みんな肉食系

 しまい込んでいた上等な座布団を用意して、今日の夕食は、ハンバーグにした。

付け合わせは、バターコーンとすっかりホクホクさせたさつまいもと、人参の砂糖煮だ。

この人参の砂糖煮には、「グラッセ」などという気取った名前もあるが調理工程の単純さや料理の中での役割を考えれば砂糖煮で十分だ。ごはんは、炊けて既にひっくり返してある。特別な箸も用意した。練った肉は来てから焼いて焼きたてを食べてもらう。

その間、二人には塗り絵でもやっててもらう。

好き。のエネルギーは、凄まじく。どこからかともなく無限に湧いてくる。

「こんばんは」

宮下さん。

殺伐とした家の中に扉を叩く乾いた音が、黄昏を告げるラッパのように鳴り響く。

今日の為に準備した部屋の中は、西日が差して全体がほんのりと茜色に染まってバターと人参の甘い香りが立ち込めている。何とかして二人を風呂に入れた甲斐があった。

玄関まで埃が立たないように小走りで移動して、めかし込んだ返事をして扉を開ける。

ああ、宮下さん。

「こんばんは、今日は、よろしくお願いします」

よそ者に向けられる業務用の偽りの笑顔。後ろで簡単にまとめられた真っ黒な髪。皺ひとつないスーツと首に掛けられた写真入りのネームプレート。持っているカバンにまで憧れが、詰まっている。

「荷物、運びます」

「いえ、大丈夫です」

宮下さんは、仕事中の真剣なまなざしをしていた。他人に寄与しないその態度は、一層僕をときめかせた。この気持ちは、ラッシュ時の調理場に身を置くよりも遥かに忙しい。

決して、不快感を感じさせてはならない事が前提に在って。

そのうえで、少しでも幸福を感じて欲しいのと同時に、自分自身の事を知ってほしい。それらの事が同時に内側で幾度も激しく爆発しているにもかかわらず、上手に出力できないものだから。気を抜くとそのまま倒れてしまいそうになる。

玄関で、壁に手をついて靴を脱ぐ姿を必死で嗅いだ。しっかりとしたふくらはぎの先端から靴が脱がされ、しなやかなタイツで包まれたつま先が涼し気に露出した。玄関から吹き込む潮風が芳香を運ぶ先兵となって僕を通り抜けて家中を吹きまわった。ハレルヤ。

「お邪魔します」

「今日、水連の花が咲いているのを見たんです・・・。それと、最近あの二人が勝手に、冷蔵庫の中のもの食べてしまって。少しだけ困っているんです」

「二人から、ちゃんとお聞きになったのですか?」

少し後ろを歩く宮下さんが足を止めて、僕を見た。靴を脱いだ宮下さんは、外で会った時よりも一回り小さくなっていた。

「何をですか?」

「学校の事です!いえ大丈夫です。ここで結構ですから」

「そんな、食事を済ませてきてしまったのでしょうか?」

「そういう事じゃありません!」


「かじだーかじだー!!」

風葉の声だ、なんだと言うのだ焦げ臭いぞ。

慌てて居間に向かうと、空子が小さな椅子に乗ってハンバーグを焦がしていた。

「ちょっと焼きすぎたかも」

焦りと、悲しみと後よくわから無い感情が一気に爆発しそうになる。

フライパンが小さくてハンバーグが2個しか並ばなくてよかった。4人分焼いて3枚余る算段だったから、問題ない。そっと空子に近づいて火傷をしないように火を消して、油が揺れて零れないようにゆっくりと、白煙を放つフライパンのコントロールを奪った。大丈夫、2枚くらい焦げても大丈夫、その筈なのに。

