5,5話 閑話

 モロー将軍が事情聴取された その夜。フーシェは法務省に口利きをしジャック・コランを逃亡させた。


「良いんですか、逃がしちゃって?」


「ええ、小物の行動など解りきっていますから」


 彼は警察大臣で無くなった後でも影響力を持っていた。フーシェ本人の残した回想録によれば、たまに法務省にアドバイスをしてやってくれ。と口出しする権利をナポレオンに保証されていたと語っていたほどであった。

 更に警察省解体で職を失った優秀な部下たちをフーシェ個人が雇いあらゆる場所で情報収集を行っていた。

 だからフーシェにとってジャック如きを逃がしても些細な問題でしかなかった。



 ジャック・コランはモローの邸宅の前まで行き着いていた。普段なら街灯が道を照らしているハズだが今日は暗かった。

 この当時のフランスの街灯はまだオイル式であった為に点火夫てんかふがオイルの給油をケチってしまうことで時々、直ぐに消えてしまうことがあった。と言っても今回の油切れはフーシェがそうなるよう仕組んだものだが珍しいことでもないので誰も気にも止めなかった。そんな灯りを気にするのは犯罪者だけであろう。

 街灯の設置率と犯罪率が比例するという根拠は現代でもハッキリと証明されている訳ではないが、かつてルイ14世が安全と光輝Securitas et nitorと刻印した貨幣を発行し多くの都市に照明設置を促したことから犯罪者が闇に潜むものだという考え方は今も昔も変わりないことがうかがえる。

 モローの邸宅から漏れ出る僅かな光に照らされながらジャックは使用人にモローに会わせるよう言うと直ぐ側に居たのかモローが顔を出した。


「よぉ英雄さん。ちょっと話があんだけど良いか?」


 薄暗かったがジャックの顔を見た瞬間モローは、あの時 見せられた人相書きの人物であることに気づいた。しかしモローには、この人物と面識がなかったため誰かと聞くと彼はこう答えた。


「俺が誰なのかは重要じゃない。重要なのはアンタがカドゥーダルの旦那と一緒に一計を案じてることを俺は知ってるということだ」


 その一言でなんとなく察しがついたが、それでも「用件はなんだ」とモローは聞くとジャックは人指し指と親指をこすり金銭を要求するジェスチャーを送りながら言った。


「ナポレオンにチクられたくなきゃ……解んだろ?」


「…少し外で話そうか」


 トビラを閉め二人は玄関の前で話を続けようとした。


「一応、言っておくけど殺して口封じしようだなんて考えるなよ。ったら俺の仲間がアンタを密告する」


 そう言った次の瞬間ジャックは保身のために嘘を吐いた口ごとモローの手によって鷲掴みされる。


「アテが外れたな私は脅しには屈しない。そもそも、さっきまで捕まっていた奴にドコに仲間が居るというんだ?」


 ジャックは逃れようと暴れるがビクともせずに体から水蒸気が上がり始めていった。


「ぐっ……!!が…ぁ…ぁ………」


 僅かに漏れ出る声も徐々に小さくなりやがて彼の体は干からびていった………


 翌朝、一人の死体がセーヌ川から上がった。

 乾物が水を吸ったよにブヨブヨになり身元も解らず。やがて市民の記憶に残ることもなく消えていった…



 冬の朝でありながらもフーシェはパリのカフェで優雅に過ごしながら昨日の夜の出来事に関する報告を聞いていた。


「会話内容 全てを知れなかったのは残念ですね」


「…殺したのはモローであることは間違いありません。捕まえますか?」


「やめておきましょう。証拠も足りないし、何より将軍は市民にも人気者だ。捕まえたところで直ぐ釈放されるでしょう。それよりも二度も逃亡された失態について流布するほうがいい。『やはり警察庁は必要だった』世論がそう傾けば。再び復職できる可能性がありますからね」


 情報提供者に一通り語るとフーシェはフランの入った布袋を相手に渡し引き続き情報収集を依頼する。


「次は、ある少年について調べて欲しい。ナポレオン美術館で働く有望な若者についてね」



 その頃、エミールはコルデリア通りに住む一人の老婆のもとに訪れていた。

 60にもなる彼女の名はマリー=ジャンヌ。かつてエミールがタンプル塔に幽閉されていた時代。教育係であったアントワーヌ・シモンの妻である。


「驚いたわ…生きていましたのね…アナタ…」


「あの時は、お世話になりました」


「ああ、私が言える立場ではないけれども、許してちょうだい…ダンナはもう神の下に旅立ってしまったの」


「ええ、存じています。今日はアナタにお礼を渡しに来ただけですので」


 エミールはそう言って布袋入った硬貨を見せジャンヌに渡そうとするが彼女は受け取ろうとしなかった。


「よして下さい…私には受けとる資格どころかダンナの暴行も止められなかった罪で裁かれてもいいくらいなのに…こんな…」


「それでも…私には数少ない優しさと希望でした…お返しするまでに時間が掛かりましたが」


ありがとうございました。


 その言葉に彼女は目に大粒の涙を溜め流す。


「おお、神よ…」



 ナポレオン美術館の一室にてドゥノンはクラリナに質問した「エミールについて、どう思う」と、彼女は以前の任務ことを聞いているのだろうと思い答えた。


「王党派との繋がりの可能性についてですか?ありえないと思いますよ」


「理由は?」


「良い意味でも悪い意味でも正直すぎます。隠し事や駆け引きに向いていない」


 率直な意見ではあったが、「でも」とクラリナは続けた。


「今後、敵対する可能性があるかと聞かれるのであれば、ありえるとは答えますね」


 思わぬ返しにドゥノンは眉を潜め理由を問いた。


「彼、共和主義者です」


 この先、ナポレオンが何を目指しているか、それを理解している者達には、その一言で十分に意味は伝わる。

 その時ドゥノンが一瞬、笑ったように見えたが気にかけるほどのものでは無かったのでクラリナは何も言わず報告を終えたことでドゥノンに戻るように言われた。

 その場を後にする途中フーシェとすれ違い彼がドゥノンの居る一室に足を踏み入れる姿を見送ると彼女は、何事も無かったように廊下を歩いていく……



「ボンジュール。ドゥノン」


「なんの用だフーシェ」


「暗がりに居る王党派ふくろうを見つけた狩りに向かうから君の所の自慢の猟銃たちを借りたい」


十二上位館員アンシアンをか?随分と大物を見つけたようだな」


「もちろん返礼もしっかり用意しよう。新しい聖遺物の情報なんかどうかな?」


「ふん。数人、貸してやる」


 ドゥノンの気前の良い返事に つけ込むように更にフーシェは言った。


「ああ、それとこの前の小さいのもおまけに付けてくれないか」


「エミールか?また、どうしてアイツなんかを指名する?」


「なぁに将来、大物になりそうだと思ったから今のうちにコネを作っておこうと思っただけだよ。聞いた話じゃ彼、ボナパルト執政を脅して今の地位に居るそうじゃないか?凄いじゃないか、私もその手管を習いたいものだよ」


「……そうか…まぁ好きにしろ」


 どうせエミールが望む未来など訪れないのだから。心の奥底でドゥノンは嘲るように笑った………

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