波打ち際の天使

古びた町工場が並ぶ小さな港町で私たちは育ちました。


戦時中はお船や弾丸やらを国中で作りまくったその名残の一つがこの小さな港町でございます。

時は流れてすっかり廃れてはしまいましたが、それでも住民たちの気の良さは中々のものでして、歩けば誰かに声をかけられて心配やらをして頂いたものです。

時代は、平和になって大変豊かになりはしましたが、私たちの生活と言いますのは決して裕福なものではございませんでした。

このあたりの公民館の館長を長年務めます老人の持ち物であるこの家は古く狭い物でございましたが、それでも両親と私たち4人が住むには十分満足たる代物でございました。

片道30分もっとのこれは気ままな子供の足でございますから、距離としては大したものではなかったのだと思います。

毎日しっかり学校に通い、勉強も格別頑張ろうと思ったわけではございませんがほどほどにこなし、子供らしい無邪気ないたずらをたまにしたりもしましたが、ほかの子供たちと比べましても少し元気がある程度のそれでもごく普通の子供を自負しておりました。

私たちを育ててくださいました両親は、以前は過保護なくらい私たちにベッタリでございましたが、いつからか代わる代わる家を留守にするようになりまして、段々その時間が増えてきて、最終的にはどちらもどこかに行ったきり、そのまま帰って来なくなってしまいました。


 確かに、私たちの生活と言いますのは、よそ様のご家庭に比べまして貧しい物でありましたがそれでも私たち子供は、たまに囲む食卓ただそれだけでも満ち足りていたのでございます。

しかし、背の高さが違うものですから、およそ目に映る景色も異なっていたのでございましょう。

歯を食いしばり閉じ込めた奥底に眠る記憶の中に、ただぼんやりと、両親が家に揃わなくなる頃よく言い争いをしていた様な気がいたします。私たち二人は、布団に包まりお互いの手を固く握って冷たい雨が止むのをただただ願っておりました。


 とても学校どころの騒ぎではありませんでしたが、殆ど給食を頂く為だけにではございますが、登校は続けて。帰り道や休日は、両親を探しながら人のいい田舎者を頼り何とか食い繋いでおりました。それから、沙汰もなく数カ月ほど経ちまして、子供心ながらとてもとても楽観視などできる気がしなくなった頃でございます。同級生の純粋な質問に私たち二人は身の毛もよだつような極寒の恐怖を認識いたしまして、それからというもの学校に行く事さえしなくなりました。

不思議なものでして、この時私たちの心の中にありましたのは両親がした喪失感や憎悪の念ではなく、これからは二人で生きていくというある種の安心にも似た思いでございました。思えばあの冷たい雨の日、すでにこうなる予想を私たち二人は言葉に出さずともしていたのかもしれません。


 私たち二人は、外国のひょろ長い犬を痩せ細った野良犬にしたように、町中を徘徊し、物を盗んだりも致しました。しかしそれは、生きる為でございます。

見かねた大人たちがあの手この手を尽くし私たちを『みなしごどもの施設』に移動させようとご苦労おかけしましたが。大人たちとて人の子でございます。こんな田舎町では法律など、ましてや親が失踪したばかりの子供相手に正義や秩序を振り翳す者など居りませんでした。

あるのは、腫れ物に触るような同情と自らの良心に対する疎ましさであったと存じます。

まことに、申し訳なく思いましたが。私共はそこに付け込ませていただきました。

その中に、あの真面目で育ちのいい女職員も居りました。この育ちのいいと言いますのは何も裕福だとか家柄がいいというわけではございません。いうならば、愛のある家庭で育てられたとでも言いましょう。発言一つ一つに惨めさをより際立たせる優しさがございました。そのくせ、この女職員は可憐で聡明な表情の奥底にむらむらと湧き上がる欲求不満が横たわっているものですから。当然私たちは、この方を気に入りませんでした。


