同性同士

里美が、動物たちに触れることができるエリアを発見する。触れ合える動物は、モルモットという大型のネズミ。ヤギ、黒い豚、そしてカピバラと呼ばれる中型犬ほどの大きさの奇妙な動物だ。

 カピバラはこの巨大さでありながらネズミの仲間だという。のんびりとした振る舞いとカモシカのような肉付きのいいボディーラインから、とてもハムスターやモルモットの仲間には見えないが、エサを食べるときに見せる少し黄ばんだ前歯は確かにげっ歯類特有の鋭い一枚歯だった。


里美はヤギが好きなのだという。少しだけどきりとしてしまった。

 

 彼らは皆人間に酷く慣れていて、食事中に背中を撫でられたり、小さな子供たちが急に大きな声を発しても全く動じない。特に、カピバラは自ら撫でられに寄ってきて、背中をそのままなでてやると、今度はゴロリと寝転がりそのまま腹側もなでろと言わんばかりの態度で横腹を差し出した。それも1匹や2匹ではなく気が付いた時には5匹のカピバラが僕の周りに寝そべっていた。

子供たちから向けられる天望の眼差しがなかなかに心地いい。

「みてみてみてみて!お母さん!!!カピパラ使い!」

とても元気のいい子供だ。

「本当ねーすごいねー!」

カピバラ使いという名詞に、どうしようもなく照れ臭くなってしまう。ごまかすように寝そべるカピバラたちから離れて、里美を探すと里美は少し離れた場所で黒い豚を撫でていた。


「カピバラ使いさん、お仕事はもういいの?」

仕事、というワードを聞きたくなかった、今日は休みだというのに。

ふと、朝から浮ついていた気持に気づいてしまう、今頃何事もなければ休憩時間のはずだ。何事もなければだが。そしてそんなことは、めったにない。

「ほら、見て。豚さんあったかいよ!」

この豚は、パンフレットにミニブタと書かれていたがちっともミニではない。


 豚は先ほどのカピバラたちよろしく、腹を里美にさらけ出し。気持ちよさそうに寝息にも似た息遣いで細い指先を堪能し、恍惚な表情を浮かべては、忘れてしまう呼吸の度に、咳をするようにブヒりと鳴いた。

 特徴的な鼻は、艶々としていて手の甲を近づけると曲線に合わせて先端が変形しぴったりと吸い付いた。鼻はとても暖かく、なんとも言えない気持ちになる。

「里美さんは、豚使いですか?」

「うん、この子君にそっくり!ブヒブヒ!」

「そうですか?」

「ねぇ見て!」

里美はそういうと、豚の尻付近を人差し指の指先で軽く弾きはじめた。

「キンキン。キンキンキンキン!」

「・・・・!里美さん、それはやめた方がいいですよ汚いですよ」

咄嗟に豚を庇ったつもりだった。しかし豚は後ろ脚を一瞬引くつかせただけで嫌がるようなそぶりは見せなかった。慣れているのか?それとも望んでいるのだろうか。

「キンキンキンキン!コロロロロロロロロロ!」

「・・・・・・」

 豚は、脱力していた足を少しだけ宙に浮かせたが。やはり、終始大人しくしていた。

執拗に弾き回して満足したのか里美の指が腹に戻って僕は安堵する。

里美を享受する豚が、なんだかひどくうらやましく思ってしまう。


 ふれあいスペースの出入り口に簡単な流し台と消毒液が設置されていて安心する。

休暇中とはいえ僕たちは食品を扱う集団に従事していることを忘れてはいけない。

 

 僕がまだ小さいころ、母の友人が店にやってきて、食事をしたのち「食中毒を引き起こした」と大騒ぎした事があった。

 あの時の両親の大変そうな様子は今でも忘れる事が出来ない。

保健所の調査と業務改善で二人はろくに眠る時間も取れなかった。

祖母は、「だから飲食店はやめておけばよかったのに」と、どうしようもないことを両親に言った。

それが、正しい事だとしても。こんなにも大変な時に言うことはないのに。と、子供ながらに思った。あの時の父のやるせない顔と母の悲しそうな顔は今でも忘れられない。


 この騒動は結局、食中毒の発生元は両親の店以外のどこか。という非常にくだらない結末を迎えた。

 両親も他の客の手前、母の友人にたいして強気に出ることができなかった。

それを理解したうえで、母の友人は、両親に対して謝罪の一つもしなかった。

そして、それから店に来ることもなかった。

 

 この一軒で、しばらく営業を停止していた両親の店に対する田舎の人間達の下衆さは尋常ではなく。潰れた。子供が原因で離婚した。父が大病した。という全く根拠の無い噂が町の至る所から立った。

 真相を知るものは、黎明期からの常連客数人だけだった。

むろんしばらくの間、客は激減した。


 もし、あの規模の宿泊施設で同じような事態が引き起こされれば、さらに大ごとになってしまうであろう。1週間は、強制的に営業を停止させられたうえで厳重な検査が行われるに違いない。1週間。


休みになるのだろうか?


