第22話 絵画の中で 前編

 啓明結社イルミナティの拠点を探し続けエミールはパリ3区 モンモランシー通りに建つ石造りの四階建ての家の前にまでやってきた。


 家の鍵は掛かっていたのでエミールは時祈書を開き月歴図レーバーズ・オブ・ザ・マンツズ一月の絵から魔術を作り出した。


一月ヤヌス・ウィズ・スォード&キィ


 ローマ神話の扉の神ヤヌスの持つ象徴によって難なく開錠し中へと入ると何もない部屋が広がる。


 だがエミールは驚くことも無く。壁に飾られた一点の絵画の前にまで足を運び言葉を紡いだ。


祈れ、ORA,読め、LEGE,読め、LEGE,さらに読め、RELEGE,働け、LABORAさらばET見出さんINVENIES


 言い終えると視界が白に染まり、気づけば草原の上に居た。


 エミールがココに来るまでに集めた話では先の言葉を絵画の前で口にすると啓明結社イルミナティの隠れ家に行き着くというものであったが、どうやら魔術を起動するための呪文となっていたらしい。

 周囲を見渡すと広報に空中に浮かぶ額縁が存在し その中にさっきまで居た もぬけの殻の部屋の姿を見ることが出来た。


「ここは絵の中なのか……?」


 エミールがそう思ったのはココが呪文を唱える前に見た風景画にそっくりの世界だったからである。


 そうして状況を理解し遠くに見えた建物を目指そうとしたとき。「誰だ?」と問いかけられ、声のする方へ目をやると岩の上で座る4~50代の男が居た。


 それに対してエミールは逆に質問を返した。


啓明結社イルミナティ会員か?」


「そうだが、質問に答えられないと親の教育を疑われるぜ坊主」


「生憎。その親をアンタらに関節的に殺されてね」


 憎しみを込めながらエミールは剣を魔術で作り臨戦態勢を取ると相手側が察した。


「親を…そうかお前が最近、噂になっていたエミールか!」


二月シィスティング・バイ・ザ・ファイア!」


 男の声を出すと同時にエミールは炎を放つ。すると男は持っていた杖で岩を叩き水を引き出し火を鎮め、続いて巨大な雹を空気中に生み出しエミールへと放つ。


 これに対し少年は風の障壁をもって防いだ。


司教杖クロシェか」


 エミールは男の持つ先がフック状に曲がった杖を目にし言った。


 司教杖クロシェは宗教によって形は異なるが、男の持つソレはモーセの杖に似せてか先が蛇の頭の形をし、の聖人の奇跡を再現し水や雹を生み出したのだ。


〈持ち主は司教という感じはしないがな〉


 ただ便利な道具として振るっているといった様子からエミールはそう思った。


 男はそのまま水と雹を使って仕掛けてくるとエミールは時祈書から十二星座の象徴を持つ獣帯人間じゅうたいにんげんを描いたページを開き手にしていた剣におとめ座に含まれる属性と性質を付与した。


