うんーんん。無い!風葉は?」

「生きて・・・・いてくれれば・・・良いョ」

その言葉を聞いて僕は不覚にも。

「なぁにそれ!治先生の読みすぎなんじゃない?」

不覚にも。

「んふ・・・・・そうかも」

僕は、不覚にも。喜びを感じてしまった。






 今日は、珍しく二人とも留守だった。

近頃、すっかり怠け癖が付いてしまった。のんびりと床に横になったり丸くなったりすることがとても快感なのだ。

たとえ床が冷たい海からやってくる冷気で冷やされていたとしても。たまには、料理を作ろうと言う気持ちすら、起きない程だ。

勤勉さや、他人や社会の為に苦痛を享受する事に何の意味がある。


 腕時計を眺めると既に20分が立とうとしていた。待つことは、少しも苦ではないが腹が減る事はどうにも辛い。仕方なく、冷蔵庫の中を確認してみると奥の方に、いつの物か解らない野菜の煮物を発見した。

 二人が初めて作った料理も確かイカと野菜の煮物だった。

少しだけ不安はあったが、なぜか平気だという根拠の無い自信が心のどこかにあって、すぐにそれを温めて一人だけで食事をとることにした。ふと思う、孤独は寂しく辛い。


 相変わらず、薄味だが大根もごぼうもオクラも、きちんと煮えていた。しかし、底の方のぬる付いた芋は一口で分かるほど腐敗が進んでいたかもしれない。

そして、異変は1時間もしないうちに現れた。

 

だからあれほど。

注意しろと言ったのに。

落下するほどの腹の痛みに見舞われる。

 

 額から噴き出る汗が冷たいと感じたのを最後に僕はそのまま眠るように意識を失った。

二人があまり激しく揺らすから再度便器に向かって嘔吐した。なんとか、トイレまでたどり着いていたようだ。

二人が慌てて言う。

「瑞樹大丈夫!?これ、塩水、飲んで胃の中身出した方がいいって」

「大丈夫?お医者さん行く?」

「大丈夫」

病院など行ってたまるか、病院などは、長生きしたい人が行く所だ。大嫌いだ。

「だけど・・・。中央病院だったら。急患受け付けてくれるよ?」

「平気だから。せっかく作ってくれたのに吐いちゃった」

「いいの。今日はもうお休みしよ」

長生きしたい人が行く所なら、僕は行くべきなのかもしれない。

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