 何とか凌いではおりましたが大家である長年公民館長を務める老人が、一人暮らしで身寄りの無い、後は死ぬのを待つだけのおいぼれと言う憂い無き身分でありながら、あの家の僅かながらの家賃の滞納を理由にいよいよ本腰を入れ始めた頃でございます。

私たちは、浜辺の岩場でいつもの様に体中に擦り傷を創り乍ら腹の足しになりそうな物を探しておりました。

しかしながら、私共がこれらの物を直接口に入れるわけではございません、貝などは特に沢山採れはするもののそのまま食べますと頻繁に腹痛を起こすものでこれら食べ物は、僅かばかりの家畜を持つ年寄りの元を訪れまして主に鶏の卵や、すっかり冷えて端の方が固くなった御飯と交換していただいておりました。鶏の卵なんかは盗んでしまえとお思いかと存じますが。鶏と言う生き物は、存外凶暴な質でございます。相手が小さな子供と見るや爪やくちばしで執拗に騒ぎ攻め立てるのでございます。それに、私共ほどではないにしろ、このあたりの年寄りの生活と言いますのは程度が知れております。私共は外道などでは決してありません。


 はじめの内は、こちらが不安になるほどの釣り合わない交換をして頂いておりましたが。

老人たちの眼に私共を厄介がる色がたびたび現れ、それは次第に露骨なものに成っていきました。

今回も然り。交換して頂いたのは僅かな食糧でした。

別の老人を頼ることも出来ましたが、もう夕方が迫ってきておりました。人目を避けるように特に下校中の子供とは絶対に遭遇しないようコソコソと帰路につきました。


ざざぁああん


ざざああああん


ざあ


ざあ


 未だ日もあがらぬ頃に眠りから覚めますとまず耳に入ってきますのが波の音でございます。この音が私共をこの場所に永遠に縛り付けているような気が致しまして毎朝大変憂鬱な目覚めでございました。

腹の中身が空っぽのくせに鉛のように鈍重な身体を互いに引きずり合うように、昨日とは別の海岸に向かいました。限界が近づいている事にわたくしたちは気が付いておりました。


ざざぁああん


ざざあああん


ざぁ


ざあ


 海岸には、見慣れない真っ黒なスーツケェスが砂浜に自重で僅かに埋まっておりました。上には磨いたように丸い石を重しに、何やら書き留めた紙が隅の方を情けなくぺらぺらと言わせておりました。どうにも不思議に思いましたが、ケェスの中身に何か役に立つものが入っていないか確かめようと側面の留め具を弄んでいた時でございます。


『・・・・・!!!!・・・!!!』


ざざあああん


ざざああああん


 大慌てで私を呼ぶものですから、遠くでゆらゆら立ち上る朝日に目を瞬かせながらそちらにヨロヨロ向かいますと、カメの手や魚のうろこのような白い貝がまばらに着いた三角形の岩と岩の隙間に、人間がちゃぷちゃぷと波の押し引きに合わせ体を半分沈めたり浮かばせたり時折うねったりしながら横たわっておりました。

私は、この方の事をすぐに理解出来たような気が致しました。

蒼白な頬は、石灰岩を研磨したように白く滑らかで、その奥に眼球があるなど到底信じられないような真っ直ぐ閉じられた瞼と、そこから弾ける長い睫毛は黒曜石を砕いたように艶やかで黄金の朝日を反射した白波の光を受けてもなお煌いて、微動だにしていませんでした。その者は冬の冷たい海に浸かり乍らもただ穏やかに寝息を立てていたのです。

私たちの天使でございました。

しばらくその穏やかな寝顔を眺めておりますと、我ながら年端も行かない身ではありましたが身体の芯がむくむくと疼き、思わず赤面致しました。私は真っ赤に染まった顔を慌てて隠そうと致しました。この時、あの鬱陶しい波の音など一切聞こえず。聞こえたのは、身体を内側から殴りつけるような命の鼓動でございました。

それが、私と、この人との出会いでございます。

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