 おとめ座は占星術の観点から見た場合。土の属性と乾いた性質を持つものと考えられている。

 この属性と性質は水に対して有効に働き、水を斬り裂き吸い込んでいく。

 氷塊の方は炎によって溶かしてしまえば問題もなく対処できた。


 その状況から攻撃が有効でないと判断すると男は杖を蛇に変えて攻撃してきた。


 エミールは噛まれぬように避け、次に魔術を繰り出した。


八月ファルコニィ


 月歴図レーバーズ・オブ・ザ・マンツズの八月の図像から生まれた鷹は蛇を掴み空高く飛翔し、男の手から杖を奪い取った。


六月ヘイ・ハーヴェスト!」


 丸腰になった瞬間エミールは魔術によって大きな鎌を形成した。


「報いを受けろ!!」


 振るう一閃が男の首を捉え刈り取る様は絵の世界では黒いシルエットとして表現されただろう。

 血は草花を赤く染め。大地を汚したように少年も血に彩られる。


 意外にも初めての殺人行為であったにも関わらず心は動じることもなく彼は冷ややかに死を見下ろしていた…………



 エミールが絵画の中に入ってから少し遅れてフーシェ。クラリナ。アレクシス。フェリクス。アンリエッタの五人がやってきた。


 彼らが、そのまま二階三階と調べるも人の気配どころかネズミの一匹も居らず一階に戻りアテが外れたのかとアレクシスはフーシェに聞いた。


「もう少し良く調べましょう。ここは、かつて錬金術師ニコラ・フラメルの居た家です。何処かに隠し部屋や通路があるかもしれません」


 そう聞くとクラリナが思い出したことを口にした。


「錬金術……そういえば錬金術師ってのは何かと暗号化なんかをして研究成果を秘匿するよね」


「だとしたら、やはり何か隠しているのでしょうね」


 その中でフーシェは部屋に飾られていた風景画を指さして言った。


「あの絵なんか怪しいんじゃないですか?」


 しかし、それに対してフェリクスが答えた。


「ただの風景画だ。なんの意味もない」


「そうなんですか?」


 続くフーシェの疑問にアレクシスが答えた。


「風景画ってのは特にコレといったものが無いからな」 


 この当時フランスでは風景画というジャンルは評価が低い。


 理由は二つある。一つは宗教的な理由である。この国の宗教観で考えれば豪華であればあるほど信仰心の強さを示すという考え方があるからだ。

 なので慎ましさがあるものやシンプルな絵に対する評価が低い。


 そして、二つ目は〝主題の位階〟の影響である。


 これは歴史画を頂点とし、その下に静物画、風景画などが存在するというジャンルだけで優劣を決めつけてしまう考え方である。


 主題の位階は、感性という曖昧な評価基準を取り払い明確な評価基準を形作った反面 風景画などの評価を過小評価する元凶ともなり、その影響か、この場に居た者達は風景画に対して関心が低かった。


 一人を除いて。


「何を言っているの。風景画は派手さこそなくとも文化や伝統など気にせずに国家・宗教の枠組みに囚われずに古今東西を問わず自然の美を楽しめる素晴らしい芸術よ!それでいながら構図のこだわりや寓意を組み込むことによってシンプルで奥深く楽しめる物もあり時に作者の美的観を見事に表現し…」


 クラリナが熱く語り一同は呆然とする。


「お…おう、わかったよ…」


 アレクシスがそう答えるとクラリナは風景画を見始めた。


「いまの所 変わった物はコレくらいだし、案外コレがなにかのヒントかもしれないわよ」


「そうは思えないけど?」


 近くにいたフェリクスは疑問を投げる。


「錬金術の本の中には絵ばかりで解説文もロクに載っていない沈黙の書という物がある。錬金術師 曰く、それ自体が秘術を記したもので図像そのものを軽視する人間には解き明かせないと言っていた。

魔術の理解とは芸術なしでは語れない…秘術の理解の手引きとしてラテン語でこういう言葉がある

祈れ、ORA,読め、LEGE,読め、LEGE,さらに読め、RELEGE,働け、LABORAさらばET見出さんINVENIES…と」


 クラリナがその言葉を発すると視界は白く染まり、風景画の世界に皆が引きずり込まれていた。


 当然、最初は困惑したが直ぐに状況を理解し始めるとクラリナは驚嘆した感想を述べた。


「フランドル派の絵は写実的で思わず その世界に飲み込まれてしまいそうになるとは言うが……本当に絵の世界に引きずり込む魔術があるとは…」


「これは俺たちの知る魔術ではないな…ここが啓明結社イルミナティの隠れ家か…?」


 それに続いてアレクシスが言うと次に気づいたことは近くに死体が転がっていたことだ。


「これは…先客が居たということか」


 現状から おそらくエミールがやったのであろうと推測しながら このだだっ広い草原で遠くに見える建物が唯一 目ぼしいものであったために彼らはそちらへと足を向けていった。



 絵画の中の牧歌的な家々が建ち並ぶ。

 その建物の一つにソフィーは手枷をつけられた状態で閉じ込められていた。


「仮にも王族を拉致監禁って紳士としてどうなのかしら?」


 ソフィーは近くに居たサン=ジェルマン伯爵に言った。


「文句を言わないで下さい。監禁されていた頃の貴女のお兄さんより遥かに良い環境なんですから」


「なぜ、監禁するのかしら?」


「貴女が危なっかしいからですよ」


「……あの時の戦いの最中 聞こえていたのだけど、貴方たちはユダヤ人の自由が目的なのでしょう?わたくしを解放して王位を取り戻す手助けをするならその願いわたくしが叶えてあげますわよ」


 ソフィーの提案を聞くと伯爵は笑った。


「兄妹ですね。貴女のお兄さんも同じことを言っていたそうですよ。ですが必要のない事なのです。なぜなら既にナポレオン皇帝陛下が強制居住区域の解放を約束してくれましたので」


「なら何故ナポレオンを暗殺する可能性のあるわたくしを殺さないのかしら? 邪魔でしょう?」


「これでも王族に義理はあるんですよ。まぁエミールくんは殺そうとしましたが、彼は本来は死んでいるのが正しい形でしたし」


「適当な言い訳を……当ててあげましょうか、貴方たちがわたくしを殺そうとしないのは何かの間違いで王政に戻った時に『私たちは王族を匿っていました。だからブルボン家の味方です』と言える保険が欲しいのでしょう? 違って?」


