ArsMagia─アルスマギア─
上代
第1話 エミール
─1803年 フランス、パリ。
そこは遠くから見渡せばシテ島とセーヌ川を中心に北と南に立ち並ぶ荘厳な建物に息を呑まれるであろう芸術の都。
しかし近づいて見ると狭く暗く石畳が荒れた道があることに気づく。
見回すと家もどことなく傾きがあり汚いものはココに集めたのだと言わんばかりの雰囲気を纏っていた。
そんな空気に引き寄せられるように一人の男が逃げるように路地を走り抜けていく
彼は自ら行き止まりに向かいソコにあった大きな布をかけられた物に目を向けようとした。すると後ろから足音が響いた。
振り向くとまるで人形のような無機質さを持った15歳くらいの少年の姿があった。
「ソコまでです。貴方には魔導芸術品の不法所持の疑いがあります。このまま抵抗なく御同行ください」
少年は無機質に呼び掛けるも男は笑みを見せながら大布を掴み言った。
「は、不法所持ってのはコイツのことかい!!」
剥ぎ取られるように覆いを失い姿を見せたソレは獅子の唸り声を上げ動き出す。
だが獅子ではない。姿こそライオンそのものだが襲い掛かるその体躯は石でできた彫像であった。
そんな姿を目の当たりにしても少年は動じることもなく淡々と本を手に一言、呟いた「
そうして突如となく爆音が響き渡り彫像は砕け散った。
辺りに破片が転がり黒煙と黒色火薬の匂いを撒きながら彫像の獅子は動くことなく崩れ落ちていく……
─これは…芸術が民衆に解放されていく時代の中、〝魔導芸術〟という名の〝武器〟を手に欧州、
※
ここはセーヌ川右岸。そこにナポレオン美術館と呼ばれていた建物が存在した。今ではルーブル美術館といった方が早いだろう。
もとは防衛の為に作られた城としての面影は、ほとんど残さず今では美術行政の中枢として機能する。その美術館内に大声が響き渡る。
「芸術を破壊して帰ってくるとは何を考えてるのだ!このっ!!大バカ者!!」
ナポレオン美術館館長ドミニク・ヴィヴァント・ドゥノン。事実上の美術行政のトップに立つその人は醜い容姿に怒りのシワを寄せていた。しかし、これでモテるのだから世の中、不思議なものである。
後世に残された資料を見ても恰幅が良く少し禿げた頭のおっさん姿を見ることができ、当時の人から見ても『醜い方であったが女性に好かれていた』と残されている。
ミラボー伯爵も醜くともモテていた事を考えるに女性は男の見た目より知性や品性に惹かれる生き物なのかもしれない。
それに対して叱責を受けている少年は人間味溢れるドゥノンとは対称的に表情も変えず無機質に淡々と答えを返すだけった。
「任務内容は不法所持者の取り締まりとしか承っておりませんが」
コレにはドゥノンも怒りを通り越し呆れて頭を押さえる。
「はぁ……良いかエミール、芸術というのは魔術転用可能と解って以来、貴族と芸術家がその恩恵を独占し続けたモノだ。しかしフランス革命以降その芸術の恩恵を民衆へと還元することになった。お前はその民衆へと還元しなくてはならない芸術を破壊したのだ…」
芸術の破壊。それが、どういう意味なのか話せば長くなる内容を端的にドゥノンは説明した。
芸術の中に含まれる魔術的要因。そこから生まれる新たな技術と富を民衆に還元し国家の更なる繁栄に貢献することが今のフランスの在り方なのである。
「次は壊すなよ」
「善処します」
ドゥノンの言葉に少年エミールは一言、返すだけであったがドゥノンは気にせずに次の話をするため一枚の紙を差し出した。
「次の任務だ。小さな村だが不当に魔導芸術品を買い取った人物が居ることが解った。取り押さえに出向いて欲しい」
「わかりました」
少年は紙を受け取り目を通し口を開いた
「ところで…私の失せ物は見つかりそうですか?」
脈絡もなく突然に質問してきた。今までも空気を読んで喋ってるような人物でないこと考えれば、ある意味、変ではないが…とりあえずドゥノンには質問の内容が理解できたので答えを返す。
「残念だが」
「……そうですか、では失礼します」
特に期待もしていなかったのだろうか確認し終えると彼は、その場から去っていった。
「……どんな気持ちなのだろうな、心を無くすとは…」
広い部屋に一人残ったドゥノンは彼の心情を想像し呟くも彼の心を知る術はない……
※
地平線が見渡せる緑豊かなフランスの大地。その中に存在する小さな村。エミールが任務のためにやって来たこの地には既に死が転がっていた。
〈なんだコレは…そこらじゅう死体だらけだじゃないか〉
斬られた者、首を折られた者、血だらけの者…そんな死体があちらこちらにあった。普段であれば祈りを捧げるところだが異常な光景に警戒が高まり、そんな気が回らなかった。とりあえず村を見回ろうとすると物陰から音が聞こえ目を向けると恐怖に怯えた一人の女性がコチラを見ていた。
「貴方は?」
