さなぎ

 宮下さんから、贈られた。腕時計を眺めていた。

この時計をこっそり眺めていると胸が切ない気持ちになる。

近頃の技術力の発展には、目まぐるしいものがありこの腕時計にはアラームの機能が内蔵され、定刻が来ると震えて知らせてくれるのだ。セットの仕方はわからない、初めに宮下さんが何やら難しい操作をして設定していたが僕はその時彼女にどうにかして触れられないかだけを考えていた。この時計は、寝る時も外さない、お風呂の時も外さない。写真と違って身に着けるものだから、その方が大切に保管ができるはずだ。

それから、二人に卒業と入学祝いとしてお金を頂いた。

 申し訳なさで一杯になったが、自転車通学になる二人の自転車代の心配がどうしてもあったから、断る事が出来なかった。それに、風葉の視力が落ちてきて眼鏡も必要になってしまった。きっと、本の読みすぎだ。

「ちょっと、田牧さん!聞いてらっしゃるの?お宅の子達ですよ!」

「はい、すみませんあたたかくてつい」

「わたくしに写真を撮らせておいて惚けないでくださいな」

思わず手を貸したくなる、大砲のような巨大な一眼レンズがひときわ大きな閃光を放った。あの子達の写真、特に風葉の写真はきっとタケル君も喜ぶはずだ。


二人は、今日、小学校を卒業する。


校長先生の呼びかけに呼応して二人が答える。

『はい!!』

空子と風葉は、堂々と卒業証書を受け取ると来賓の皆さまに深々お辞儀をしてから、僕がきちんと見届けていることを確認した。運動着で出席すると言った二人を何とか説得して着せた衣装は、良く似合っていて、どこに出しても恥ずかしくないと思う。むしろ、このままどこかに行ってしまえば僕も楽なのに。


大人たちの小難しい祝いの言葉に続いて卒業生代表による別れの言葉が告げられる。

その役割を担うのは、なんと空子だった。

 瞬時に呼吸が浅くなり極度の緊張が押し寄せてきて何度か吐きそうになった。僕はその事を一切知らされていなかったのだ。

無様に叫びだしたくなる僕をよそに空子は、正面の絢爛な花々で飾られた演台の前に堂々と立つと、目が泳ぎ狼狽える僕をしっかりと見据えた。あたりは、厳粛に静まり返り、外で鳴くツグミの歌声だけが微かに響くのみである。

人々の意識が自分に向けられていることを確認すると空子はもう一度礼をした。

そして聞きなれた、呼吸の後、空子は続けた。


「理科の授業で、夜空の星の光は何千年も何万年も昔の物だと先生に教えてもらいました。長い長い気の遠くなるような時間をかけて届けられた星たちの写真を私たちは同じ夜に見ています。


孤独な旅を続けた星の写真が、沢山の星々の中から私たちを見つけたように、暗闇を手さぐりで彷徨いながら。

私たちはお互いを。見つけました。


どうして私たちは、同じ時に生まれ、お互いを見つけ、そして出会ったのか、理由は、わかりません。


しかし、いつかその理由と巡り合う日がきっと訪れると私は信じています。


私たちは、一人ではありません。

進む道さえ見えない闇の中を、孤独に歩んでいたとしても。私たちは決して切れる事の無い物で結ばれて来た事をどうか忘れないでください。


 たとえ、触ることが出来なくても、見る事が出来なくてもそれは、それは確かに存在しています。


最後になりますが私たち卒業生の為にこの場にお集まり頂いた皆さまと、姿の見えない大切な皆さまへ。愛をこめて


ありがとう。」


きっと。お父さんと、お母さんに当てた物なのだと直感する。

二人は、自分たちを置いてどこかに行ってしまった。無責任なご両親を恨むどころか感謝の言葉を述べた。思い出を巡る旅に出そうになる脳を僕は必死に止めた。決して考えてはいけない。


「ヒィイン・・・。ヒィィンッ!!り・・・・!ンっ・・・!ぱだわっ・・・・!」

割れるような拍手の中、タケル君のお母さんは、嗚咽にまみれて泣いていた。

この人のように雰囲気に流され感極まり涙を流す人も居たが、空子の生い立ちと偉そうな態度を非難し嘲笑するような動きもあった。

卒業式という非日常は、人々の沢山の可能性を見せてくれる、タケル君のお母さんが泣いていなかったら、僕は泣いていたかもしれない。そっと、普段は持ち歩かなくなったハンカチを取り出して、タケル君のお母さんに手渡した。なりふり構わずそのハンカチで涙を拭きとる様子を見ていると、僭越ながらこの人と、すっかり打ち解けたような気がしてくる。


 僕は、一足先に式場を抜け出して校庭の藤棚の日陰の中に身を置いた。日差しはとても麗らかだ。

ここからは、満開の桜の花も良く見える。

桜の花は、いつでも大人気。僕は、藤の花の方が好き。

 やがて、卒業式の舞台袖から立派に一役を演じきった役者たちが次々と現れる。

皆、清々しい表情を浮かべ、その顔から不安の色は少しも感じられない。

僕も、藤棚から離れ、その集団の隅にひっそりと身を隠した。

保護者達の撮影会が始まり、各々が仲の良かった友人と写真を撮る、その中に二人を見つけた。二人は、引っ張りだこだ。一度空子に呼ばれたが断った。

しかし、本当に知恵を付けた。

空子は、石川先生を連れてもう一度僕を誘った。

「田牧さん!何してんの?!ほらこっちきて写真撮りますよ!」

はしゃぐ二人は、すっかりおめかしをして。とても楽しそう。風に舞う桜の花びらをその身にまとっているのが見えるようだった。


卒業、してしまうのだ。


感動を、直視しなければ大丈夫。

「はーい!!取りますよ!!」

前よりずっときれいな石川先生が、上質な肌触りの二人と僕を正面にとらえた。

「瑞樹!もっとしゃがんで!」

「うん」

「だめ。もっと」

「これでいいかな」

『うん!』

これが、この子達の目線。世界がすべて違って見える。

石川先生の小さな使い捨てカメラが閃光を放った。

「もう一枚とるよッ!」

「はーい!」

二人は、さっきよりも真ん中によって。そよ風のように言った。

「瑞樹、あたしの挨拶ちゃんと見てくれた?」

「うん」

「空子と。考えたんだよ・・・!」

「良かったよ」

「瑞樹」


ありがと。


この子達が遠くに行ってしまう。

大丈夫、まだ、大丈夫。定まらない視点で石川先生のカメラだけを見つめた。

すると、スローモーションのように石川先生の口角が猫みたいに上がって。

「田牧さん。あなた本当によく頑張ったね!!」

それは、ずるだと思う。僕は、人目をはばからず泣いた。

卒業式という非日常は、人々の沢山の可能性を見せてくれる。これもその一つ。

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