第2話 [過去]─Maman je…

 時を遡ること1793年。フランス革命の最中タンプル塔に幽閉されていた少年がいた。彼は狭い部屋のなかで一人の男に殴り倒されていた。


「なんで……」


 痛みに涙しながらこぼれ出した言葉に男は言った。


「コンデの町でフランスがオーストリアに負けたんだよ‼忌々しいっ!!」


 子供でなくても彼が言ってることは全く意味が解らない。それとこの子が殴られることになんの関係があると言うのだろう。


「やめて……やめて下さい…ごめんなさい!ゴメンなさい!!!ゴメンなさい!!!」


 男は執拗に少年の体の半分だけを叩きつけ言った。


「お前の半分はオーストリア人だから半分ぶたれても良いんだよ!!」


 屁理屈の八つ当たりに少年は謝ることしか出来なかった。ある時はワインを無理やり飲まされた。また、ある時は革命歌を大きな声で歌わされ、母をなオーストリア女だと教えられた。嫌がったり抵抗すると、ぶたれたり「お前の父親と同じように断頭台で殺してやろうか」と脅された。


 怖かった…シモンおじさんが入ってくると怒らせないよう気をつけた。カペーと呼ばれるとまた蹴るためだけに呼びつけてるんじゃないかと怖かった…エベールも見張りの人も…怖かった…僕の名前はカペーじゃないと言いたかったが怖くて言えなかった…

 逆に喜んでくれることもあった僕が家族のことをだとかだとか、オーストリア女にされたとか言うと笑ってくれた機嫌が良いと殴られないし楽だった。


「カペーこっちに来いよ」


 ある日、見張りに呼ばれ近づくと「おい、なにコッチ来てんだよ汚ねぇから離れろ」と言われ怖いから従うと

「なに勝手に離れようとしてんだよコッチ来いよ、ぶっ飛ばすぞ」即座に矛盾させてきた「止まってんじゃねーよ」

 もう一度 近づけば離れろとまた言われ、どうすれば良いか判らなかった。ただ無視したら殴られるのだろうとは想像できた。


「どっち…です…か…?」


 悩んだ末に質問を投げかけると「知らねぇよぉ自分で考えなぁ~」と言葉の後に見張り番の笑い声が響き渡った。結局最後は殴られて終わった……


 毎日どうすれば怒らせないか殴られないか、それだけが頭の中を支配していた。


明日いきなり断頭台に送られたらどうしよう……

今日、悪いことしてなかったよね……

明日、同じ事をされたらどうしよう…

苦しい……

お母さん…お姉ちゃん…助けて……神さま…ボク悪いことしません。だからどうか助けてください………


 当然、助けなど来ない。


どうして……どうして、こんな目に会うの…!?


 ふと脳裏に自分が半分オーストリア人であることを思い出す。


オーストリア人だからわるいんだ……おーすとらりあはワるいんだ……僕の半分がシねば良いんだ!ボクの半分…僕のはんぶんはオ母さンだ……お母さんがシネば…お母さんが死ねばぼくの半分も死んでくれるかも…


「ねぇ!!あの!オーストリア女はいつ死ぬのっ!!!!!」


 なにかが壊れたような気がした意味も判らず涙がいっぱい溢れて声が上がりそうになったが大きな声を出せば殴られるであろう恐怖から必死に声を抑え、それでも声が漏れて嗚咽のように響く。


「なんか気持ちワリィ声だしてんな」


「マス掻くんなら、もっと静かにやんなぁ」


 見張りの笑い声が聞こえる中、少年は壊れていった。


 辛い日々が終わりを告げたのはエベールと教育係のシモンが断頭台に送られフランス革命の権力者のことごとくが亡くなりポール・バラスが彼のもとに訪れてからであった。

 当時について残されている話によると少年が居た部屋は虫が湧き排泄物にまみれ汚れた服が成長した彼の体を締めつけ顔を青白くし立つこともできないほど体も心も衰弱していたという。

 コレがあの人懐っこくって明るい性格だったブルボン王家のルイ17世だと誰が思うだろうか、見た目の年齢も9歳ほどの少年とは思えないほど歪み心も諦観と恐怖に支配され別人と化していた。



 あれから数週間が過ぎルイ17世は平穏な日々を過ごすことができた。

 新たに世話係りに指名されたローランという男性は前任のシモンとは違い礼儀正しく優しい人物で部屋も体も清潔な状態にしてくれた。


「どうして、あなたはボクの世話をしてくれるの……?」


 ベットで横たわる少年の声が弱々しく聞いてきた。


「みんなボクのことを嫌ってるのに……」


 するとローランは優しく言葉を返した。


「貴方は愛されています。お姉さんはいつも心配しておられました」


 嘘ではない。ルイ17世と同じタンプル塔で囚われの身であった姉のマリー・テレーズは幾度も弟の待遇の改善を懇願し会いたがっていた。


「お母さんは……?」


「……もちろん今でも大切に思っておられますよ」


 コレは嘘だった。天国からなら そう思っていたかもしれないがもう処刑された彼女の気持ちを知る術はない。


「ボクね…ボク…お母さんに謝らなくちゃいけないんだ…死んで欲しいって思っちゃったの…ずっと居てくれなかったお母さんのことキライになっちゃたの…お母さんもボクのことキライだと思っちゃったから……」


 愛されていたことを知ると あの日のことを後悔する思いに駆られ涙声に語るとローランは「大丈夫ですよきっと許してくれます」と慰め側に居てくれた。


ああ、そうだ。こうやって優しい人が居る


 彼はローランの優しさを受け幽閉された日々の中でも心配してくれた人達のことを思い出していた。

 虐待を受ける前には、オモチャを持ち込んでくれた人や一緒に遊んでくれたクルエという女の子も居たことやシモンの妻のマリー・ジャンヌがいじめを止めてくれた時のことポール・バラスが彼の惨状に憤慨したことが走馬灯のように流れいく…


 父がなぜ彼ら市民を恨まないようにと言ったのか今ならなんとなく解るよな気がした。

 理不尽の中でも誰かのために何かをしようとする人達が世の中には居る。そんな人達になりたい、誰かの役に立ちたい。そう強く思うほどに目の前に居る人に優しさすら返せない自分が情けなくなって知らず知らずに彼は涙を流し呼吸は徐々に浅くなり、やがて息を引き取ってしまった……



後に残ったものは彼が部屋の壁に墨で描いた花の絵と母を思う言葉だけだった………

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