4話-3
「大丈夫か?」
「……サクロ?」
「いや、あー、まあ、そんな感じ。そんなに似てるかな」
目を開けるとそこには先程の青年が苦笑していた。数刻前の目を開けた瞬間の嫌な記憶が咄嗟に蘇ってぱっと右目に手をかけたが、硬い感触は消えていない。つまり今日の出来事は夢でも何でもなかったのだ。息を吐く。もう涙を流す元気もなかった。その様を青年は心配そうに眺めてくる。
青年はオスカーと名乗った。シルヴェストルの従者、サクロの弟らしい。道理で、よく似ている。
彼はあまり事情を知らないようだった。ここまで早く巫女作成が行われることも、それが他家から売り渡された少女だということも。「本当に、行われたんだな」と彼は苦々しげに唇を噛み締めた。
「ここは使用人棟。ごめん、運べる適当な場所がここくらいしか思いつかなくて」
目の前にはずらりと部屋が並んでいた。リタとオスカーはその廊下の小さなベンチのようなところに並んで座っている。屋敷は豪華絢爛だったが、流石に使用人の部屋は質素で特筆する飾りも何も存在しない。
「あそこがオレの部屋」
「少し大きいね」
「オレと兄貴──サクロは、代々ラスキン家に使える一族なんだ。統括みたいな役割も預かってて、部屋が大きいのはそのせい。元は二人用だけど一人で使ってるし。今は親父だけどそろそろ引退だから、そのうちサクロになるかな」
「ふうん」
「それで?」
「え?」
タン、とオスカーが踵を揃えて姿勢を正す。
「名前は?」
「あ……リタ、です」
「そう、リタ。何があった? 話してもいいことなら是非聞かせてほしいな。力になれることなら、力になりたい」
「……なんで? 君には、関係ない」
「? 何でも何も、目の前で泣いていた子を放っておけないよ」
彼は本当に意味が分からないという顔をした。何てお人好しな人なのだろう。こんな、リタなんかに構う価値なんてないのに。
でも、そんな彼にだったら。
意を決して、ぽつぽつと喋り出した。口に出してみると、ぞっとするほど今までの出来事が客観的に感じられて、逆に落ち着くことができた。ずっと昔のこと、最近のこと、今日のこと。ごちゃまぜにしながら話していたから、きっと聞き苦しかっただろう。それでもオスカーは根気強くうんうんと頷きながら耳を傾けてくれた。
長い長い話になった。彼は最初は努めて笑顔でいようとしたが、やがてそれは消えていく。話が進んでいくにつれて青ざめていき、終わる頃には明らかに悄然としていた。
「そして、今。大体、あったことはこれで終わり」
空白が開く。
「……その、お父さんは? 今どうしている?」
「知らない。死んでるんじゃない?」
オスカーは顔を顰めた。酷く頭痛がする時のように、頭を抑えて目を閉じる。声には出ていなかったが、その身体は小さく震えていた。
首を傾げる。その反応が彼の兄のものと全く同じだったからだ。
「ねえ、なんで皆そんな顔するの? 全然わかんない」
「……分からなくていい」
そう言って彼は緩く首を振った。
「惨すぎる……」
彼は暫く押し黙っていたが、やがて切り替えたようにぱっと顔を上げて話題を変えた。
「これから、どうするんだ? ミーヴァ様のところには戻れないんだろう」
「分からない」
あやふやでも、それが真実だ。リタは途方に暮れていた。これまでの大切な過去も、大切になるはずだった未来も、崩れ落ちた。前にも後ろにも進むことができない。
俯くと、短い赤い髪が垂れ下がる。炎が燃えるときのいっとう綺麗な色だとミーヴァが褒めてくれた色。今ではそれに何の価値も感じない。
そんなリタを前に、オスカーは暫く考え込む様子を見せたが、ふっと思いついたように口を開いた。
「うちで働くか?」
「え」
流星が頭上に落ちてきたような衝撃だった。
「ああ、勿論、シルヴェストル様と同じ屋敷にはいたくないだろうし、そこらへんの配慮はするけど」
吃驚しているリタに気付いているのか、彼は言葉を重ねる。
「無駄に広いし人も多いから、無理をする必要もない。一人養うくらいならオレの給料でも十分だしな。そうだな、それに──会わせたい人もいる」
彼は眦を和らげて伺うようにリタを見た。目線を合わせて問いかけが訪れる。それらを全て、信じられないと思って聞いていた。全てから突き放されたリタにとっては、これも嘘なのかと疑ってしまうくらいの真摯な瞳だった。
「まあ、お前がよかったらだけど。どう?」
「は、働く! 働かせて」
「そうか」
勢いこんだリタの返事に、彼はにっこりと健康的に笑った。入れ墨がくしゃりと歪むと、やっぱり彼はサクロによく似ている。でも、ずっと暖かい。
「そうだな、じゃあ父さんと相談して部屋を決めるか。空き部屋ならいくらでも……」
「や、やだ」
「うおっ?」
ぎゅっとオスカーの袖を掴む。
「ここがいい。オスカーと一緒がいい」
「え、いや、それは色々と問題があるだろう。特にお前は……」
「知らない。やだ。僕は、オスカーと一緒がいい」
無茶苦茶だと分かっててもやめられなかった。ようやく見えた光明を離したくなくて、必死に彼にしがみついた。見放されたら、今度こそおかしくなってしまう。
「だめ?」
下から伺い見ると、彼は明らかに弱った顔をした。「部屋は別れているし」「保護者扱いとしてなら」等とぶつぶつ呟いていたが、やがて観念したようにふにゃりと表情を和らげた。
「リタがそう言うなら、いいよ」
初めて。初めて、誰かに受け入れられたような心地がしてポロポロと涙が溢れた。今度はオスカーは慌てなかった。柔らかに眉を下げ微笑んで、ずっと隣にいてくれた。それに甘えて縋って泣く。
我儘を言って困らせてしまったと思う。無理をさせたと思う。それを笑って許してくれたのは、彼が優しいからに他ならない。そう考えると申し訳無さで一杯になったけど、今のリタに必要なのはただの丸ごとの優しさだった。
彼に会えて良かった。彼の優しさに触れることができてよかった。今でも、そう思っている。
でもそれはリタにだけ向けられた優しさではない。きっと彼は誰にでも、とびきり優しい。
その証拠に、彼はリタの頭を撫でようとした手を直前でピタリと止めた。
それでも良かった。その時は、本当に。
そこからおおよそ一年半程の間、リタはラスキン家の下女として働くことになる。
オスカーは自分をまるで本当の妹のように接してしてくれて、とても沢山面倒を見てくれた。オフィーリアもだ。彼らには感謝してもしきれない。でもどんなに優しくされても、本当に心を傾けることはできなかった。
(オスカーは、僕が元巫女候補だから優しくしてくれるんだ)
そんなことないと分かっているけれど、そう考えてしまっては止まらなかった。
誰かの一番になりたい。自分に中途半端にかけられた巫女候補や、被害者、子供、少女などの枠を取り払ってただのリタを見てほしい。
ただの被害者にもさせてもらえなかったリタはシルヴェストルを恨む気持ちも、ミーヴァを憎む気持ちも本当にあるのか判然としなくて、残ったのはその願望のしこりだけだった。
そして今、巫女制度が廃止されるという。リタを僅かに構成しているレッテルも剥がれ落ちる。もう甘える理由はなくなり、いられる場所はなくなった。とっくの昔に突き放されて、帰る場所もない。
『何でもできるでしょ』
『どこにでも行ける』
サクロとジェシカの言葉が蘇る。
……何を? どこに?
リタは、途方に暮れている。
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