5話-3

 温い風が吹く。まだ朝日も見えていない時間で、この分ならば歩くのも苦ではないだろう。小高い丘の上にリタとシルヴェストルは並んで立っていた。見下ろす先には、ラスキン家の屋敷がある。抜け出すのはあまりに簡単で、拍子抜けするほどだった。

 風に煽られる長い銀髪を片手で押さえながら、シルヴェストルはリタに問うた。


「何で俺を助けた」

「……」

「ただの哀れみか? 残念、俺はそれにつけ込むぞ」


 軽い笑いが響く。リタはゆっくりと考えながら、言葉を紡いでいく。


「何でだろうね。君の罪が、ただ批判されることが耐えられなかったのかな」

「ハ、タチの悪い。これがお前の復讐か」

「……うん、そうだね」


 本当のことなど言えるはずもない。

 リタは誰かの“たったひとり”になりたかった。

 これは打算だ。今の彼なら、きっと付け込めると思ってしまったのだ。

 お人好しなのではなかった。

 シルヴェストルの罪を正義のもとに断罪したいわけでもなかった。

 哀れみも恨みもリタには存在しない。オスカーの言うことも、シルヴェストルの言うことも、意図からは外れている。

 これは全てが嘘の逃亡だ。彼らの意志を都合の良い建前として、リタはリタのやることを正当化しているだけだ。

 でも。

 目を閉じる。左目の硝子玉はとっくに目に馴染んでいた。冷たい、固い感触。本来ならば絶対になるはずがなかった体の異変。それを起こしたのは。

 隣の青年を見上げる。


(僕は悪くない)


 この選択がエゴだとしても。


(だって君は加害者で、僕は被害者だ)


 そんな僕が、貴方を支配するのは悪いこと?

 ジェシカだって言っていた。リタがシルヴェストルを恨もうが憎もうが哀れもうが自由にしていいと。

 誰かのたったひとりになりたい。だから、ひとりぼっちを利用する。

 それがリタの選んだ道だった。


「馬鹿なやつだ」


 何も知らない彼は、ただ蒼の瞳に疑念と嘲笑とを映す。彼が本当にリタに従うかはかなり五分五分だったが、結局彼も人間のようだった。絶望しきった状態では太陽も尽きそうな蝋燭の灯火も等しく光源だ。

 彼は生きたかった。きっと、そうなのだろう。それでも、立ち姿は今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しかった。

 その姿が風に吹かれて消えてしまわないように、そっと、手を掴む。


「さあ、行こう?」


 虚ろな目の青年はただ少女に引かれるようにして歩く。逃げることすら建前の旅路は、全ての生命を賛歌するような美しい朝焼けと共に始まった。

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