先にエミールが質問するが女性は状況を飲み込めていないのか詰まるような声しか出せず、その姿からこの惨事に居合わせたのだろうと察するものがあった。だからこそ冷静になれるよう素性や目的を隠すことなく話そうと思いエミールは歩み寄った。
「私はナポレオン美術館館員エミール=ジョゼフ・エルヴァと言います。魔導芸術品があると聞いて、この村に来ました」
「芸術…」
口にした単語の一つに反応を示すと女性は慌てて彼に飛びかかるように話しかけてきた。
「早く逃げて絵が……!!絵が殺しに来る!!」
彼女の鬼気迫る表情と共に上からゾッとする気配を感じエミールは建物の屋根から飛び掛かってきた敵の攻撃を防ぐために
「ラファエルよ我が盾に!!」
本来は騎士が身に付ける盾に大天使ラファエルの加護を与えるものであるが身に付けていない以上、強引に風の象徴であるラファエルの力そのものを自らの盾に仕立てあげ身を守る。
敵の攻撃は見えない壁に阻まれるように弾かれ、なんとか不意打ちを防ぐことに成功し、あらためて敵の姿に目を向ける。
「なんですか、あの骸骨は」
人ではない存在にエミールは後ろにいる女性に質問した。
「わかりません。絵から突然、あの骸骨が湧いてきて……みんな殺されて…」
彼女の言葉尻は弱々しく悲しみに満ちていた。
その空気の中でもエミールの表情は悲しみを共有しているのかすら判らない顔をし、ただ冷静に状況把握に努める。
「絵から出てきたと言うことは擬人像か…なんにせよ、本体が絵だと言うなら容赦することもないな」
敵の正体に当たりを付けると彼は再び
「
獅子の彫像を破壊したとき同様、爆音が響き渡り骸骨は砕け散った。その後も骸骨達は現れ、その都度、彼は打ち倒していった。一通りの危機が去りようやく落ち着いて彼女と話が出来るようになると、この村で起きた出来事が判ってきた。
この村にはフランス革命以降、特権階級としての地位を失い心を病んでいた元貴族が居た。ある日その元貴族が「皆が平等になれる絵を買った。是非、多くの人に見て欲しい」と村の者に話していたそうだ。そうして集まった人達は絵画から現れた骸骨達に次々と殺されていったという。
「なぜ村から逃げようとしなかったんですか?」
当然の疑問だが、彼女は足に怪我を負っていて他の村人と一緒に逃げれば足手まといになると思い助けが来るまで隠れていたと言う。
「助けていただき感謝いたします………あの…村から逃げられた人の連絡を聞いて助けに来た訳ではないんですよね…?」
「残念ですが……」
見捨てられたのか、それとも逃げ切れずに死んでしまったのか…どちらにせよ良い話ではない。心中、察するところがあるが、この騒動の原因は、その絵で間違いない。
早期解決の為にも絵の持ち主が何処に居るかとエミールが質問すると持ち主でさえ骸骨たちに殺されたと返事が返ってきた。呆気にとられる答えであるが、それでも少年は、その場所へと案内して欲しいと彼女に頼み元貴族が住んでいた屋敷へと向かった。
※
屋敷に着くと例の絵画のある部屋にまで向かおうと中に入るとアンモニアのような強烈な臭いが鼻を刺し女性は吐き気を感じながら鼻孔の奥の痛みに堪えた。臭いの正体は死体から発する腐敗臭だ。強すぎる臭いは刺激が強すぎて痛みとなってしまい嗅覚が麻痺してしまうのにも関わらずエミールは気づく様子すらなく、平気なのかと聞くと彼は「そういうのに疎いんですよ」と返すだけであった。そうこうしてる内に骨と踊るゴシック服の少女の絵の前にまでたどり着きエミールは納得した。
「平等になれる絵…なるほど。〝
「なんですかソレ?」
「14世紀頃のペストによる大量死の衝撃から生まれた死を題材にした芸術ジャンルの一つです。死は唐突に訪れ社会的帰属を問わず死によって統合される生死観を表現した死の擬人像…」
エミールの説明は解りやすいものではあったが、ソレがさっきの骸骨となんの関係があるのかが理解できなかった彼女は更に質問し彼も魔術について説明していった。
意外かもしれないが芸術と魔術は深い繋がりを持つ、最古例としては洞窟壁画であろう。鹿やイノシシに槍や矢が刺さっている壁画を狩猟の成功を祈る魔術と解釈する学者も存在し、古くから関連性があるモノ同士で見えない繋がりが存在するという仮想原理を基に魔術は生まれてきた。
「火を描けば火が起こり、獅子の彫像を彫れば獅子のように動く。共通点を持つなら同じ結果をもたらすと人々は考えた。今回の場合だと死の擬人化と
「そんな…どうしてこんな事を…」
一点の絵画が起こした事実に彼女はショックを隠しきれず理不尽の元凶に対して無意味であるにも関わらず疑問を投げ掛けてしまった。その疑問にエミールは推測で答える。
「無理心中か…もしくは魔術絵画の暴走か、なんにせよ人の手に余る品だ館長には悪いけどここで廃棄してしまおう。どうせ腐敗臭も染みついてしまい使い物にもならない殺人絵画だ燃やしたところで問題もない」
そう言って
「燃やそうだなんて酷いわぁ」
声が聞こえるや否や突然絵画から鎌が飛び出しエミールの心臓を貫いた!!
