焦げ付くほどに愛おしい

 朝に、起きれなかったのは、久しぶりだった。

身体が暑くて、寒くて自由に動かない。目が覚めたら、ここは、地獄かも知れない。

僕は今日もそれを望んでいる。

水に浮かんで、気ままに回転するような感覚。手も足も付いている、にも拘らず、肌の感覚が痺れて骨だけを残して崩れてしまいそうだ。脳だけが透き通って、外側に飛んでいく感覚。僕は、風邪を引いた。

身体がフカフカして、湿って気持ちが悪い。

それでいて、目を閉じても視界が白く眩しくてその光が直接目の奥の脳の芯を刺すようだから質が悪い。二人には、本当に申し訳ないが、今日は、少しだけこのまま眠らせて貰う事にした。


「ねぇ、あなたたち。風邪の薬とかどこかに無いの?」

母の夢を見ていた、仕事に行かなければ。そして、この声は宮下さん。

「分からないけど、体温計あったよ!」

「体温計?まぁ、風邪でしょうけど計ってみましょうか」

身体も、目も鼻も少しも自由に動かない、声だけの世界は、とても孤独で不安で、それでいて、普段と比べ物にならない程の大きな期待に満ちていた。

「ふむ、39度6分。風邪ね」

「・・・・。あったかーい」

「こーら、風邪がうつりますよ。あなたたちお昼ご飯食べたの?」

「まだだけど、お腹減ってない」

「だめよ、ちゃんとだべなきゃ。ちゃんと食べないから体の抵抗力が落ちて風邪をひくんですから」

「じゃぁ出前にしてよ!お寿司がいいな」「お寿司・・・」

「だめです!贅沢なんだから。私が用意しますから。あなた達宿題は済んでいるのですか?」

「そんな事、関係ないじゃん」

「済んでいるのですか?」

「まだだけど」

「私が食事の支度をしますから。あなたたちは、宿題をしていなさい。それで平等です」

 肉体的な辛さもさることながら、同じ空間に身を置きながらただ一人相手にされず、役にも立たない事に歯がゆさを感じる。宮下さんが御飯を作って、あの子たちが宿題をして僕も何かをしなければ、平等とは言えない。

二人は、すっかり宮下さんに懐いて、言う事もちゃんと聞いて、それでいて、都合が悪くなろうとも対話を拒否したりしない。このまま、透明になって溶けてしまって。

彼女たち3人で暮らすことが本来のあるべき姿なのかもしれない。

酷い、頭痛と寒気がする。



虚ろな意識の中で、嗅覚だけが鋭敏に動作した。

何度か嗅いだことのあるこの香り、悲しくも脊髄に染みついた反射的な目覚め。

何となく、背中で振動を感じ空間が騒がしい。

「ちょっとこれ、くっつくじゃないの!」

「違うよ!火が強いんだよ!」「かじだー」

「違います!」


ああ、宮下さん。あなたは・・・。






 小川を隔てて、向こう岸にいる真莉愛を見つけた。

辺りは、暗く。何もない。ただ暗闇に彼女だけが淡い光を放ち、こちらを虚ろに見つめていた。

足元も、周りの僅かな空間も決して照らされ正体を現さない。これはきっと、僕の想像力の限界だ。彼女の名を何度も何度も何度も呼んだ。しかし、返事はなく、ただこちらを眺めているだけである。今でも探していると言った。やがて、真莉愛の目から涙がこぼれ。僕も泣いた。


「ほら、口を開けてください」

さぞかし、素敵な姿に違いない。それでも、目を開く気力すら起きないのだ。

言われるままに口を開くことが限界で、あわよくば、白くてきれいなあの指が何かの間違いで僅かでも顔に触れることを期待したが。返答は、口に流し込まれる一匙の苦い薬だけだった。

温めた漢方だと、思い込みたいところではあったが、味わうとそれは明確に焦げ付いたおかゆだった。それでも、嬉しくてたまらない。人に何かをしてもらったり、優しくしてもらったり。何よりそれを受け入れるのは久しぶりだ。泣いてしまいそうになる。

「沢山食べて、早く元気になるのですよ」

なんて優しくて、暖かい、手なのだろうか。

何時だって、人からの好意を素直に受け入れることが出来れば、少しも苦しむことは無いのに。






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