「お腹すいたね。ごはんにしよっか」

隣の流しで手を洗いながら里美が言った。

「今ならすいているかもしれません」

「私は混んでても気にしないけどね。あーあ、豚さんかわいかったなぁ」

里美の横顔から、ほんの少し悲壮感が漂った。振り返ると豚は先ほどと同じ場所に寝そべり小さな子連れの4人家族に囲まれていた。相変わらずとてもおとなしい。

「よく、洗ってくださいね」

「でも、豚ってきれい好きなんだよ。君そっくり」

その時、先程まで大人しく腹を撫でられていた豚が頭を持ち上げてごッと短く鳴いた。


 レストランは、ふれあいスペースの近くにあった。

ふれあいスペースの内部がよく見える位置に設置された小休止用ベンチには牛乳メーカーのロゴが書いてある。隣には飲み物の自動販売機があった。

 近くにはソフトクリームや軽食を販売する売店もあった。その売店では、今も父親と思われる中年男が幾人か、広場の方を眺めながら黄昏に老けていた。

それらの、ちょうど裏手の遊歩道を挟んだところにレストランはあった。


昼食時はすでに過ぎていたが、換気扇から漂う様々な料理の残り香がこのお店の繁盛具合を物語っている。


 隣を歩く里美を数歩追い越して、店の扉を開けると中からトマト系のソースを熱したときに発生する独特の香りがして。入り口扉の上に備え付けられた。カウベルの音が、子気味良く店内に響き、僕たちの来店を知らせてくれた。

店内の壁にはアンティーク調のお皿や、絵が飾ってあって。テーブルや椅子も、大きな窓から差し込む日差しを反射して、少し焦がしてしまった鼈甲飴のような優しく気品のある光沢を放っている。

 そういえば、入り口のドアの手すりも艶々とした手触りだった。

何人もの客人と握手してきた手すりのことを考えると、なんだか誇らしく思ってしまう。

 店員は、少し太めの可愛らしい女の子だった、僕と同い年くらいか1歳ほど若い。エプロンがとてもよく似合っている。

 僕たちは窓際の席に案内された。僕は、奥の椅子を引いて先に里美を座らせた。これは、どこかで読んだ食事の作法で、覚えている数少ない物のうちの一つだった。

 里美は、当然。と言った様子でスカートの部分をを巻き込まないように両手で尻を撫でながら腰かけて「いい店ね」と、意地悪な貴族の様に言った。全く同感だ。


メニューは、荒く漉いた紙に文字が書かれているだけで、仕上がりの写真などは一切ない。

「ねぇねぇリングイネって何?」

 里美は文字だけのメニューに少し苦戦しているように見えた。その姿が子供の用だったのでつい僕も少しだけ偉ぶりたくなってしまう。

「少し平たいパスタの事ですよ」

 もっと細かに説明すると丸いパスタを平たく引き伸ばしたような形状のパスタで断面の短いところが1mm長いところが3mmで25cm程の長さをしたパスタなのだけれど、旨く説明できる気がしなかったので、パスタの国の方々に少しだけ申し訳ないと思いつつも、僕なりに簡単に説明した。

「ふーん、おいしそー私これにしようかな」

 里美は、メニューを見てからオーダーを決めるのがとても速い。僕は何にしよう。

入り口の近くに小さな立て看板の黒板にカラフルなチョークで日替わりランチについて書かれていた。もっと関心をもって内容を確認しておけばよかったと今更になって後悔し、顔の表面が少しひきつるのを感じた。

