足し算

土曜日の昼。

先だって、二人が通っていた学校まで足を運んだ。

外から見える職員室らしき室内には、先生たちの姿が見えた。

小学校の先生という正しく規範に満ち常識に捕らわれた職業者共に恐れることなど何もない。

僕は正面の玄関から侵入し、職員室の扉をあけて挨拶をした。しかし、そもそも僕は二人の名前すら知らず。担任の先生の事も知らず。何を話していいのかもわからぬまま、居心地がとても悪くなって、そのまま職員室から出てしまった。


帰り道の本屋で萩ママのコラムが乗っている雑誌を購入し、その後スーパーで餃子の材料と明日一日分の食材を買いそろえた。

家に帰ると二人は退屈そうに、居間の隅で転がっていた。


外出前に片付けをしたばかりなのに、部屋の中はすでにくしゃくしゃと散らかっていた。片付けで終わったものが、再び片付けから始まるのは、如何にも不愉快だ。

でも、この二人にとっても散らかしても散らかしても片付けられては、気分が悪いに違いない。

お互いに、エネルギーを無駄に消耗しているだけだという事に気が付いて、どちらかが諦めればそれは抑えられるだろうが。諦めるのは、相手であるべきだと常に両者が思っているため。この、物を移動させ合うだけの無意味な消耗は、きっと、これからも、永遠に終わることは無いだろう。


にらと白菜と鳥と豚の挽肉をひけらかし。

にらを素早く刻んで白菜は、とんたかとんたか叩いてみじん切りにする。

客へのパフォーマンスとして行うこの技をやるには、包丁の手前の角を活用することと出来る限り手首を脱力させることがコツだ。

ボールでそれらを混ぜ合わせて、居間の真ん中の小さなテーブルに置いた。

既に一人は、ボールの中を覗き込んでいる。匙を3本用意して。クッキングシートを引いた角メンキと水を三分の一張ったお椀と餃子の皮をもって席に着く。

「餃子、包むの手伝って」

目もくれず隅で転がっている一人が不細工に言う。

「やだ、だって失敗するもん」

まだ何も、やってない癖に何がわかる。

「少しでも働けば、清々しいよ」

わざと、具を包んだ皮に縒りを付けづに、折りたたんだだけで並べていく。

「やだ。めんどくさいし」

「2個でいいよ」

「ぇっ?」

隅にいる方は、一瞬失敗をした顔になって、また、向こう側を向いてしまった。

初めから、子供らをあてになどしていない。

僕は一人で黙々と餃子を包んだ。

側で見ている方は、声を掛ければそれに応じて手伝ってくれただろうが。そんなことは絶対にしない。それは、あまりにも卑劣すぎる。

「ねえ・・・疲れてない?」

ボールを覗いている方がテーブルに両手を付けてのしのし跳ねながら聞いた。今朝掃除したばかりだから、そこまで埃は立たない筈だ。

「疲れてないよ」

「ねえ・・・手伝ってほしくないの?」

「大丈夫」

3人の人間が集まったときに必ず留意しなければならないことは、という事だ。僕が孤立することが有っても、二人のどちらかが孤立することだけは、絶対に避けなければならない。そもそも、この場の目的は二人から、学校についての考えを聞き出すことだった。


「あのいっぱい切る奴・・・・」

子供は初め何かを我慢しているようだったが、失笑を抑えきれずに笑った。

「ねえ、空子?あのいっぱい切るの・・・・。すごかったね。」

隅で壁の方を向く空子は、肩をプルプル震わせて「ひひひ」と小さく笑った。

もう一人が、ふらふらと空子の元に向かい手刀を腰のあたりにそっと当てた。

「トントントントントントン!!」

それから二人は、ケラケラと勢いよく笑った。

あのやり方は、ムトウという凄い料理人から教わったんだ。

ムトウがいかに有能で頼りになったかを語るには、今という場は恐らく相応しくない。

「2個でいいよ、二人で5個」

箸が転がるだけで笑ってしまう状態に入った二人は、理由もなく再び大いに笑い転げた。


二人は、不器用だし雑だし、手も遅いけど、それでも楽しそうに餃子を包んだ。

調理に関しては、手をちゃんと洗ったことくらいしか褒められないが。これはこれでいいのかもしれない。綺麗に包めなくても味は変わらないのだから。

そんなことを考えていると、学校の事を聞く気がすっかり失せてしまった。

どうしてもと言うのなら、転校という選択肢を取る事もきっと出来るはずだ。この子達に何があったのかは知らないが、嫌な思いをしたり、ほかの子供達からの純粋な殺意に晒されて、せっかくの学校生活を台無しにすることは無いのだ。


餃子を焼く前に、いくつか洗い物をして。

今朝炊いて、ボールに取っておいたご飯をレンジで温めた。

餃子を、上手に焼くコツは。くっつかないフライパンを使う事だ。



半分を冷凍し、もう半分を焼いて、少し冷ましてから皿に盛る。テーブルで待つ二人は今にも騒ぎ出しそうだ。手伝った分態度も大きい。いそがないと、それに失敗は許されない。

『いただきます』

この子達は、僕と違いいただきますをちゃんとする。

 それから、餃子は、二人の口の中に次々と放り込まれていった。自分で包んだ餃子の美味しさはひとしおだろう。二人は、空腹だとゴミ箱みたいに良く食べる。給食だけでも食べに行けばいいのに。しかし、それは他の子供たちが許さないだろう。


腹が満たされると二人はそのままアザラシみたいに転がって、大体朝までそのままでいる事が多い。片付けやシャワーを済ませると時間は、8時を過ぎる事もあった。

それからは、何もすることが無いのだ、僕も、二人も、時間を持て余していた。

特に毎週訪れる日曜日は、週の精算を大抵土曜日のうちに済ませてしまうので、家事のまねごとを終えると庭の小さな畑の手入れや、明るい内に布団に入る事が増えた。何もしていないと、じっとして止まって居ると、彼方に置いてきたはずの不安がすぐ後ろの足元まで追いついて、後頭部にへばりつく。一度、こうなってしまうと寝返りをうっても効果がない。

恥と後悔と無力さと不安が交互にやってきては、年老いた僕の姿を瞼の裏に映し出す。

明日の朝など、永遠に来なければいいのに。僕にはきっと相応しい。

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