唐突の事で一瞬、時が凍りついたような錯覚を覚え、理解が追い付くとジワジワと広がる焦燥感と怒りにも似た興奮感に恐怖心が混じると身体中の神経が刺激されたような感覚に襲われる。
「いやぁああああああっ!!!!」
目の前の出来事に、ここまで案内してきた彼女が悲鳴を上げると絵画から大鎌を持ったゴシック服の女性が現れ、にこやかに恍惚とした表情で次の標的を見据える。
「〝
それは死を形にした存在であった。唐突に訪れる抗いようのない理不尽から彼女は逃げ出す事しかできず走った。屋敷の外にまで逃げ出すも怪我をした足の痛みを無視することも限界となり地面に倒れてしまうと骸骨たちに囲まれていることに気づき、後方からは絵画の女が近づいてくると全ては無意味なのだと悟り神へ祈りを捧げた。
「ああ主よ我を憐れみ給え…」
ここまでかと思われた、その時エミールの声が聞こえた!
「アラベスク」
言葉と共に地面から伸びてきた植物のツルが骸骨たちに巻きつき身動きを封じる。いきなりの事態に死の擬人像である彼女も驚き、声のした方に視線を移す。
屋敷の出入口、そこには心臓を貫かれ死んだはずのエミールの姿があった。
「あれぇ?確かに心臓を突き刺したのにぃ」
そこで気づいた刺されて服が破けた先に穴があることを、そこにあるべきものが無いことを…
「心臓が…ない?!貴方は一体…」
※
約2年前…テュイルリー宮殿の一室で二人の人物が話していた。少年と向き合っていた一人の男は言った。
「ルイ17世…それが君の名だと言うのだね」
今はエミールと呼ばれる少年はそれを肯定するとその証拠を求められ、ある物を要求した。王家にしか扱えないない魔導芸術品を……
そして現在、あの時、手にした物を携え彼は立っていた。
フランス王の戴冠式に使用される正義と司法の象徴の杖、
杖の先端に付いている中指、人差し指、親指の三つが真っ直ぐ伸びた作り物の手の姿は現在でもルーブル美術館で見ることが可能であるが、アレとは別物である。
今に残る
その右手の
「聖なるかな。その御名。その慈悲は、
振り上げた象徴と共に鋭い光が天から館に落ち雷鳴と破砕音が響く。一瞬にして火が上がり建物を飲み込んでいくと死の象徴たる彼女は背を凍らせるように館に向かって走り出す。
「いや!!燃えちゃう!燃えちゃう!私の絵がっ!!いやぁ‼私が燃えて無くなっちゃう!!」
ゆっくりと前に進みながら死者への
「主よ、永遠の安息を彼等に与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え、彼らが安らかに憩わんことを………アーメン」
手にしていた
※
少しルイ17世の話をしよう。
彼が8歳の頃、フランスは既得権益層の打破を目的とした革命の最中にあった。それゆえに国民公会はルイ17世の処遇について頭を抱えていた。
殺すにしても何の罪もない子供を殺したとあっては国の外に居る血縁関係にある貴族・王族の怒りを買うかもしれない。だからといって放置すれば革命に殺された父の敵討ちに来るやもしれない。国外に追放したくても王政復古を狙っている貴族たちが彼を利用して攻めてくるかもしれない。
生きてても面倒。死んでも面倒。結果、行き着いた答えは再教育するという体裁を取り繕い幽閉し虐待と洗脳を施すというものだった。
その間、約八ヶ月で彼の体は病気で異様に膨れ、顔は青白くなり自力で立つことすら出来ず心は諦観と恐怖に支配され救いの手が差しのべられた時には全てが手遅れで僅か10歳でこの世を去ると検死解剖が行われ心臓を盗まれる。
凄惨な人生は人々の関心を集め、生存説が囁かれては金銭目的で我こそは生き延びたルイ17世だと声を上げる者たちすら現れた。
「まさか本当に生きていたとは…」
約2年前、己の存在を証明するために