 それに対してサン=ジェルマンは笑うだけで答えなかった。


 そうして会話をしていると扉が開かれ一人の男が焦った様子で入ってきた。


「サン=ジェルマン!! アイツをどうにかしてくれ!!」


 突然の言葉に伯爵は戸惑いつつも聞いた。


「あいつ?」


「ルイ17世だ!! ここまで来て暴れまわってる!」



 家々が建ち並ぶ集落のような場所に入る前。エミールは啓明結社イルミナティの会員たちを斬り伏せていた。


 その後ろ姿に声を掛ける者がいた。


「そこまでですよ。エミール=ジョゼフ・エルヴァ」


 エミールが振り返るより早く黒薔薇のツタがエミールの体を拘束する。


四月ピッキング・フラワーズ


 即座に拘束を切り裂き振り返るとフーシェ達の姿が目に映る。


「お久しぶり」


 その傍で紅潮した笑みを見せるアンリエッタは言った。


 そこでエミールと敵対する勢力の出現に啓明結社イルミナティ会員たちが歓喜した。


「誰だが知らんが助かった。ありがとう!」


 しかし、その喜びは自らが石になっていく感覚によって塗りつぶされる。


 同胞の石化を目撃し自分たちの味方でない事を認識すると彼らは逃走し始めた。


 次々と警察省の擬人像の魔眼によって石化していく人々だがエミールは石になることはなかった。


〈彼だけ石化しないということは何かしら対抗策を打たれているようですね〉


 神話などに登場する魔眼は非常に強力な効果を持つが強力 故に対抗策も多い。


 エミールは、フーシェとは敵対する可能性が高いだろうと考えココに来るまでの間にファティマの手と呼ばれる護符を用意していた。


ファティマの手

 別名ハムサは中東マグリブ地方で用いられている手の形をした魔眼対策の護符である。

 手の中央部分には目が描かれており左右どちらの手か判断できないように親指と小指の形が短く小さい形をしている。


 エミールはソレを首から下げ服の下に隠していた為に何事もないようにやり過ごすと擬人像へと攻撃を仕掛け破壊した。


「っく…!!」


 フーシェは反射的に身をかばう様な姿勢になりなると同時にアンリエッタがエミールに襲い掛かり戦闘に入る。


六月ヘイ・ハーヴェスト


 彼女との戦いにはゴシック要素を持つものが有効であるために死の象徴を持つ鎌を選択し迎撃を行う。


「こうしてる間に啓明結社イルミナティの奴らが逃げる可能性もあるし、ここはアンリエッタに任せて先に行こう。どうせアイツの魔術が邪魔で支援も上手く出来ないんだしな」


 一進一退の攻防を行っている姿を見るとフェリクスは提案し他の二人も賛同した。


 その後にフーシェは少し考えてからアンリエッタに言った。


「アンリエッタさん。ドゥノン館長から言われたように殺してはダメですよ。彼は聖遺物として欲しがっていましたからね」


「はいはい」


 一応、返事を貰うと不安に思いながらもフーシェは先を行く三人の後を追った。


〈一対一とはありがたい話だ〉


 しかし


「始めからボクを捕まえに来たワケじゃないんだな」


 エミールは疑問を口にした。


「心配しなくてもアナタを捕まえるのも目的よ」


啓明結社イルミナティは貴方たちの味方では?」


「さぁ? それより楽しみましょう♪」


〈まともに会話ができない…これならさっきフーシェに質問したほうが良かったな〉


 そう思いながら襲い掛かる薔薇のツタを切り裂いていく。


 魔術効果を抑えられないなら容易く勝つことが出来ると思った瞬間。回転しながら接近する物体があった。


 大鎌を使ってソレを上方へと弾き飛ばすと金属音が鳴り響き彼女の手へと戻っていくとアンリエッタは、その手に持つ剣を見せつけるように言った。


「どうかしら? ブルンツヴィークの剣のレプリカなのだけれども とってもゴシックでキレイだと思わない?」


ブルンツヴィークの剣

 チェコ王ブルンツヴィークが旅の中で手に入れたという剣だ。

 伝説ではプラハの地に危機が訪れると守護聖人セント・ヴァーツラフが現れ、彼がその剣を手にすると剣は一人でに宙を舞い敵を討つという。


 そのレプリカは片手剣で刀身には十字架状に穴が開いているゴシック様式の剣であった。


「普段から剣を扱うことはないけどコレなら私にも簡単に使える。だって…」