 思わず里美を見てしまう、敢えて言葉には出さないが早く決めろと言った様子だ。

今にも両手にフォークとナイフを握りしめて、柄でテーブルをたたき始めそうな雰囲気だ。そんな姿は見たくない。

今日の里美は、とても可憐だったから。

 僕が悩んだ時間は、僕にしては、わずかだったと思う。店員さんを呼んで里美の貝と海老とキノコのリングイネとエビと野菜のラザーニェを注文した。

「気取っちゃって、ラザーニェだって」

里美が目を細めて、独り言のようにぼそぼそと言う。

ラザーニェという料理は知っていた。けど、食べてみるのは初めてだった。いつも行く街の料理屋さんにはないメニューだ。里美は飲み物が書かれたメニューを見ていた。

「白ワイン飲んでみたいなぁ・・・」

 ぽつりと言った。ドリンクのメニューはラミネート加工されたごくごく普通の物だ。里美は片手でそれをもてあそびながらうつろに眺めていてそこに日差しが斜めにさしていた。

「頼んでもいいですよお酒」

反対する理由などない、僕たちは車で来ているわけではないのだから。

「うーん、飲んでもいいんだけどねぇ。今日は、良いかなぁって感じ」

里美がメニューの角をテーブルに立ててくるくる回すとラミネート加工されたメニューがキラキラと光を反射させた。

ふと調理場の様子を見てみる。

 店内の壁の長四角にくりぬかれた向こう側の空間は、銀色の飾り気の無い金属製の壁で囲まれている。長いコック帽をかぶった若い男二人が調理をしている様子がここからよく見えた。とても一生懸命な様子だ。

 二人ともあんなに若いのに、こんなに立派なお店をちゃんと回しているのかと感心してしまう。先程の少し太めの可愛らしいウェイトレスも調理場の様子をどこか楽し気に覗き込んでいて、その様子は業務的にではなく、個人的な意志による行為に見えた。

 耳をすませば聞こえてくる調理音と店内の音楽の中、僕も二人の様子を眺めていた。


「ねぇねぇ君、ボンゴレビアンコじゃなくてよかったの?あるよほら」

 ドリンクメニューをもてあそぶのに飽きたのか、今は食事のメニューを両手で立てるように持ちながら里美はそう尋ねた。どんな表情をしているかはメニューに隠れてわからない。

メニューの裏側はデザートになる品々が書かれていた。

「いいんです」

デザートの品々に向かって答える、

「ふぅん、じゃぁ気が変わったからボンゴレビアンコにするのやめちゃったんだ」

顔の見えない里美はノロノロと少し眠そうに言った。

「だめですか?」

「ラザーニェに乗り換えたの?私にはボンゴレビアンコ食べたいって言っといて?」

口調には、キリキリと締め付けるような素早さがあった。

「すみません」

このやり取りに何の意味があるのだろうか、無理やりに僕の意識が、里美の重力にとらわれてしまう気がした。

里美は、メニューを光沢のあるテーブルにパタンと倒した。

「うそ、ついたの?」

里美は、ひどく悲しそうな表情を浮かべていた。なぜか急に不安になってしまう。

「どうしたのですか?」

ふざけているのはわかっている、それにしても少し度が過ぎている気がした。

「ボンゴレビアンコは嫌?」

里美はとても悲しそうだ。理由はわからない。

「そんなことは・・・ありませんけど・・」

「だったら好きって言って」

「好きです」

「違う違う!」

里美は、少し大げさに首を横にふった。

薄い栗色をした髪がさらさらと宙を舞って、キラキラ輝いた。

ほんのわずかな時間見つめあう。

「ボンゴレビアンコ好きですって」

「ボンゴレビアンコ好きです」


「お待たせしました。ラザーニェでーす」

 ぎくりとする、僕の奇行をこの店員に目撃されてしまった。接近にまるで気付かなかった。静かで素早く優秀なウェイトレスだ。

 表面がこんがりときつね色に染まったラザーニェを経由して里美を見る。

「修羅場だよ」

里美は、とても意地の悪い顔をしてそう言った。

店員さんが紙のエプロンとナプキンを持ってきてくれたので、僕はエプロンをしっかりと装着した。僕の様子を眺めていた里美はにやけながら自らもエプロンを首から下げた。出来立てのラザーニェは素晴らしくおいしかった。縁の部分と真ん中付近のラザーニェとチーズの混ざり合ったところを食べる分だけかき混ぜ口に運ぶ。