「お馬鹿」

言わずには、いられなかった。

「少し、勝手にさせすぎじゃないですか?」

言葉こそ厳しく呆れてはいたが、宮下さんの口元は、僅かに緩んでいるように見えた。

「そこの、きれいな座布団に掛けて下さい」

「座っちゃお」

「ん、わたしも・・・!」

「早い者勝ちだもん」

二人は、一枚の上等な座布団に半分ずつ座って、てこでも動かない覚悟を発揮した。

「すみません宮下さん、すぐにどけますから」

そうは言ったものの、望みは薄かった。どうすればいいか思案を巡らせる。まだハンバーグも焼かなければならないし、食事の配膳もしなければならないと言うのに。

「何処だっていいですよ、ここに座ってもよろしいでしょうか?」

「はい」

二人が答える前に即答した。そこはいつも僕が座る場所だった。

「あなたたち、いつもこんなにワガママなの?大人を困らせるんじゃありません。暇そうに見えて忙しいのですから」

チラリと後ろを確認すると、曲線の集合体となった、後姿があった。少し透けたつま先から、目が離せない。

「結婚もしてないのに偉そうにしないでよ・・・!」

宮下さんは、結婚していないのか。不鮮明な視界に鮮やかな花が咲いたような気持ちになる。こんなに素敵な人だと言うのに、きっと素敵すぎて釣り合う方が居ないのだ。

「その事とあなたたちがワガママに振舞うのと何の関係が有るのですか?!こら!鼻を掘るんじゃありません!」

あれは。

たまに掘りすぎて鼻血が出るのだ。見て見ぬふりをしていたが注意してくれたことで大分気が楽にる。

「聞こえるってばうるさいなぁ!!」

「すみません、いつもと違うから。はしゃいでしまって。」

「一緒にしないでよ!」

「もう少しで焼けますから」

「良い匂い・・・」

「すみません田牧さん。ご夕食呼ばれに来てしまったみたいで」

「良いんです、たまには。贅沢だって。もう少しで焼けますから」

「なにか、お手伝いすることありますか?」

「いいえ、なにも」

そう、もっとゆっくり、もっと深く、その場に座り続ける事こそ望ましい。

草鞋のような形のハンバーグがドーム状になればそれは、上手に焼けた証拠だ。

この二つは、冷ましておいて二人の分。

次に焼く二つは、僕と宮下さんの分。

「ねぇ、二人とも頼めるかな?」

「おばさんに頼んだら?」

「こら!!」

2度とゆうんじゃない。

「私が、やりますよ?」

こちらに振り返った宮下さんは、優しく微笑んでいた。普段は、こんなにも優しい顔をしているというのに、仕事になるととても一生懸命になって、厳しい顔をして。そんなもの、必要無いと言うのに、少なくとも僕の前だけでは。

そんなもの、必要はないのだ。

「いつもは、沢山手伝ってくれるんです」


ああ、面倒だ。空子がめそめそ泣いていた。

空子は、夜寂しさを感じたり不安を感じるとよく泣いた。

いつもいつも、あの涙を放っておくことが出来なくて。本人のためにはならないと分かっていながらつい甘やかしてしまう。大人に無視されるのは、酷く堪える。こちらも、思わず泣いてしまいそうになる。

結局、宮下さんを対面にするようにして、空子の隣に座った。

『いただきます』

この子達も、宮下さんも僕と違っていただきますをきちんとする。この辺りの人々のちゃんとした習わしなのかもしれない。

少しでも、そばに寄りたかったがここからは、宮下さんの顔がよく見える。

たまに覗く、舌と唇の裏側をこっそりと盗み見しながら、隣の空子の口にハンバーグをたまに運んだ。その隣の風葉にもたまに運んだ。

宮下さんが僕らを見て、優しい顔をする。僕らは恐れている。

本当の家族みたいだ。という言葉を、恐れている。

 僕たちにとって、本当の家族とは、心と言われる部分に深い爪跡を残し。自分勝手に消えていった者たちと、そうなる原因を作り出した無力な自分たちの事を指すからだ。

つまりは、あまりいい印象を持つ言葉ではないのだ。幸い、宮下さんは何も言わず箸を上手に使って食事を続けた。

当然だ。本当の家族になど、見えるはずもない。


 食事をして、少しの間話をしているとあっという間に日が落ちて辺りは薄暗くなった。

家のそばまで送ると5回言ったが全て同じように断られてしまったので、6度目は、聞かなかった。しつこい態度は、嫌われてしまうかも知れない。

 結局、最後まで好きと言えなかった。言えるはずもないのだ。

家の中は、しんと静まり返って空子の眼の腫れもすっかり引いていた。

全ては、何もなかったかのように、まるで、幻だったかのように静寂がすぐそこまで迫っていた。

今日のような日は、風呂に入るのがほんの少しだけ怖い。一瞬でも視界が黒く塗りつぶされるのが不安で仕方がないのだ。それに、出始めの冷たいシャワーも今日のような日には、とても嫌なものに感じてしまう。そこまで冷えていないはずなのに、服を脱ぐと寒くて仕方がない。


シャワーを浴び終えるとやはり寒い、厚着をするための服は無い。

冷たい海の波の音が遠くで聞こえる。厚かましくも僕を呼んでいるような気がする。

肌の表面が寒い、良く拭いただけの髪の毛が寒い。ドライヤーが。必要かもしれない。

 居間に戻ると、二人が勉強をしていた。今日は、漢字の書き取りだ。ノートに同じ文字を繰り返し描くのはもったいないから、拾って来たチラシを定規で真っ直ぐ折ってその裏に書いている。

ノートを買うくらいの僅かな金を惜しむのは、節約ではなくただのケチだ。げんなりさせられる。心底不本意だが、僕もそれに加わった。


 安寝袋に入っても不安は少しも収まらず。漢字の書き取りでわずかに紛れただけだった。

何処から吹いて来るかもわからない風が屋根の上を滑ってこうこうと鳴っている。

辺りは頼れる明かり一つなく、塗ったような暗黒が目前で無限に広がるだけだった。

宮下さんと、遥か遠くにいる親族たち。真莉愛と、真莉愛のお母さんのあの指輪。

確かめる事から逃げ続け、いつか追いつかれてしまう事を、僕は恐れている。


 僕の期待とは裏腹に、新学期になると二人は今までずっとそうしてきたかのように快活に学校に通うようになってしまった。月曜から金曜の昼の分の食事を用意する手間は省けたが、洗濯と宿題と学校からの便りに目を通すことに多くの時間を費やすようななったため、結果的に、生活は、一回り程忙しなくなった。

 特に、担任の先生が毎週律義に配布する手書きの便りは、読まずに捨ててしまうのが大変忍びなく思える程の人としての温かさを宿していた。

文章という物は、本当に素晴らしく。僕のような人間でも立派な人物の立派な文章を読んだだけで、自分まで大変立派な人間になったような気にさせてくれる。もちろんこれは、勘違いも甚だしい。立派な人の文章を読んだところで、立派な人の文章を読んだ。という実績しか与えられはしないのだから。

そんな気持ちがどこからか湧いてくる度に惨めになって、いつも周りを見渡した。

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