「生き残ったというより、生き返ったと言った方が良いでしょう。なにせ目覚めた時には棺桶の中にいたのですから、土の中から這い出て現状を知った時には死後6年もの時間が経っていましたよ」
「……復活した理由に心当たりは?」
「ありません……そもそも本当に生き返ったと言えるのかすら解りません」
そう言いながら自らの胸に心臓が無いことを見せ彼を驚かせる。
「本当に…そんな姿でなぜ動き回れるのでしょうね」
「わかりません……ですが、こうしてあるということは、きっとコレが
思ったままにルイ17世は答えた。敬虔な信徒でもある王族らしい答えであったが、相手はそうは受け取ってはくれなかった様子で威圧的に質問してきた。
「再び王政を取り戻したいと?」
「……父ルイ16世は死に追いやった民を赦し祖国の平和の礎となられました。ならば国家の安寧こそ後を継ぐ者の使命と存じます」
幼い頃から聡明だと言われたルイ17世は民を憎んではいけないという父と母の遺言を守り、彼の誤解を解くように語りかける。
「民の思いに応える貴方なら、この思い解っていただけるでしょう。ボナパルト第一執政」
口ではなんとでも言える。何を企んでいるかも判らない人間を受け入れることなど普通はしない。
そう…普通は
「なら名前を変えて貰う必要がありますね。どんな形であれ生きていたと判れば混乱を招くでしょう」
英雄は違った。
陰謀?信頼?そんなものはお構い無く有用であるならば使い。歯向かうなら削ぎ落とす。それでダメでなら全ては運命でしかない。抗うことも流されることも知る者は選択に迷いなどなく彼を排除することなく受け入れた。
そうしてルイ17世は新たにエミール=ジョゼフ・エルヴァの名を賜ると、もう一つの願いを告げる
「失った心臓を取り戻したい…?」
「ええ、古来より聖人、英雄、王族などの遺骸…すなわち聖遺物は奇跡を起こす媒体になります。私の心臓がもし盗まれたのなら悪用される可能性がありますので」
「でしたら美術館員になられては?王の心臓を欲しがるような者ならば
古来より聖遺物には奇跡や幸運をもたらすと考えられてきた。そのため聖人の遺骸や遺物などを保管する聖遺物箱が4世紀頃から作られてきた。当初は簡素な物であったが時代が進むにつれデザインも多用になり装飾も豪華なっていき芸術品としての価値も持つため芸術を管理する美術館であれば、自ずと情報が集まりやすいとう考えだ。その上、あそこの館長は聖遺物収集に熱心なあのドゥノンである。
自分の心臓を探しつつ魔導芸術に関し治安管理を行うことができる。民のためにありたいと思うエミールは、そのポジションを快く受けた。
そうして現在………ナポレオン美術館にて今回の任務ついて報告を行っていた。
「落雷によって絵画は焼失か…」
ドゥノンの訝しげな
「まさに青天の霹靂です」
聖書では奇跡という直接的な表現は本来、使わない。驚き、威光、雷といった言葉などがそれに当たるからだ。
要するにエミールは奇跡的な出来事だと言って誤魔化しているのである。
これ以上、問いただしても仕方がないのでドゥノンは話題を変える。
「村に居た女性は?」
彼女は、あの後エミールに深く感謝を延べ彼の正体について聞いてきた。
だが、彼は正直に話すこともなく、ただ一言、失ったモノを探し さ迷い空虚を埋めようと人に尽くす憐れな死人なのだと自らを語ると、込み入った事情には口を出さないでいてくれた。その後、彼女にどうするのかと聞くと、村の死者の埋葬を終えたら街に住む親族を頼ると言っていた。
しかし詳細に話す必要もないので彼女の今後についてだけ伝え報告を終えると次の任務を言い渡される。
一つの物語が終わり。また次の物語が始まる。
この19世紀の空の下。フランスに多くの芸術が集まり行く時代
魔導芸術を武器に戦う者たちの物語が──
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