「私の料理まだ来てないんですけどぉ」

子供のようなことを言う。

「・・・すみません」

やはりとてもおいしい。

「全く、耐え性がありませんねぇ君は」

今度は、僕の方が子供のような扱いを受けてしまう。本来ならこちらの方が正しいのだ。

「お味はいかがでしょうか?」

里美がうれしそうに尋ねた。

「とてもおいしいです」

スプーンをラザーニェに沈めながら僕も答えた。

「ちょっと頂戴!」

 僕が一口食べてしまったから、同じスプーンを使うのは少しだけ抵抗があったが。ラザーニェを皿ごと里美の方に差し出した。

「熱いので気を付けてください」

「違うよ違う!」

里美は、先程よりも大げさに首を横に振った。

「食べさせて!」

そういうと、大きく開けた口を指さした。

 大きくあけられた口のなかには、小さくて白い歯がきれいに並んでいた。

 ドキリとしてしまう、周りを見渡して誰も見ていないことを特にあのウェイトレスの位置を確認する。出来るだけ熱くなさそうな部分をスプーンですくって持ち上げた。

「口の中やけどさせないでね」

 里美がむしろ熱い料理を好んでいるのを知っていたから。わざわざそんな発言をすることを大変面倒だと思ってしまう。

 もう一度周りを確認してから、スプーンですくったラザーニェを息で拭いて冷ましてから、里美の口に運んだ。こんなことは慣れていないから、口の周りに少し付けてしまう。

「ぅん」

またあの声だ。もごもごと蠢く口からスプーンを引き抜くと下あごが少しだけついてきた。

「うん。苦しゅうない。うん、美味しい」

 里美は、目をつぶって、本当においしそうにラザーニェを味わった。

気になっていた、口の周辺に着けてしまった物もそのままぺろりと舐めとった。口のわりに小さな舌がかわいらしい。


 三口目のラザーニェを飲み込んだ頃、里美が注文した料理が運ばれてきた。

僕は、皿をこちらに引き戻して、テーブルを汚さないように引いておいた紙ナプキンでスプーンを拭いた。

 注文された料理が出そろったことを店員が確認すると。里美が「結構ですぅ」と余所行き用の声で上品に答えた。

 運ばれてきた料理は一目で、この店の得意料理だとわかるほどの出来栄えだ。


 円形に並べられたカラス貝の中心に毛糸の毛玉の様にリングイネが盛り付けられていて、ちりばめられているトマトの香りがこちらまで漂ってくる。

 パスタの頂には一般的に流通しているよりも一回り大きなエビが殻ごと2尾乗っていて表面を油でさっと揚げたようにこんがりと焼き色が付いていて、殻は熱によってカリカリに反り返っていた。

 こっそりと調理場の様子を確認してみると二人は、すましたように料理の仕込みをしていた。

ブラーヴォ。

「あは、おいしそう!」

 里美は、嬉しそうにフォークを手に取ってもう一方の手で湯気の立つ皿からカラス貝を一つ取り出した。

 磯の芳醇な香りが辺りに立ち込める。僕は、それをごまかすようにラザーニェを口に運んだ。そして、食べやすい温度に冷めたラザーニェはやはり素晴らしくおいしい。

 里美は、早速貝を一つ平らげた後すべての貝から身の部分を外し同じようにエビも殻から身の部分を器用に外した。海辺の町出身という事で、なかなかに手際がいい。

 紙ナプキンで手を拭くとフォークを使ってパスタを少量巻取ってそこに貝とエビを突き刺して口に運んだ。

そして、とてもおいしそうに味わった。

味の事をわざわざ聞くまでもないだろう。


「うん!すごくおいしい!なんだっけこの・・・」

「リングイネです」

「そうリングイネ!やーね、きどっちゃって」

左手で手招きするような動作を執拗に繰り返しながらさっきと同じようにパスタを起用に巻き取りもう一度口に運んだ。

「ホントにおいしぃ・・・ねぇみずき君これ作れる?」

「作れません」

 正直に答える、僕に出来る事と言えば下ごしらえだけなのだ。

「そっかぁ。味も知らないのに作れるわけないよねぇ」

里美は、くるくるとフォークを回しながらどこか楽し気に答える。

「はい、じゃぁこれ食べてみて」

差し出されたものは里美が食べていたものよりもたくさんのパスタが巻き取られていてエビが刺さっていて貝とキノコも刺さった巨大なものだった。

「ほら!早く垂ちゃう」

 急かされてしまって、いろいろなことを考えたが言葉が出てこなかった。

 僕は回し飲みができない性質だった。そのことで今まで何人もの人たちを不快な思いをさせてきたのは言うまでもない。

 しかし、今回ばかりは言われるがままに先程の里美の様にフォークを口で迎えに行く。

「あーーん」

里美はとてもうれしそうに僕の口にパスタを運んでくれた。

 とてもおいしかったはずだが、味などわからない。鼻息がわずかに荒くなってしまうのが自分でもわかった。

「どう?」

冷たい目で僕が苦しんでいるのを観察している。この人から、強い魔性を感じる。

「・・・・」

美味しいです。と言いたかったがひと口が大きかったゆえに飲み込むのにも時間がかかってしまう。美味しいです。

「・・お」

「里美味」

里美ははっきりとそう言うとソースが付いているわけではないのに下唇をゆっくりと舐った。

 

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