 アンリエッタの言葉の後に剣はエミールの首めがけて飛んでいく。


「勝手に首を落としに行くんだもの」


 宙に浮かぶ剣の攻撃をエミールが防いだ後に彼女はそう言った。


 そうして再び二人の攻防が始まった。



 エミールとアンリエッタが戦う最中、フーフェ達四人はこの絵の中に存在する牧歌的な家が並ぶ場所で二手に分かれて行動していた。


 そんな中アレクシスは啓明結社イルミナティ会員に対して容赦なく攻撃していく。

 アレクシスの扱う小さなコインが相手の胸や頭を撃ち抜くと絶命して倒れていくと一緒にいたフェリクスは確認するように聞いた。


「捕まえなくても良いんだよな?」


「今回の一件は全てエミール=ジョゼフ・エルヴァの犯行として処理するそうだ。俺たちは、彼の犯行を阻止しようとしたが時すでに遅しという筋書きになるそうだ」


「酷いもんだ…」


「逆にそこまでのことを許すほどコイツらは何かしでかしたということだろう。部下は黙って従っておく方が利口だぞ」


 二人が話していると啓明結社イルミナティ会員が発砲してきた。


 それに対しアレクシスの周囲に浮かんでいたコインが自動的に反応し銃弾を迎撃し別のコインは反撃と言わんばかりに啓明結社イルミナティ会員の頭を撃ち抜き絶命させる。


 すると今度は別の方向から炎がアレクシスたちに向かって襲い掛かってきた。


 その不意打ちにフェリクスは天体地球儀を持ち上げ魔術を使う。


「アルジェバ」


アルジェバ

 オリオン座イータ星につけられた名前だ。アラビア語で盾を意味する言葉の通り魔術によって盾を形成し火の手から二人を身を守った。


「やれやれ侵入者が他にも居たとは、しかもその相手が上級十二館員アンシアン二人。さらに、そのうち一人は最強とも呼ばれているアレクシス・フランクールとは…」


 二人の前に現れたのは手にギリシャ神話の神ヘパイストスとプロメテウスの姿を描いた彫金を施したランタンを手にする40~50代の金髪の男性…サン=ジェルマン伯爵だった。


「俺は自分が最強とは思ったことは無いけどね」


「ご謙遜を、貴方はその周囲に浮かぶメダルに悪魔を宿らせソレを自在に扱うことが出来るのでしょう?それ程の魔術を行使するとは伝説のソロモン王にも匹敵しうる力ではありませんか」


「厳密には安全に使うために神名天使を使って悪魔の力を落として運用しているから伝説には程遠い…そもそもコレに取り憑いているのが本物の天使や悪魔なのかも判らない。それくらいに理解も浅いんだよ俺は」


神名天使

 出エジプト記14章19節~21節を解読することで浮き彫りとなる72の天使たちのことである。

 この72の天使と対にソロモンが使役した言われる72柱の悪魔を運用すれば安全に悪魔の力を制御できると言われている。


 ただし神名天使の存在はあくまで旧約聖書を解読したと思い込んでいる一部の人間が言っているだけで存在を証明したワケではないという見解もあり、アレクシス本人も自信を持って天使悪魔を扱っていると断言はしなかった。


「まぁ、だからこそ魔術は面白いんだがな」


 霊的な力によって意思を持ったように宙を浮き続ける何枚ものメダルが一斉にサン=ジェルマン伯爵へと勢いよく向かっていくと炎をから生み出された ぶ厚い盾にぶつかる。


 ぶつかった衝撃でメダルがひしゃげると留まっていた力が行き場を無くし炸裂し伯爵は苦い表情を浮かべる。


〈鬱陶しい……しかし、こうして美術館員を送り込んでくるとは…ナポレオンめ裏切ったか…? いや…ルイ17世もココに居ることを考えれば、それを追って来た可能性もある。もし、そうなら我々は魔道芸術を不法所持する危険な集団としか見えんだろうな…〉


 サン=ジェルマン伯爵は戦いながらそんなことを考えていた。


<まぁいい、どうせ私が負けることはないのだから>


 そうして伯爵は不敵に微笑みながら戦いに興じる。



 一方その頃、一人 部屋に残されたソフィーは椅子の角に木製の枷にルーン文字で火を意味する〝ケン〟の文字を刻み小さな火力で枷を炭化させていき手枷を破壊すると人知れずに脱出することに成功していた。


 絵の中の世界から飛び出し、行く当てなど無くとも彼女は逃げた。


 その先も捕まる未来しかないというのに…

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