第8話 日常

 地下での戦いを終えた次の日。エミール、トマ、ジェラールはイノサンの泉に面するレストランで会食していた。


「さぁ無事帰還できたことに対する祝杯だー」


「逃げられておきながら祝杯だなんてよく言えるな」


 トマの言葉にジェラールは呆れながら言った。


「逃げるのは相手が悪いのだから気にしな~い。それよりジェラールは斬られたのに生きてることに感謝しなくちゃ」


「そうだな。小さいの…いや、エミール。ありがとう」


 あらためてジェラールはエミールに向かい合って感謝を述べると「いえ…」とエミールは軽く返しジェラールが今日の昼は奢らせて欲しいと言ってきた。


「ウェイターさん。白ワインのシャトー=ラフィット=ロートシルトを1つ」


 奢りと聞いてトマは1本100フラン(約60,000~150,000円)もする王のワインを注文するも「お前は自分で払え」と一蹴され即座に安酒に注文を変える。

と言うか昼間から飲むなよとジェラールは思わず口にするが彼は気にする様子もなく お喋りを始めた。


「いや~でも昨日は凄かったよな。相手の魔術をマネちゃうなんてね」


「どうも…」


「あー…うん…変わらずクールなのね君……」


 抑揚もない返事に会話の調子を狂わされていると料理が運ばれてきた。


 この時代にはまだ一皿づつ運ばれてくるロシア式は取り入れられていないので一度に料理が運ばれてくる。

 前菜のホウレン草添えのバイヨンヌハム。

 パンはフランスで良く食べられている表面がパリパリで中が柔らかいバケット。

 シタビラメのムニエルをメインに食後の口直しに置かれたカマンベールチーズと最後にいただくカフェ・オ・レが一同に並び三人は食前の祈りを捧げると静かに食事をする。


 エミールはこんな体だが食事することは出来た。

と言っても感覚は死んでいるので味などしないのだが、本来であれば生ハムの濃厚な旨味と香りのハーモニーが口の中で塩気と共に広がっていただろう。


 パンを口にし続くムニエルも焦がしたバターの風味にパセリの香りに胡椒のアクセントとレモンの酸味で二人は満足そうに食べていく。


 塩気が残る口内も中和されるようにカマンベールチーズの苦味と濃い味によって消えていき最後にカフェ・オ・レを飲む。

 甘さに支配されることなく苦味に蹂躙されるワケでもなく、ただただ芳醇な香りに複雑な味を彩る一杯は締めに相応しいくあったがトマはコレに追加で白ワインを口にする。


 白ワインの辛口と酸味は先に口にしていた乳製品のお陰でマイルドに飲める。

 惜しむことは安い分、香りはそれほどでは無かったことであろうが概ね満足がいった。


「美味しかった……フーシェさんも来れば良かったのに」


「王党派を逃がして忙しいんだろ。アイツは国王殺しレジシードだからな。王政に戻るようなことなんて万が一でもあっちゃ困る中で食事に誘っても来ないだろうよ」


「それもそうか」


 ジェラールの答えにトマは納得しながらナプキンを畳む。


「いまさら王さまになんか帰って来てほしくないからフーシェさんには頑張って貰いたいものだね。嫌だよ俺、アイツらの贅肉の為に税金納めんの」


「ああ、全くだ」


 二人の会話にエミールの口は無意識により堅くなっていたがナプキンを畳み終えると食後の祈りを済ませ会計しレストランを後にした。



 外に出ると冬の肌寒さにトマは体を縮めながら話しかけてきた。


「お二方さん。この後の予定は?」


「買い物して帰るだけだ」


「私も同じです」


 そうして三人は、近くのイノサンの泉を中心にした市場で買い物へと行く。


 サン=ジャックの塔を遠望できるこの場所はかつては墓所であったが今では人の賑わう場所となり様々な食品や日用品が置かれていた。


「別について来る必要はないだろ」


 エミールは、ただなんとなく一緒なだけであったのでジェラールにそう言われて奢ってもらった事に感謝を述べ、その場でお開きとして別々に市場を回ろうとするとトマが着いてきた。

 何か他に用があるのかと思い聞いてみると単なる暇つぶしだと返ってきた。


「なに、買うの?」


「ロウソクです」


 トマの質問に淡々と答えていく最中。エミールは目当てのロウソクを買う。

 食事はできるが必要性はないので必然的に日用品のみが入り用になるのでコレで買い物は終了である。


「その後の予定は?」


「家に帰って読書でもと思ってます」


「何処に住んでるの?」


「7区のヴォルテール通りのアーパトです」


 よく次から次へと質問が出てくるものだと思いつつも歩きながらエミールは回答していく。

 そんな時、ふとけん玉ビルボケで遊ぶ子供の姿が視界に入り、エミールはボーッと見てしまった。


「ん、どうした?欲しいのけん玉ビルボケ?」


「いえ」


 どうして見てしまったのか解らない。だから欲しいか聞かれたら違うと答えるもトマは笑ってその子の近くで売っていたけん玉ビルボケを買いエミールに渡してきた。


「むっつりしてるかと思ったけど、子供らしいところもあるじゃん。こいつはこの前の戦いでジェラールを助けてくれたお礼だ遠慮せず受け取りな」


 手渡された物にどう反応すれば良いか解らずもエミールは「ありがとうございます」と、どこか たどたどしい声で感謝を口にした。

 するとトマは急に何かに目をつけ言った。


「急用を思い出した。さらばだ少年。良い一日を」


 去っていく彼を目で追っていくと女性にナンパをするトマの姿が人込みに消えていった。


 なんとも興味がコロコロ変わる人物であったが彼から与えられた物に心のどこか嬉しい思い抱きながらエミールはけん玉ビルボケの玉を放り始めていた。



 市場の人込みの中、17~18くらいの銀髪に青い瞳の美しい女性が居た。

 トマは思わずその女性を目にして声を掛ける。


「やぁお嬢さん。お美しいですね。お買い物ですか?良かったら荷物を持ちますよ」


「あら嬉しい」


 笑い顔にも品のある彼女はトマの指に一つ一つ嵌められた指輪を見て言った。


「素敵な指輪ですね」


「コレですか?私の大事な商売道具ですよ。ですので婚約指輪は一つもありません安心して下さい」


「それって貴方とわたくしの指輪の為に空けておいて下さってるということかしら」


 そう口にしながら女性はおもむろに体をトマに寄せ言った。


「ヘドがでますわね」


「え?!」


 鈍い感触がトマの胸に刺さる。

 それは冷たく血をも凍らせ流血すらさせなかった為に端から見ればイチャついてるカップルにしか見えず誰も気にも掛けることすらなかった。


「王族の肥やしのために税も納めたくないそうですわね」


 氷の刃は内部で広がり意識が遠のいて行く中で彼女はトマの指からジャルディネッティリングを一つづつ外していく。


「そんな風に思っているのでしたら貴方とは一生、ウマが会わないでしょうね」


「お…まぇ…王党…」


「さようなら。ムッシュ」


 彼女は後ろに一歩 下がり支えを失ったトマの体が倒れ始めて人々は気づいた。

 最初は何が起きたか理解できずに近くにいた男が声を掛け心臓に突き刺さった赤と透明色の氷の塊に気づき買い物をしていた女性が声を上げた。


 その時にはトマを殺した女性の姿は見えず何処かへ消えていた…



 その後、死を目の当たりにした悲鳴を聞いたエミールは彼の死に目を見たことは言うまでもなかった。

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